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野郎達の英雄譚  作者: 銀玉鈴音
最終章 野郎達の英雄譚
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第二話 誰も知らない英雄譚(1)



 太陽は西から上り、空が白み、世界が明るくなる。夜明けと呼ばれる時間帯。

 しかしここ一帯、絶望の迷宮にもっとも近い人の物だったはずの街、サイハテの近郊は、余りに暗かった。

 十全に離れた空から見ても、禍々しい漆黒で丸く覆われ、概要すらはっきりとしない。

 かつて千年樹海に食い込む人類の鏃と呼ばれたサイハテは、今となっては千年樹海から噴き出した闇そのものの瘴気に覆われる。

 人っ子どころか、空飛ぶ鳥も、地を駆ける獣も、一匹たりとて姿が見えぬ魔の領域――


 例えるなら、今や、サイハテは文字通りの闇の国と成り果てていた。


 ――そこに気配が三。人の気配だ。


 領域の辺縁部。黄泉の色が薄くなる辺り。セピアの地面が辛うじて見える箇所に三人。

 各々サイハテの方面を見て、雲の様に広がる瘴気に途方にくれているようであった。


「……ガスみたいに見えるな」

 美丈夫と言ってよい長身と立派な体格に、鋼鉄の鎧に全身を覆った青年は、おっかなびっくり手を伸ばして、やめた。よくない物だ。彼の直感はそう告げていた。


「それともちょっと違うッス。まぁ、瘴気だから仕方ないッスよ」

 二歩ほど踏み込んで、別の男が瘴気を掬い上げた。

 瘴気を掬った男を構成しているのは、筋肉だ。への字に曲げた口元には豊かなヒゲ。

筋肉の両手から瘴気は流体の様に、形を持って更々と零れ落ちて――元あった箇所へ。

 形があるのか、形が無いのか。とにもかくにも、

「常識的には許しがたいアレッスけどね」

「まったくだな」

 此の世では瘴気は瘴気で、意思を持って広がる邪気なのだ。気体だの流体だの固体だの、彼の世の常識など、屁のように吹き飛んでも可笑しくはない。


 そんな二人のやり取りに、割り込む声一つ。


「二人とも、何かおかしいの?」

 疑問の声を上げたのは、見目麗しい少女であった。

 光の加減か、それとも元からか。死蝋の様に真っ白な肌と、赤い瞳。長く腰の辺りまで伸びた見事な髪は白金プラチナ色に、闇の世界でも輝いて見えた。

「瘴気は、瘴気でしょ?」

 見る者が見れば判る。彼女は黄泉路を覗く事に特化した、死霊使いだ。

「何がおかしいのん?」

 小首をかしげる動作はあどけなく、全く、何がおかしいのか、それすら判っていない模様。

 美丈夫の青年、タイタンは最近、食事時によく取る表情を取った。ヘの字、眉間に皺、苦虫を噛み潰したような顔。数秒黙って、気を取り直して、少女に向かって返事をする。


「いや、チャカ。何もおかしかない」

 これでよい。多分これでよいのだ。何もおかしなことはない。タイタンは胃の腑に言葉を飲み込む。胃が又重くなった。

「そんな事より……街はさっぱり見えないね。ナイトウが戻ってきたら、何か判るかなぁ」

 チャカの言うとおりだ。今は、そんな事より、だ――タイタンとヒゲダルマは顔を見合わせて、言った。


「遅いッスねぇ」

「全くあいつ、どこまで飛んでいきやがった」

「本当だよ」

 巨大な瘴気――意思を持った半球を見上げて、三人は待った。

 待つ事暫し、四人目の気配。

 地面にふわりと降りてくる男が一人。


「遅いよ、ナイトウ」

「す、すまん」

 吃音のきつい声で、ナイトウは謝罪の意を伝えた。

 ナイトウは、灰色であった。声から推測できる年の頃は三十路を回るか、回らぬか。だが、額に刻まれた皺は、声音から推測できる年齢よりもはるかに深く刻まれていた。


「街の様子は?」。

「わ、わかんねぇべ。"瘴気"にゃ、切れ目も、クソも、ありゃしねぇ。ただ……街の中央部。十字のあった場所に陣取ってやがるのは、判るんだ」

 ナイトウに判ったのは、ただ滾々と瘴気が湧き出している箇所が一箇所あると言う事だけだった。

 だが、それで十分。

 そこが彼らの最終目的地。


 ――邪神の眠る、サイハテだ。





 眠る神に、祈りを捧げる。

 再び眠りについたときは、巫女は嘆いたものだが、今となっては、まったく問題はない。考え方を少し改めるだけで、これほどまでに穏やかな気分になれるとは。白蛇は思いも寄らなかった。

 "魔人"の少女に諭されたのだ。


『起きた時に、もっといい世界が広がってたら、神様だって喜ぶよね。なにも言わなくても、自分達でやることやってたらさ』

 白蛇は少し驕っていたのだ。神を導こうなどと、少々尻尾に力を入れすぎていたのだ。


『大体――』

 ――我らが、いや、妾の神は、万能の神ではないか。

 たかが巫女が、心配する必要すらない偉大な存在ではないか。邪神の先兵を打ち倒した上に、改心させ、手下にまでしてしまうような存在なのだ。

 少し休んでいるだけなのだ。何しろ、神はよくお眠りになる。少々お休みになったところで、それこそが自然なのだ。


 故、白蛇は、今までの教えに従い、ただ崇め、ただ願い、ただ祈る。


 何しろ、巫女達は、日々正しい生活を行っている。魔人達は、神の世界を広げる為に、日々努力している。戦えるモノ達は戦いの為に、戦えないモノ達はそうでないモノ達の為に、日々切磋琢磨している。

 それは、きっと、神に通じるだろう。穏やかな気分で、白蛇は思うのである。

 だから。


 昨日より今日、今日より明日のほうがよい日が来るだろう。

 その証左に、神の気配は日に日に増してきている。


『ああ、今日もいい天気です、神よ』

 濛々と吹きあがる瘴気に柔らげられた。かすかな日差し。よい朝だ。きっとよい眠りが保証されることだろう。



 ――ああ、朝が始まる。





 チャカは、言葉を選んだ。

「大体元の地形は判ってるけれど……出たとこ勝負になる、のかな」

 偵察が行えない、つまりは、突入してみないと判らない。

 万全を期したいが、それも出来ない。

 このままでは、勝機が無いのではないか。そう考えるだけでも、チャカの体がふるりと震えた。恐ろしい。


 一月。旅する間に考えた。チャカは、何か手段はないかと考えた。

 事前にナイトウに空から偵察して貰おう。

 夜闇に紛れて奇襲をしよう。

 相手が動く時を狙って――

 いろいろ頭の中では考えていたのだ。何しろたった四人の仲間。手段を選ぶつもりはなかった。勝つ為なら、チャカは何でもするつもりでもいた。だが、現物を目の前にして、ここから始まりだと考えると、チャカの思考は凍り付いた。

 あまつさえ、かつての勝利すら。

 百人で倒した"邪神"を、たった四人で倒すのに必要なことは――

 無理だ。

 勝てる設定の相手だから、勝てたのだ。仲間が百人だった、物量で挑めた。だから、勝てたのだ。

 そんな弱気が、こんこんと湧いてきた。


「やっぱり……」

 ――無理じゃないかな。

 やれないんじゃないかな、止めた方が良いんじゃないかな。そんな、否定の言葉を、どうにかこうにか、途中で飲み込んで、濁して。

 深呼吸。小さな胸に、大きく息を吸って、吐いて。弱気の虫を追い出す作業。こいつとも長いつきあいだと思うと、全く本当に、分かりやすい奴だ、とチャカは感じた。

 声に出す。決意を表す。


「やっぱり、真正面から……やるしかない」

 チャカ達は、見知らぬダンジョンも、見知らぬBOSSも、何度も、何度でも戦ってきた、戦い抜いてきた。

「初見、未見、ソロ、いっぱい有ったね」

 その全部に『勝って』来た――かつて、彼の世で。

「でも、全部やって来た。なんだかんだで、クリアして来た」

 ――たとえそれが、私にとっては仮想であったとしても。

「だから、やっぱり正面から、やるしかない」

 ――この世界のワタシにとっては、仮想ではない。

「それ以外の方法は、(ワタシ)は知らない」私は知らない。ワタシも知らない。だから、知っている方法で解決するしかないのだ。

「行こう。ワタシ達は、やれる」

「ま、まぁ、待て」

 ふむ、と神妙な顔をして、ナイトウが言った。

「お、俺に策がある」

 ナイトウが断言した。


「チャカよぅ、"邪神"の――こうなる前の、"邪神"のやり口は覚えてるけ?」

 ナイトウは記憶の片隅に引っかかっていた、楽しかった記憶を穿り返した。


「……一応」

「ずいぶんと人数が多かったから、ざ、雑な攻撃ばっかりだったけれどよ」

 "邪神"は相当怪しげな動きを――洗練されていない攻撃を繰り出していた。途中まで、AI事態が雑な出来なのではないかと、ナイトウは思っていたモノだ。


「割と"適当"な行動を取るっていうのも、AIじゃ面倒くさい話だべ。大体、大まかに、ここはこうだ、あそこはああだ、っていう適当さは、実際に表現する事が……け、結構難しいんだ」

 洗練されていなかったとはいえ、その全てが、相応に適している回答を導き出すのは、AIでは難しい。


「せ、"戦士"の前に、"魔法使い"や"聖職者"を狙って潰すルーチンは、組めないわけじゃあないけどよ、"戦士"の隙を縫って攻撃するのと、"魔法使い"の攻撃の重みを考えて、潰しに行くのと、"聖職者"の回復を潰して、状況展開を優位にするのは、単純な三択問題じゃあねぇべ」

 三択問題でもなく。単純な条件分岐で行動を決める訳でもない、妥当な行動。


 ――あれは、ひどく、人間くさい動きだった。

 人だからこそ、無限の選択肢の中から、一つの良手を選ぶことが可能だ。


「今思うと、あいつは、"邪神"は、"人間"が操ってたんだべ。多分な」

 ナイトウの声音が、硬いものに変わった。人だったのだ。もっと早くに気がついてもおかしくは無かった。だったら、もっと楽しめたろうに、とナイトウは過去を振り返ることをやめた。



 ――ここからは、どこかのだれかを、傷つけて、葬り去る為の話し合いだ。



「……"邪神"は、人なの?」

「んだ、人だ。人の心を持ってて、人の味方をしない相手だ」

 ナイトウにとっての人間《NPC》と、"邪神"にとっての魔物《MOB》は、同義に近いだろう。そう考えるとひどく、憂鬱な気分となる。


「そ、そうだろ、ヒゲ」

「ソッス」

 筋肉達磨が、ヒゲダルマが、肯定した。


 チャカが、ナイトウを見た。表情が見えなかった。

 太陽が登り始めていた。

 逆光に照らされてナイトウの表情は、三人からは、もう良く判らない。


「人だから、オレは、"邪神"をハメ殺す。パターンに嵌めて、嵌め殺す」

「"人"相手に――」

 先ほどナイトウは、単純じゃないから邪神は人間だ、と断言したばかりではないか。

「そんなことが、出来るの?」

 無茶な事を言っているように、チャカには思えた。

「ど、どんだけ、ニンゲンであっても、パターンは、く、癖は、存在するんだべ」

 人間臭い動きだから、単純なパターンに追い込める。最終的に、無意識的な"癖"に、行き着く。


「だ、だから、俺たちが……いや、俺が、邪神をヤるのに、必要なのは……まず(・・)必要なのは、取り巻きの排除だ」

 ナイトウは推測する。

 もし、一人この世で、"邪神"の役回りを振られたら、自分ならどうするか。

 辺りに人間は誰も居ない。人は居ない。

 ならば、どうする?

 判っているのは、自分が先ほどまで演じていた"邪神"である事だけだ。


「まず、間違いなく、邪神は取り巻きをつれている」

 孤独は、だめだ。

 孤独であることは、それだけで心が削れていく。

 他人が、必要だ。その他人を、どこから得る。

 "英雄プレイヤー"は可能かと考える。すぐに無理だと思い当たる。

 少なくとも、体感時間で目覚めたばかりの時に、さっきまで『遊び』とはいえ、殴り合っていた相手と即座に打ち解けようと考える事は、出来ないのではないか。

 そもそも、目が覚めた時点では一人――いや、一人ではない。"絶望の迷宮"には、英雄と邪神以外にもう一つ集団が存在していたはずだ。

 MOBだ。


「取り巻きなんて、居なかったろ?」

「いんや、タイタン。だって、"邪神"だべ? オレらが"英雄"であるのと同じだべ」

 タイタンも、疑問を投げかけ、即座の反論に納得する。

 英雄にはNPCがついていたように(多少の異論は有るかもしれないが)、邪神にはMOBがついている。おそらく、確実に。邪神は彼らの神だ。邪神には、MOBがついている。


 そして――

 ナイトウがこの世でやってきて、わかった事が何個かある。

 魔物とはいえ、空中からわいてくるようなものではないことだ。

 いや、実際にはチャカの"骨"やら、なんやら、なにもないところから湧き出すMOBも、居なくはないが。


再湧き(・・・)は、無ぇ」

 邪神の取り巻きは、殺ってしまえば、再び湧きだす事はない。

「だから、その辺りは、全部オレに任せとけ。オレがやる。取り巻きは、全部、範囲に巻き込んで、列車して、どーん、だ」

 異論は許さねぇ、とナイトウは付け加えた。


「だぁら、その間。お前らは暫く……八分間、"邪神"だけをなんとか抑えてくれればええ。本体だけを途中で引っこ抜いて、四百八十秒だ。それで、ええ」

 タイタンが、一歩踏み出して、ナイトウの肩をつかんだ。


「抱えるだけなら、俺一人でも持てる……が、それだけでいいのか?」

「ああ、処理が終わった後は、オレに任せてくれればええ」

「……おい、ざけるなよ。そりゃ」

 いつでも真夏のはずのサイハテは、暗く、寒い。


「ナイトウ、おまえは『自分一人で十分だ』とでもいいたいのかよ」

「だべ。パターン化と、ハメ殺しは、出来れば一人ソロが一番ええ」

「マジかよ……」

 信じられない話を聞いた、と、タイタンは空を仰いだ。

 とても、暗かった。


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