第一話 誰も知らない英雄譚(終)
秋色空に収穫も終わり、普通の年で普通の都市なら祭りの時期だ。
ここはバイカ、旧オウレンの首都バイカ。
魔都と呼ばれる程には普通でなく、今年は特に普通で無い。
三月ほど前には大火で"向日葵街"が焼け落ちて、一月前にはフェネクとの小競り合い。
まぁ、よくもまぁ、未だによく持っている。
よく持っているものの、問題は山積みだ。
目下の問題は、難民だ。半ば壊れた市門に列を成して並ぶ、小汚い奴等だ。奴等が一通の文を取り出して、そいつを確認したら十字に交差させた長槍を下ろして、通す。
「通れ」
ペッと唾を吐いて、衛兵は愚痴の代わりとする。
衛兵とて、人間だ。だから、助けを求める真っ当な民は、できればまぁ、助けてやりたい。その程度の人情味は、魔都の衛兵とて持っている。
しかも、今年は街周辺の魔物達は例年に比べ、いかにも少ない。
市壁がこれだけ荒れた今でも、うまくやればやれるかもしれない。いや、やってやれない事は無いのではないか。
しかし、こんな怪しい奴等を、どうして通さねばならぬのだ。
これは――今の街の支配者が、通せと言うから通すのだ。
街の子供でも判っている。
門を守る、厳つい衛兵でも判っている。
バイカの人の数が多すぎる事は、誰でもわかっている。
このままでは、街が冬を超えれれば御の字だ。
で、この街は良いとしよう。周辺の街は、村は? 引いたはずのフェネックは?
考えれば考えるほど、これ以上の街へ難民のの受け入れは辞めておいた方がよい。
結局の所、これ以上は駄目だ。
人情はある。人だからだ。
だが、人情では飯は食えぬ。
霞で人は生きられぬ。駄目だ、駄目だ。おれが食えぬのは駄目だ。おれ達が食えぬのは駄目だ。
駄目なのだ。だが――
トワ姫様は、受け入れる。優しい姫様は受け入れる。可哀想だから、受け入れる。
今じゃ、誰でもわかってる。
トワ姫様は、駄目姫様じゃぁ。道理のわからぬ、駄目姫じゃ。
「駄目だ、駄目だ、駄目姫様じゃあ……世間知らずの駄目姫様じゃぁ。世の道理がわかっておらぬ……」
町人達は噂する。噂は誰の耳にも入る。
判らず屋の駄目姫と、トワの耳にも当然はいる。
そんなこたぁ――トワとて判っている。
「ヴァー……」
凡そ年頃の娘が上げて良いとは思えぬ声を上げて、トワは机に伸びた。
「しかし、これはもう、苛立たしいというかなんというか……」
大量の難民がバイカに流入しているのが、トワの当面の頭痛の種だ。
トワは殊更、駄目と言われる程、頭の出来が悪い訳ではない。
少なくとも、周辺のぼんくらどもよりは、よほどましな血の巡りをしている。
当然の事ながら、都市の養える人口というものは有る程度決まっている事ぐらいは、百も承知だ。
『世間知らず』と噂が広がる前から、半月ほど前から急に流入し始めた彼らの数が、馬鹿に出来ない事ぐらいは、当然の如く把握していた。
早めの対処が必要である。
一番簡単な対処は、さっさと門扉を硬く閉め、とっとと彼らを追い返す事だ。
食い物の総量は決まっている。
自分の領地の領民を――この場合は、バイカの市民達を飢えさせる事を避けねばならない。
パンとサーカス。
この二つが出来ていれば、領主としては問題ない。
最悪、パンの方をなんとかすれば良い。
極論すると、それ以外の事は、どうでもいいのだ。
トワはバイカ市民の事を真っ先に考えて、それ以外はどうでも良いと投げ捨てねばならなかったのだ。
そんなこたぁ、判ってる。
「判ってる。でも何で、あの子の名前入りの書簡を持ってるの……」
平たく言うと"英雄"の名前入りの亡命申請書。増える難民達が、大体こいつを持っていたから、タチが悪い。
トワは『正解』を選べなくなって、別の方法を考えなければならなくなった。
本当に、タチが悪い。羽ペンにインク壷、くるくると指先で回しつつ。
トワはどうにもこうにも上手く回らぬ街事情に、頭を悩ませる。
悩んだついでに――そういえば。
彼ら……いや、彼女ら? あの、性別さえ危ういヤツラは、今頃一体何をしているんだろうか。
「私に難題を押し付けて……ッ!」
トワと同じ空を見ているはずなのに、トワと同じものは見えていなかったヤツラは一体どうしているのだろうか。同じ音が聞こえているはずだが、同じ音が聞こえていない奴らは、一体どうなったのだろうか。
邪神を倒す。
そういって彼らはバイカを、街を去った。
「疫病神か、何かの類じゃないのかしら……」
言いがかりも甚だしいことは判っている。
しかし、まぁ。トワが彼らに関わった時から一気に状況が動き出した。
「"英雄"達が出て行ったのは、良かったのやら悪かったのやら」
なんだかんだで現領主の力は大分殺げた。殺いだ部分にトワは色々と入り込めた。
その辺りの美味い所を全部掻っ攫えたのは、"英雄"の力が大きいとは思う。
だからこそ、暫く前までは、手元において思うままに操る事を考えていたが――
「ぶっちゃけ、繰り辛い事この上なかったですし……」
取った手段が、うまい飯なり暖かい寝床なり、女なり金なり、書やら騎士爵やら何やら。
考え付く限りのアレコレはまぁまぁ成功、なんとなく失敗。恩義は感じていたようだが、それ以上に何かがあった訳でもなく。トワがどうこう出来たか言われると、どうもこうも出来なかった訳で。
彼らは俗物のようで、俗に染まりきらず。貴人に見えて、貴人でもなんでもない。目的が無いように見えて、目的が有ったようにも見えた。
「どうでもいいですわねー」
トワには良くわからない。
まぁ、そもそも、トワによくわかる人間など、此の世にそんなに多くない。
それに、手元から離れた駒は――
「どうでも良くない……報告は以上」
いつの間にか、トワの背後にいたカノが注意を促す。問題に熱中する余り、カノの報告やら何やらかんやら、全部が全部、上の空であった。
「あ、ごめんなさい。もう一度説明をお願いします」
「なんどでも。理解できるまで」
「ほんとまぁ、本当に"英雄"がいるなら、パパァーっと解決してくれないかしら、ねぇ」
困ったお姫様が居るなら、ステキな王子様が助けてくれるのが良くある話じゃないかしらと、トワはボケた事を言い放つ。
ま、世迷い事だ。
死にたいと言う奴に、本当に死にたい輩が少ない様に――別段誰かに助けてもらわなくても、トワはトワ自身の才覚でなんとかするつもりである。
「……ヴァー」
「姫様、だらしない」
まだまだだ、と己の未熟を自嘲しつつ、トワは飴細工の様に机にへばり付く。
大体まぁ、既に頼れる手下は居るではないか。カノなりヤーマなりの百合騎士団らだ。
少し隊員こそ減ったが、幾人か欠けたが、まぁそれは良い。
トワにとって周辺の人が増えたり減ったりすることは当然で、よく有ることだ。
よく有ることなので、大して気にかけなかった。
室内に異形異装の怪人が潜んでいようと、気にすらかけていなかった。
「……拙者、お主のケツの穴の広さに驚きを隠せないで汚JAL。ファッキンビッチアスホールで汚JAL」
「あら、いらっしゃったの」
「先ほどから居たで汚JAL」
異装異形の怪人は、結跏趺坐に組んだ足の裏をぼりぼりとかきながら、目を見開いた。
人であって、人の外。そんな奇怪な怪人を前に、トワは変わらぬ態度を取る。
「拙者、矢張りお主らとは――」
「あら、シゴさん。私もその点同感ですが、取りあえず――食べた飯の分は働いて頂きたい所ですわ」
トワは言葉を遮る。うぐぅ、と詰まる怪人を視界の端に入れて、物憂げに続けた。
「向日葵の辺りの治安。全然良くなってない」
「ぐぅ」
「周辺のムラの状況とか全然伝わってない」
「むぅ」
「壊した市壁と門と、町並みの修繕が全然進んでない」
「要求が過剰で汚JALよ!?」
ゲンナリとした声も、トワには関係が無い。げんなりだけならこの場の誰にも負けない。
「あら、ギブとテイクの問題でそれを言います? 貴方は頼んだ、私は果たした。私は頼んだ、貴方は果たしてない。そもそも、あなた方が壊した物が多すぎて、大分大負けに負けた結果を告げてるだけですけれど――」
「……ギブ」
「まぁ、文句が有るなら耳をそろえて、全額きっかり払う物は払って貰いましょうか」
「判ったで汚JALよ、耳をそろえりゃいいんで汚JALなぁ!?」
「両耳を削いで渡すとか、そういうの私得意じゃないんで」
ケジメやらエンコも嫌いですから、私、とトワは続けて言う。
「大体、一人の命程度で償えるモノなんて、たかが知れてるんです」
建物も、食い物も、衝動的に失われる命では作れないのだ。命は効率的に搾り取らないと、何も生み出さないのだ。
長く、上手く、回る世界を作る為に必要なのは優しさだ、畜生め。
「つまり、私が必要としているのは、うまぁーく、ながぁーく使えて、手入れのし安い、馬車馬程度に有能な人材なんです」
彼らは手入れがし辛く、扱いが難しく、破天荒過ぎる。やはり、そういう観点からすると"英雄"など不要と、トワは自分の中で結論付けた。
「魔物やら、邪神やら、そういうのが無けりゃ貴方は不要なんですけどねぇ」
「やっぱり拙者、お主とはウマが合わんで汚JA……」
トワを指さして糾弾しようとした途中でシゴが硬直。
「そも、貴方から言い出した事でしょう。適度に隠れて住める場所と、暖かい飯の要求は――」
「始まったで汚JAL」
――始まった。何が始まったかはよく判らないが、とにかく始まった。
シゴは己の変態的第六感を信じている。
その第六感が告げるのだ。
始まった、と。
だが、シゴにとっては、ある種どうでも良い事である。
「何が、ですか?」
「……どうでもいいことで汚JALな。お主にとっても、拙者にとっても」
シゴにとっては口惜しい事だが、この場からでは関与はできぬ。
シゴにとっては、イベント外の出来事だ。
「それじゃ、小言をこれ以上言われる前に拙者は退散するで汚JALよ」
ひらりと開いた窓から身を投げ出す前に、シゴは遥か東の空を見る。
自分を拒絶した、彼女達は一体どうなったのか。確かにそいつは重大事だ。
だが、今、シゴがそれを考えると、胸をじくじくとした、言い表し辛い不快感が襲う。
心の臓の中をこねくり回されるような、言い表しがたい不快感だ。
かすかに、黒い雲が脈動したようであった。
――タイヨウの照り付けが厳しいと、カミサマはクルシイ。
だから、子蜘蛛達は自分達の糸で織った羽衣を作って、六対十二本の腕と、二対の足を持つ神様に掛けた。
『カミサマ はやく もどって こない かな』
子牛の頭を股座に生やした、"六本腕"の子供達も毎日祈る。鉛色の肌は、つやつやてかてかときらめいて、毎日祈る毎に厳しい光を、優しい闇で覆ってくれた。
大人たちは皆、カミサマの国を作る為に悪いニンゲン達をやっつけに行った。
残っているのは、"巫女"と、戦う力のない子供と、老いた者達だけだ。
きっともうすぐ、戻ってくるよ――
――なんで?
だってこんなにも、世界が真っ暗なんだもん――
――カミサマ、早く、戻ってこないかな
ああ、はやく――
ギィッ、という声で、ネットワークが断絶。残された"奈落蜘蛛"の子供は鋭い悲鳴を上げた。キイィ、と。紛れもなく、悲鳴だ。
悲しみと、怒りと、無念が混じった悲鳴だ。それは、彼らが何が起きたのかを正確に把握したからだ。
理不尽だ。
理不尽が襲ってきたのだ。
炎の弾丸が何発も何発も何発も何発も何発も、"神"の周りに着弾し、炸裂し、爆裂し、抉り、吹き飛ばし、そいつらが自分達に"死ね"と拒絶のメッセージを突きつけて来るのだ。
『だれ だ!?』
六本腕が声を上げた。吹き飛んだ。吹き飛ばした者は、だれだ。
ニンゲンだ。
ニンゲンはとても恐ろしい姿だった。
半身が灰色に染まったニンゲンは、体長こそは巫女の半分もない。極少数の例外を除き、大きさこそが力に繋がっている、魔物達からしてみると、ちっぽけな存在であった。
それなのに。
理不尽であった。ルールの外だ。理解の外だ。
大きくないのに何故強い。小さいのに何故強い。
ニンゲンの魔杖が炎を纏い、打ち下ろされる度に、辺りが弾ける。飛ぶ。
一際ゆっくりと白く燃える火の玉が、カミサマの隣にいた巫女の腹に当たって、裂けた。白い炎と、白い血と、ぬめった中身が飛び散った。ゆっくりと。
あっと言う間だ。"六本腕"風に言うならば『三つ胞子を撒く』間。手際がよすぎる。狩り慣れすぎている。
確かに、それは、悪い伝説にある、ニンゲンの――
――エイユウ
マホウツカイ――
――ナイトウ!!
親を、子を、友を、仲間を、祖先を、同胞を、ありとあらゆる縁者を、殺して殺して殺して殺して廻った、理不尽!! 暴虐の主!!
今や阻む者は誰も居ない。眠っている神を守るものは誰も居ない。いや、誰かが守るのではない。
――カミサマ、 カミサマを――
ボクたちを―― ――ボクたちが
――守って 守らなきゃ――
そのとき、その場にいた全ての魔物達が同調した。
戦えないはずの子蜘蛛も、老いて腕が曲がった六本腕も、兜が凹んだ鎧も、その場にいたありとあらゆる魔の眷属達が、繋がり、外敵に対して戦闘態勢に移行したのであった。
――灰色の男、ただ一人に向かって。




