記憶への旅 ーサマル・モンタナ
エノク・メート博士。
聞いたことのない名前だが、その名は知識としては僕の頭の中に存在していた。
遥か昔、古代のユーグリッド連合王国に属する小国の科学技術者だった男。そしてその後、このスーパーコンピューターを開発し、世界中に巨大な情報ネットワークを構築することに成功した人物。
当時「世界をひとつにした天才」と呼ばれた異端中の異端だ。
しかし、その華々しい栄光とは裏腹に、晩年は不遇に見舞われたと記憶にはある。
その詳細は不明なのか、それとも意図的に伏せられているのか……とにかく、『知恵の実』の元データであると思われる人物の生涯が、僕とサマルの記憶に殆どないというのは、考えるまでもなく、おかしな話だった。
「そうか……エノク博士の人格までも、あの実にはデータとして入っていたのか。ということは、ほぼ間違いなく、あの実はエノク博士の遺物…発明品ということだな? そして、それを所持していたジースも…」
「うん。おそらく、そうだろうね…彼の手の者だろう。どうして、そんなことをしていたのかはわからないけれど……」
サマルはそう言った。そのサマルの言葉からは、どこか寂しさが滲んでいる。その気持ちも、全てを思い出した僕には、痛いほどわかった。
サマルがそう思うのと同様に、僕もジースを最後まで信じていたい。
だから、
「まぁ、ジースにも色々と事情があったんだろ」
と僕は努めて明るく言い、タバコをふかした。
そうなのだ。知りもしないことを、想像だけで後ろ向きに捉えてはいけない。
僕達は今起きていることにきちんと目を向け、この先の対策を考えなければならないのだから。
今はそうする他ない。だから、そうできるように……前向きに。
そして、その先にジースの本当の気持ちが見出せれば、結果はどうあれ、それでいいじゃないか。
それでサマルも
「事情…か……そうだね。考えてみれば、僕だって事情があってラシェットを巻き込んだんだもんね。それと同じだ」
と、明るく言ってくれた。
「ははは、その当の僕の前でよくも言うな。…でも、そうだよ。だからこそ、僕達はジースに悪意を向けるのを、少し立ち止まって考えなければいけない。彼があれを僕達に与えた「本当の意味」も含めて…な」
「うん…だね。僕も、ジースがただ僕を苦しめるためだけに、あんなことをしたんじゃないって、心の奥底では思ってる。もちろん、ただ無闇にこの知識を僕達に与えたっていうことでもないだろうし。でも……だとすると考えられる彼の目的は…?」
「それなら、僕に一つ、心当たりがある」
僕は手を挙げて言った。
それはつい昨日、バルスから聞いた話に関係していた。僕はその情報をサマルとも共有した方がいいと判断したのだ。僕は話を続ける。
「ま、というか、そのくらいしか思いつかないというが本当のところだけどな。それこそ、ジースが僕達に託した<次>というのは、エノク・ メート博士の志と同じ…」
「新世界の創造……かい?」
そこでサマルが言った。
僕はその言葉を聞き少し驚いたが、サマルと目を合わせて頷く。
どうやら、僕達の心はまた、ゆっくりとだが、当時と同じように通い始めたらしい。それが例え、コピー体とだろうとなんだろうと、僕には嬉かった。
「なんだ。やはり…お前も知ってたんだな? サマル。なら、お前がその現実の体を乗っ取られる前に姿を消し、自殺しようと考えたのも、新世界の創造を阻止するためか?」
「ああ。そうだよ。あのままではいづれ、僕の中にいるエノクをショットに悟られてしまうからね。もし、そんなことになってしまったら、もう決してこの世界では揃うことのないはずだった『守人』と、スーパーコンピューターを完璧に駆使することのできる『知能』が出会ってしまうということになるからね。それだけはどうしても避けなければならなかった」
「そうか……ん? でも、待ってくれ。それってちょっと…考えてみれば、色々と変じゃないか?」
そこで僕はすごく引っ掛かりを覚えたのでそう言った。
なぜなら、
「確かにショットに、これ以上その科学技術の知識を利用されるは危険だとは思う。けど、ショットはアストリアの唯一の守人にして、「新世界反対派」の中心を担ってきた人物のはずだろう? 少なくとも僕はそう理解しているんだが……そんな男が、果たして新世界を作ろうなんて思うか? アストリアの現国王ジョシュア4世にしたって、ただこの世界における、かつてのアストリアの栄光を取り戻したいだけなんだろう?」
と、サマルの懸念に対し、素朴な疑問を持ったからだ。
僕のその質問に、サマルは眉間に皺を寄せる。そして、やがて小さく首を横に振ると、
「いや、それがどうもそうじゃないみたいなんだ」
と、また静かに語り始めた。
「ラシェット。ショットはね、確かに新世界を作ろうとしている。もちろん、この僕を使ってね」
と。それは、僕の予想していなかった答えだった。
「は? そ、そんな! それじゃあ、今までやってきたことと全然逆じゃないか」
「いや、ラシェット。その見解は最もだけど、違うらしいんだ。……これはね、まだ僕自身も証拠を掴んだわけじゃなく、一年間ショットのおしゃべりに付き合った結果から思い至った、ただの勘なんだけど……」
「あ、ああ……」
「ショットはこの世界を心の底から憎んでいるんだ。本当に……今の全世界を焦土と化してもまだ飽きたりないほどにね」
「なっ……」
僕はサマルの言葉に息を呑んだ。しかし、すぐに信じられない気持ちが湧いてくる。
それは、僕がショットと話していた時の印象から来ていた。
僕の印象では、むしろショットは今の世界のことなど「どうでもいい」「なんとも思っていない」と、ずっと斜に構え、ふざけた態度で通していたように思っていたからだ。
その態度は、とても憎しみや悲しみなんて感情とは遠い所にあるものだと思っていたのに……あれはショットの本心ではない、ただのポーズだったとでもいうのか?
「驚いているみたいだね? 無理もないよ。やつは本心を隠すのがとてもうまいんだ。また、そのためにあんな道化みたいな怪しげな態度をいつも選択している……だからこそ、彼はずっと、何千年もアストリアの歴代の王達を欺き、殺されずに済んできたんだよ。そしてチャンスを待った。自分と一緒に新世界を創造し得る「資格」を持った人物が現れるのをね……」
サマルの目つきが鋭くなった。それを見て僕も頭がチリチリしてくるのを感じる。
「資格を持つ者…それが、サマル。お前だったっていうのか?」
「ううん。正確に言うと僕と君だ。ラシェット。ジースに選ばれ、あの実を食べてしまったね……」
「……そうか、なるほどね。ジース・マグノアリア……それに、ジース・ショット……」
僕は気が付くと、俯き、つぶやいていた。
まだ全然頭の整理がつかない。だんだんと、サマルの行動の意味は理解できてきていた。でも、まだまだ疑問は多く残っている。それは大きな疑問から、小さな疑問まで様々だ。
それを僕は自分で考えるべきところは自分で考え、聞かなければわからないことはサマルに聞くことにし、またぽつりぽつりと言葉を発し始める。
「では、あのジースとショットは、結局のところ行き着く目的は一緒だったってことか? やはり同じ意思を持って動いていたと?」
「いや、それはわからない。まだまだ未確認だよ。しかし、ショットは僕達が知恵の実を食べた事実に気がついていないのだから、必ずしも目的が一致しているということはないと思う。まぁ、現状における推測では、だけどね」
「うむ……それと、もう一つわからないことがある。それは、ショットがもし本当にこの世界を憎んでいるのなら、新世界を創るということはその感情からはちょっとズレているんじゃないかってことだ。というのも、僕はある人から、新世界はこの今の世界を壊さなくても創造できる、いわば「もう一つの世界」みたいなものだと聞いたからなんだが……」
「ふむ……なるほどね」
そう言うとサマルは手を顎に当て、目を細めた。そして、少し考え込んだ後、
「でも、それはかなり理想論に近いね」
と言う。
「理想論? 現実的ではないということか?」
「そうさ。まさに、現実的ではない。たとえ、今この仮想現実を作り出しているコンピューターのデータベース、DNA情報、歴史、人々の記憶、そして守人と遺跡の力を使ったとしても、一から別の世界を創るなんて出来ないに決まっている。それはつまり一から別の「宇宙」を創るということに等しいからね。理論はあっても、そんなエネルギーなんてこの世界中の何処にもありはしない」
「う、宇宙を創る…? エネルギー?」
「そう。だって、そうだろう? この世界を維持したまま次に行くなんてことは、そうでもしないと不可能だからね。もしくはずっと遠い未来に行くか、古代に行くかしたら、それはガラッと世界を変えることになるかもしれないけど。でも、その場合はあくまでその時代に言った「その人個人の体験」にしかならないしね。新世界を「創る」とは言えない」
そうサマルはさも当たり前かのように言った。
僕はその話になんとかついていく。それができるのは、あの実の記憶が僕の中にある証拠でもあるかもしれない。僕はとにかく疑問点を見つけ、口を動かし続ける。
「な、なら……そんな机上の空論を実現するためにショットは行動しているというのか? そんなこと……とてもじゃないが」
「うん。ショットらしくないね。だから彼はそんな理想論はかなぐり捨てて、より現実的な方法を取ろうと考えているんだろう。僕はその危険性を考えた。つまり……土台を使って、その上に新世界を創るのさ」
「土台を使う? そ、それって……その土台って、まさか……」
「そう。この今の世界のことさ。一から創るのでなければ、この世界にあるエネルギーだけでも何とか事足りるだろうからね」
と、サマルは事も無げに言った。
それに、僕はついカッとなって
「そんなっ、簡単に言うなよ! そんなの、勝手過ぎるだろう! 何の恨みがあるか知らないけど、関係ない人を次から次へと巻き込んでっ! それじゃあ……それじゃあ、まるで世界を滅ぼすのと変わらないじゃないか……」
と叫んだが、その途中で
「あっ……」
と、ふと気がついてしまった。
「……そうか……だからサマル、お前は死のうと思ったんだな……?」
と。
そう思うと僕は、立ち上がろうと思って立てた膝を折り、がっくりと肩を落とした。
けれど、そんな僕の様子を見て、サマルは微笑む。
僕には、その顔がとても満足そうな顔に見えた。
そのせいで……なんだかちょっと泣けてきてしまった。
でも、涙だけは見せまいとグッと奥歯を噛み、なんとか踏み止まった。
「バカかよ…お前は……バカバカしいにも程があるだろ。そんな本当かもわからないオカルトじみた話で……お前が死ぬ価値なんてない……」
僕は言った。でも、サマルはまた誤魔化すように笑って言う。
「ははは。僕もそう思うよ。でもさ、本当にやばいっていうのは、他でもない、この僕が一番わかっちゃってるからさ。これが一番手っ取り早いなって思ったんだ。そして、僕の次に危険な君にも、このことはどうしても伝えなきゃならなかった。たぶん、君は僕みたいに体を乗っ取られる心配はないと思ったしね」
「食べた実の量が違うと知ったからか?」
「そうさ。ま、ちょっと賭けだったけどね。でも、僕はジースを…」
「ああ。信じていたんだろう? こんな副作用が出るなんて、彼もきっと知らなかったんだろうって。なにせ、あいつは初めて実を食べさせたと言っていたし、まさかあの実をおかわりするバカがいるだなんて、思いもしなかっただろうからな」
「ははは、そうだね。それは間違いないね」
サマルは僕の言葉に、とても愉快そうに笑った。
でも、やっぱり僕は全く笑えなかった。
それは、それでもなお、僕には彼の取った選択がどうしても容認できなかったからだ。
なんで、先に一言相談してくれなかった。
なんで、僕に助けてくれって言わない……。
そう思うと、僕は黙ってしまった。
すると、やっと笑い終わったサマルがこちらを向き、
「ありがとう。ラシェット、僕のために怒ってくれて」
と言ったのだ。
僕はその言い草はズルいと思った。
「それだけで、僕はもう十分って気がするよ」
「うるさいっ、僕はそんな言葉なんて、聞きたくない」
けど、僕はその言葉を突っぱねる。それが、やはり本当の思いだったから。
「へへっ。本当に昔っから、何にも変わってないね、ラシェットは……羨ましいほどに。でも、なんだかとてもホッとするよ」
そう言われても、僕は返事をしなかった。
「変わっていないのは、お前も一緒だろ、サマル…」
と、心の中で思いながら。
しかし、そんなことを言われると、僕はもう居ても立ってもいられない気持ちになってきていた。
だから…
「サマル、教えてくれ。お前は何処に向かった?」
と、気が付くとまた同じことをサマルに向かって聞いていた。
その言葉に込められた感情に気がついたのか、サマルは目を見開き、そしてすぐにまた目を細める。
「ラシェット……」
「何を戸惑っているんだ? サマル。これは手紙で書いてあった頼みだろう? さぁ、早く教えてくれよ。今すぐ、お前を迎えに行ってやる。そして、その腐った頭をぶん殴って、目を覚まさせてやる。ショットだってな……僕が……きっと僕が始末する。そうすれば、万事解決なんだろう?」
僕がサマルに向かって強い口調で言うと、彼は久しぶりに困った顔になってしまった。けど、僕も引くつもりはない。サマルの事情を知った今、やはりそれしかないのだと、僕は再確認した。それだけなのだ。
そう。あの日、サマルからの手紙を初めて読んだ日に思った……あの時の気持ち。それは今も変わっていない。
「サマル。お前は島に向かったんだろう? どこの島だ?」
「……ふぅ、『記憶の遺跡』、この世界のさらに古い記録を守っているといわれている遺跡のある、移動式の人工島だよ……僕はそこに行こうと思っていた。そこで死のうとね……場所は、ナン大陸の遥か北の海域から、ジュノーの周囲にかけてのところ。その島はそこを不規則なルートで周回していると知った」
サマルは観念したように言う。元々、それを教えるつもりでここで待っていたはずなのだが、サマルの意図とは違う方向へ僕が動き始めようとしているのか、口が重そうだった。
「わかった……僕はそこに行けばいいんだな?」
「うん。でもね、そんなに簡単な話じゃないんだ。その島には、気候を自由にコントロールする力が備わっていて、常に大きな嵐に取り囲まれている。だから飛行機では、侵入が難しい……」
大きな嵐?
それを聞き僕は昔、ラウル爺さんから聞いた島の事を朧げながら思い出した。だが、その可能性は後で考えることにし、今はサマルとの話を優先して続ける。
「そうか。じゃあ、サマル。お前はどうやってその島に行くつもりだったんだ?」
「それはね……小型の潜水艦を使おうと思っていた」
「潜水艦?」
僕はそれを聞き、また記憶を探る。ああ、あれのことかと。海中に沈み移動する艦のことだ。
「なるほどな。でも、それをどうやって? まさか、それもあのヘリコプターと同様、ショットに作られたのか?」
「ううん。それにはちょっと時間が足りなかったんだ。だから、リッツに協力してもらった」
「……リッツ王子に?」
僕はその名前が出てきたことに、少し警戒し、体を強張らせる。しかし、サマルは特になんとも思っていないらしく話を続ける。
「そうさ。昔の資料を紐解いてね、ボートバルに発掘してもらったんだよ。とある大型潜水艦をね。それの、脱出用の小型潜水艦を用意してもらう予定だった。まぁ、うまくいったかどうかはわからないけどね」
サマルは言う。それに僕は、そうかと言うが、ちょっと引っ掛かるところがあった。それは、そんなものを発掘してしまって、本当に良かったのかと言うことだ。しかも、ボートバル帝国の手に与えてしまって……サマルなら、そのくらいの考えには至るはずなのに、それについての言及もない。
それは僕には大いに気掛かりだった。
「なぁ、本当にそこまでしなきゃいけなかったのか? こんなことを言うのは、言葉にするだけでも胸糞悪いけど、そんな島に行かなくとも、別にこの城で死ぬ気になれば、いつでも死ねたんじゃないのか?」
そこで僕は遠回しにそんなことを言ってみた。
しかし、サマルの反応は薄い。そして、サマルは
「そうか……」
と呟く。
「君はまだナーウッドから、そのことは聞いていなかったんだね?」
「ん? ナーウッドから? いや、うん。別に何も……」
「そっか……」
僕が怪訝な顔をすると、サマルはそう言って立ち上がった。そうして、僕を見下ろし、
「僕はね。死ねない体になってしまったんだ。歳も取らない。傷も負わない……万が一傷を負ったとしても、すぐに再生するだろう。ラシェット……僕はね、オリハルコンを飲んだんだよ」
と言った。
「オリハルコンを……飲んだ…!?」
僕はその言葉を聞き、瞬時にオリハルコンについての記憶を辿る。すると、すぐにその結論が出てきた。すなわち、
「オリハルコンは人体には劇物であり、服用すると、数分で死に至る……そのはずじゃあ…」
ということだった。それにはサマルも同意してくれる。しかし、サマルにはさらなる知識があった。
「そう。通常ならね。しかし、過去には何例か生存例が存在する。それこそ、遥か古代の記憶にしかないものだけど、かつてオリハルコンを飲み、それを克服した人間は、大国にとっても途轍もない脅威になったとあった……」
「脅威……死ねない体…? しかもそれを乗っ取られようとしている? そして、その精神はきっと、やがて…」
僕はサマルの身について、すぐに考える。
しかし、それはどう考えても最悪のシナリオに行き着くものばかりだった。だから、僕はその先を口にできず、言葉に詰まってしまった。けど、サマルは僕の考えていることを先読みし、言葉をつなぐ。
「ああ。君の考えている通り、僕がショットの精神支配に完全に負けないとも限らない。これで理解してくれただろう? だから僕は死にたかった。それもなるべく遠くで。しかも、その島には…」
「そうか…その『記憶の遺跡』にはかつてのオリハルコンについてのデータがある可能性もある。それを調べれば、より確実に死ぬことができる方法が見つかるかもしれない、って、そういうことか……?」
「そう、その通りだ。君は理解が早くて助かるよ。でもね、僕とナーウッドは既に一つ、その方法を見つけていたんだ。だから、ナーウッドにはそれを念の為に用意して貰おうと思っていた。僕がもし、ヘマをして死にきれなかった時のためにね」
サマルがそう言うと、僕もそっかと言い、その横に立った。
先ほどから吹き始めていた風が、僕とサマルの髪を揺らす。
「そうか……サマル。お前もそれなりに、ちゃんと死を覚悟していたんだな…」
沼を見下ろしながら、僕は思った。
もう、なんだか殴る気力もなくなってきてしまっていた。それは、そうだ。サマルは、僕が思っていたよりもずっと真剣なのだから。
僕とは考え方が真逆だけれど、僕には彼の考えを越える代替案はなかった。
サマルを無事に助けたとしても、その後のビジョンがない。
とりあえず、ショットのことは放っておけないだろうとは思う。
アストリアとボートバルの戦争も黙って見ているわけにもいかない。
ヤン達のこともある。リッツとナーウッドとも、一度腹を割って話さないといけない。
しかし、そうしたところで、ことサマルに関しては根本的な解決にはならないのだ。
知恵の実の効果を失くす方法を探る? 服用したオリハルコンを取り出す方法を考える?
今からそれをして、一体いつまで時間が掛かってしまうだろう……そう思うと、僕は途方に暮れそうになった。
「どうしたんだい、ラシェット? さっきまでの威勢はどこに行ったんだ? 君だって、僕が頼りにしている保険のひとつなんだからさ。シャンとしてもらわきゃ困るよ」
そんなことを考えていると、サマルがそう言った。それに僕は思わず苦笑いする。感情はもうあっちこっとに行って、ぐちゃぐちゃだ。
「はぁ…僕は所詮は「保険」かよ。じゃあ、お前はヘマせずにちゃんともう死んでいるって、自信があるんだな?」
「ああ、もちろんさ。僕はなかなか用意周到だし、いざという時はやる男だろう?」
「……ふんっ。ああ。悔しいが、その通りだよ。でも、今回ばかりはそうあって欲しくはないね」
そう言うと僕は、いつの間にか消えてしまっていたタバコをもう一度出し、火を点け、サマルにくるりと背を向けた。
そして、岩から飛び降りると、来た道を戻り始める。
ダメだ。もうここには居られない。僕の足はウズウズとし、懸命に動きたがっていた。
「行くんだね?」
サマルがそれに気が付き、僕の背中に言った。
それに僕は
「ああ。これ以上ここにいても話が平行線だろうからな。あとはこの目で確かめるだけさ」
と返す。
「そっか……じゃあ、気をつけてラシェット。幸運を」
最後にサマルはそう言ってくれた。
「ああ」
僕は振り向かず、それに返事をする。
それ以上は、サマルも引き留めることなく見送っている。
僕はその視線を背中に感じ、ちょっとだけ手を挙げて応えると、目を瞑り、静かにその場を後にした。
☆
「ありがとう。ラシェット。そして、さようなら……」
ラシェットが消えた後、サマルは虚空に向かってそう言った。
その言葉が、ラシェットの耳に入ったか、どうかはわからない。しかし、これが最後だということを、彼は確信はしていた。
「できれば……もう一度君とここで釣りがしたかったな……」
その心の声だけは、消えはしなかったけれど……
サマルは目をつぶる。
そして、また岩の端に座り、足をぶらぶらとさせた。
もはや、自分という存在がここにいる意味もない。伝えたいことは大体、ラシェットに伝えられた。彼も自分が予想していた以上に、色々な体験をし、他を巻き込み、しっかりと行動を開始していた。
さすがは、僕の親友だ……。
そうセンチメンタルな思いすら込み上げてきて、気がつけば、ちょっと泣いてしまっていた。
「これじゃあ、益々歯車が狂ったかもね。僕が以前ここのシステムを使って見た『未来予測』も、随分変わっているかもしれない。まぁ、僕もそれはあまり望ましくないことだと、思っていたけど……今日、ラシェットと会ってみて、その考えを改めた。やっぱり、僕は彼に賭けてみるよ。こんなチンケなシステムでは計り知れないものを人間は持っている……それが本当の世界ってものなんだからね」
サマルが少し大きめの声でそう言うと、それがただの独り言ではない事がわかった。
「君もそうは思わないかい?」
サマルがそう言うと、ガサガサッと、木の茂みが動いたからだ。そして、そこから一人の男が顔を見せた。
その男はずっと潜んでいて、うまく気配を消していたのか、それともつい今しがたここに来たのかはわからないが、先ほどのサマルの言葉が酷く気に入らないみたいだった。それだけは表情から、ありありと感じられた。
彼は沼に近づきながら
「そうかな? そんなに信頼に足る程の働きがラシェットくんにできるとは、僕には思えないけどねぇ? それに、やはり僕は彼が君を殺すかもしれないという『未来予測』を決して看過はできないよ。彼は僕が力づくでも止めさせてもらう。その考えに変わりはないさ」
と言う。
「ラシェットは君が思っているよりずっと強いよ。たとえ君が、ユーグリットの血を色濃く受け継ぐ者故に「あれ」が人より上手く使えたとしても……」
「ふふっ、ひどいなぁ。僕はサマル、君のために頑張っているというのにさ」
「それはわかってるよ。でも、君は結局、僕の言うことを聞いてくれなかったじゃないか。そして、ショットと取引をした。それじゃあ、僕の思いとは違う」
「いいのさ。僕は君のいなくなった世界なんてどうでもいいんだから。君さえいれば、この世界は後でどうとでもなる。作り直せばいいんだから」
「なるほどな。それが、君の本音かい? そんなこと果たして「本物の僕」の前でも言えるのかな?」
「はははは。言えるわけないだろう? サマルくんの考え方はわかっているつもりだよ。できれば、僕もその意向に沿いたいとは思っている。しかし、それで君がいなくなってしまうようであれば、僕は手段は選ばない。そのつもりだ。そのための準備も今、着々と進んでいる。僕に抜かりはないよ」
「そうか……」
「ふふっ、じゃあ、そろそろ僕も行くよ。あまりここにいると、つい長居してしまいそうになるからね。じゃあ……サマル。また会おう」
「ああ。また……」
そう言うと、男は掻き消えた。
それを振り返ることもなく知ると、サマルは予備の釣り竿を手に取り、思い切りキャストする。そして、リールをゆっくり巻きながら、
「ごめんよ……リッツ。でも、何が君をそんなに変えてしまったのか…僕にはわからないんだ」
と呟いたのだった。




