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砂漠の星 郵便飛行機乗り  作者: 降瀬さとる
第3章 ラシェット・クロード 時の試練編
84/136

決意

翌朝。


いつもより早く起きると、僕は宣言通り食堂の厨房の中に立っていた。


時刻は5時50分。

周りは朝食の準備やら、昼と夜の仕込みやらで慌ただしく、若手のコックがバタバタと動き回ったり、中堅どころのコックの怒号が飛んだりしている。


おそらく、今が彼らの一日の中で最も忙しく、そして重要なの時間だろう。

それは、いくら料理に素人の僕でもわかった。そして、この仕込み作業は僕がここに来るよりもずっと早い時間から行われているのだ。


それを見て僕は

「料理人っていうのも、大変な仕事だな」

と、レタスを手に持ちながら思う(まぁ、この世の中に大変じゃない仕事があったら教えて欲しいものだが)。昨日まで僕が飲んでいたスープなんか、一週間も煮込んでいたらしい。


ほんと、料理というのは手をかけようと思えば、いくらでも手がかけられる。

そしてそれは、ちゃんと上手な人がやれば、食材をまるで魔法をかけたみたいに美味しくすることができる、ということでもある。でも、それを下手な人がやってしまうと、必ずしも時間対美味しさの比率が、正比例するとは限らない。だから、僕みたいな素人は簡単な調理をするに限るのだ。


僕はそんな神聖なる厨房の片隅を借り、今から、いつも仕事に出発する際弁当にしていたサンドイッチを作ろうと思っていた。ハムときゅうりのサンドイッチである。材料は昨日の帰りに買ってきてあった。せっかくなのでと、普段より多めにレタス、トマトなどの野菜も買ってある。


僕はそれらの食材を間借りした冷蔵庫の隅っこから取り出し、調理台の上に乗せる。


そして、オーブンの、これまた端っこでパンを焼かせてもらい、その間にきゅうりとトマトを薄くスライスし、レタスをちぎっておく。

借りた包丁とまな板は、よく使い込まれているのに、きちんと手入れされているため新品のようにピカピカだった。

なので、なんとも言えないくらい使いやすい。

素人だというのにこんなものまで貸してもらい、僕はなんだか恐縮したが、しかしきっとここには、僕におあつらえ向きなボロボロの包丁などないのだろうと思うことにして、とりあえず、このまま気分よく使わせてもらうことにした。


パンによく焦げ目がつき、カリカリになったところで取り出して、熱いうちによくバターをぬっておく。それが済んだら、マヨネーズ、お好みでマスタードもぬり、きゅうりとハムを並べて挟む。そうして、もう片方のほうには同じくレタスとトマトを。あとはまな板の上で、ギュッと軽く押さえてあげ、それを皿に乗せたら、清潔なふきんを被せ5分ほど寝かす。そうしたら完成だ。


僕はその5分の間に、コーヒーを淹れようと思ったが、近くのコックさんに聞いたら

「コーヒーなら向こうの控室に淹れてあるから、好きなだけ飲め」

と言ってくれたので、やることがなくなってしまった。

だから、残りの食材を冷蔵庫に仕舞い、軽く片付けをする。といっても、片付けるほどの物もないので、僕はすぐに手持ち無沙汰になってしまい、結局は黙って立ったまま厨房の様子を眺め、5分過ぎるのを待った。

厨房の中は相変わらずの大騒ぎだった。


そうして、よく馴染ませたらふきんを取り、まな板の上で半分に切る。僕はその断面を見て、

「うん、なんとか今日もいつも通りにできたな」

と確認し、満足する。


それをまた皿の上に盛りつけ、使い終わった包丁とまな板を洗おうと思い、洗い場に持って行ったのだが、そこにいた洗い場担当の見習いコックが、ちらっとこちらを見るなり、

「素人に洗われちゃ困るんだよ。そこに置いときな。俺が洗っといてやるから」

とぶっきらぼうにだが言ってくれたから、僕は

「ありがとう。じゃあ、よろしくお願いします」

と言って頭を下げ彼に包丁を託すと、その場を後にし、皿とコーヒーカップを持って、控室に向かった。


控室も厨房と同じく床どころか壁までピカピカで、実に清潔だった。


僕は先ほどから、全体にそんなこの城の厨房に好感を持つようになっていた。


僕は椅子に座り、サンドイッチをもぐもぐと食べる。そして、食べながら

「やっぱり、自分の仕事場や道具をきちんと掃除しているというのは、姿勢としては健全だよな」

と思う。そういうのを見るとなんとなく、気分もいい。

だから僕はいつもそういう人達を見ると、

「僕も見習わなければ…」

という思いを新たにし、自分の商売の相棒であるレッドベルのことを考えるのだが…今はそのことを考えると悲しくなってくるので、考えるの止めた。

レッドベル……今頃どうなっているだろうか? 無事だといいが……


そんなふうに僕は、まだ午前の看護の時間までかなり余裕があったので、のんびりと朝食を味わった。


「ふーっ、お腹いっぱいだな…」

僕が作り過ぎたサンドイッチを一切れ残し、部屋に持って帰ろうかどうしようかと思案していると、ふいに先ほどの洗い場担当の見習いコックが控室に入ってきた。


彼と目が合う。

しかし、彼は僕を無視するようにそっぽを向くと、棚から自分のマグカップを取り出し、コーヒーを注いで立ったまま飲む。

気まずい沈黙。


でも、僕は彼にも好感を持っていたので、

「さっきはありがとう。休憩かい?」

と気軽に声をかけてみた。すると、彼、きっと僕よりずっと年下であろう彼も、特に拒否するでもなく

「まぁな」

と言ってくれた。


その反応を見て、僕が

「じゃあ、そんなところに立ってないで、座ったらいい。ずっと立ちっぱなしだったんだろう?」

そう言うと、彼はちょっと戸惑った後、ふんっと言いつつも、僕から少し離れたところの椅子に座った。


なんというか、彼は照れ屋なのだろう。あのくらいの歳の男にはよくあることだ。


「ずっと洗い場に?」

それでも僕は会話を繋ごうと、まだそっぽを向いている彼に、しつこく話しかける。

それに、彼は

「いや、最初は調理道具の準備からだ。それが終わったら、芋の皮むき。にんじんのカット。玉ねぎの炒め。卵割り。その後に洗い場さ。その頃になると先輩たちが厨房に入ってくるからな」

と、ポツリポツリと話してくれた。

なんだ、なかなか話してくれるじゃないか。ちょっと寡黙そうに見えるのも若者らしくていい。それは若者の特権だ。


「そうか、見習いも大変だな」

僕が失礼ながら言うと彼は、コーヒーを飲み、

「別に。誰もが通る道だ。なんとも思っていない」

と、なんでもないことのように言った。僕はそれを頼もしく思い、聞く。

そして、なんだか昔を思い出した。

僕の新人時代もこんな感じだったかなぁ…と。でも、自信はなかった。たぶん、こんなに立派な受け答えなどできなかったと思う。


「何年目だい?」

「3年目。歳からしても一番下っ端だよ」

「へぇ、そんな君にも、休憩をくれるんだな」

僕が言うと、彼はちょっと微笑み

「みんな仕事には厳しいけど、優しいからな。それに適度な休憩はいい仕事をするには必要だと、料理長も言ってる」

「へぇ」

と僕は思う。僕の訓練時代の鬼教官なんて、休憩どころか水一滴くれなかったけどな…


「いいボスだな」

僕がそう言うと、彼は

「ふんっ、まぁな」

とまたぶっきらぼうに言ったが、初めて笑顔を見せてくれた。それも若者らしい、真っ直ぐな笑顔だった。


彼がコーヒーを飲んでいるのを見ているうちに、僕ももう一杯飲みたくなってしまったので、おかわりを注ぎに立つと、彼が僕の残したサンドイッチを見て

「あそこで、こんなもん作ってたのか?」

と言う。

なかなか棘のある言い方だったが、僕は彼の言わんとする気持ちがよくわかったので、


「ああ。神聖な厨房を借りるには、ちょっとお粗末なものだけどな」


と、申し訳なさそうに返した。すると、彼はちょっとバツの悪そうな顔をし、

「いや、そんなつもりじゃない……けど、ちょっとあんたには腹が立ってな」

と言う。

僕はその言葉に初め、きょとんとしてしまったが、すぐに気がついて、

「ははは、皆さんの作った朝食を食べないって言い出したからかい?」

と笑った。


そして、コーヒーを持って席に戻ると、彼がこっちを見ながら、


「それだけじゃない。あんたは料理長達が作ったディナーもいらないと言ったらしいじゃないか。あんなにうまいのに……あの料理にいったい、どれくらいの労力と努力が入っていると思うんだ? しかもそれで不味かったら、仕方ないが、とびきりうまいんだぞ!? 俺だってろくに…試食どころか、ソース一滴舐めさせてもらうことすら稀で…それなのに……」


と言った。

なるほど、彼の言うことはもっともだった。確かに僕は生意気だろう。なんともいう言葉がない。

しかし、それでも


「…いや、それはわかってるんだ。実際、とてもうまかったしね。でも、僕もさすがに毎日はいらない」


と、素直な気持ちを言った。

そして、さらに続けて、

「ああいう、力のこもった料理はたまに食べるからいいのさ。だから普段はもっと、肩の力の抜けたものを食べたい。それも、できれば自分で作ったものをね」

と、僕が言ってサンドイッチの皿を見つめると、彼もそこでまた皿を見た。なんとも憮然とした顔だったけれども。


「そんなことはない。俺は毎日でも料理長の料理を食べれるぞ」

「ははは、それは君の場合は、食べることが勉強にもなるからだろう?」


僕がそう言うと、彼は「うっ…」と憮然とした顔を崩す。そう。図星のようなのだ。

「僕だってそうさ。仕事のことなら飽きもせずに毎日でも打ち込める」

そんなことは僕にも往々にして経験があった。それは僕の方が職に就いて長いからだ。だからそう言うと、彼は不思議そうな顔をし

「あんた、職業は?」

と聞いてきた。それに僕は胸を張って

「飛行機乗り。昔は軍の。今は郵便飛行機のね」

と答える。


「郵便飛行機乗り?」

「ああ、そうさ。だから僕は毎日、何時間でも空を飛んでいられるし、飛んでいたいと思う。全然飽きないし、それを疑問に思ったこともない。どうだい? 君はそんなふうに毎日飛行機に乗って、山を越えたり、海を渡ったり、雲の中を突切たりしたいと思うかい?」


僕がそう聞くと彼はとても渋い顔をした。そして、考えるまでもなく

「いや、したいと思わない。それなら俺はここで料理を学びたい」

と首を横に振った。

僕はその答えに満足する。


「そ、そういうことさ。人の価値観なんてのは皆違うもんなんだよ。だから、毎日口にする料理に対する気持ちにしたってそう。同じなんだ」

「うーん……まぁ、そうなのかもな…」


彼はまだ腑に落ちていないようだったが、一応僕の言い分は理解してくれたらしかった。

それにほっとして僕はまたコーヒーを飲んだ。やっぱり、若者と話をするのは楽しい。僕自身にも思わぬ新しい発見がある。


そんなことを思っていると、彼が僕のサンドイッチの皿に手を伸ばした。そして、残りのサンドイッチを手に取り、

「これ、余ってるんなら食べてもいいか?」

と言う。

僕はその意外な行動に驚きつつも、妙に嬉しくなって

「ああ、もちろん。どうぞ」

と、笑顔で言った。


「ん……なんだ。意外とうまいじゃないか」


彼が一口食べて言う。

「だろ?」

と、僕は得意げに応えた。


僕は結局、彼の名前も聞かなかったけれど、その一言だけで十分なように思えた。



ーー朝食を終え、ひとしきり散歩したり、部屋の掃除などをし、筋力トレーニングとストレッチも終わらせると、看護の時間がやって来た。

僕とスコットはまた仲良く連れ立って地下室に向かう。


昨日の一件でスコットは益々僕に嫌悪の念を抱くようになったみたいだが、やっぱりそれも仕方がない。こうなったら、いっそ人はどこまで嫌われることができるのか、試してみたくなってきた。

だから今日も僕は、気安くスコットに話しかける。


「この城の厨房は本当に立派で、しかもとても綺麗ですね。料理長は有名な方なんですか?」

「……」


返事がない。

なるほど、今日はとことん無視する方針らしい。でも、それって簡単そうに思えて、実はかなり難しく、ストレスの溜まることなのだが……まぁいい、それこそスコットの自由だ。好きにやらせておこうと、僕は思った。


看護の方は、基本的な昨日の流れの中に、オイルや化粧水をつけたり、乳液を塗ったりする工程を追加するだけだったので、わりとスムーズに事が運んだ。

そして、筋肉を伸ばすマッサージの時には、看護師さん達とよく話し合い、僕の軍隊式のやり方と、皆さんのやり方の折衷案で、話がまとまった。やってみると、これがかなり理にかなっているように思え、結果、全員が今日の看護に満足することができた。

三人を見ても、心なしかいつもより肌の状態もいいし、色艶もよくなったように思える。まぁ、化粧水を塗ったばかりだし、今日一日で改善するとは思えないけれど、確かな一歩は踏み出せたという、手応えが僕の中にはあった。

でも、相変わらず、仕事を終えると僕は全身、汗だくになってしまった。


その後、僕は地下室の掃除を、新しくスポンジや雑巾やハタキを使いながら、昨日より丁寧に行った。

こちらも問題なく終わり、僕はほっと息をつく。


そうして、時刻はなんだかんだで正午になっていた。


そこで今日もショットはここには来ないということが、改めて研究員から伝えられる。

僕はそれに対し、

「わかりました。じゃあ、僕は部屋に戻ります」

と言いつつも、心の中では別のことに考えを巡らせていた。

僕はまた部屋の中をあれこれとうろちょろした後、スコットを伴い、そっと地下室を出た。


昼食は食堂に行き、そこでオムライスを食べ、レモネードを飲んだ。


オムライスのオムレツは、きっと見習いの彼が割った卵で作ったのだ。レモネードの方は調理の際、冷蔵庫の中で見かけてうまそうだと思い、目をつけていたものだった。

横ではスコットが、ハムとチーズのガレットを食べている。


「それもうまそうだな。いつもそれなのか?」

「……………まぁな」


よかった。そのくらいの返事はくれるようだった。ほんと、息がつまる。


僕らはおいしく昼食を食べ終わると

「あ、代金は軍のジース・ショットにつけといて。じゃ、よろしく」

と言い残し、その広い食堂を後にした。



ーー「では、しばらく大人しくしているのだな」


スコットはそう言うと、珍しく見張りを他の兵に任せ、何処かへと行ってしまった。


僕はそれを見て、

「ん? スコットさんはどこに行くんだい?」

と、その兵に聞いてみたが、彼は

「いえ、私は何も……」

と言うばかりで、本当に何も知らない様子だった。

「ふーん……」

なんだろう…怪しいな…

僕はそう思いつつも、ゴロンとベッドに横になると、疲れからか自然と目を瞑ってしまった。


この部屋には、いつまで経っても慣れなかったが、変な耐性はついてきてしまっているようだ。

それは何だか癪に障ったが、これは僕の心境の変化によるものが大きいとも考えられる。

だから、ここはひとつ前向きに、耐性がついたのは良い事だと思うことにした。


でも、目を瞑るとどうしても、サマルの姿が鮮やかに浮かんできてしまうのは、もうどうしようもないことだった。

それに、ヤンとイリエッタとケーンの姿も浮かぶ。

そして今日からは、そこにナーウッドの姿も加わった。


「サマル…それにナーウッドか……」


僕は寝ながら考える。


サマル、ナーウッド、リッツ、その三人が何らかの理由で、あのショットを復活させてしまったということを……

復活、とナーウッドは言った。

ということは、ショットは本当はずっと昔に生まれた人間だということなのだろうか? ん? いや、奴が人間だとも限らない。しかし、一方であれはどう見ても人間だ。だから、これはいくら考えたところで、直接触るなどして確かめてみない限り、結論は出せない。


でも、それよりもっと気がかりなのは、そのショットを復活させてしまった責任を、サマルが感じているかもしれないと言うことだった。


無理もない。あの優しいサマルのことだ。たとえ、自分だけのせいではないとしても、最悪の形でヤン達を巻き込んでしまったその責任は、やはり、どうしても感じてしまうだろう。それは理解できた。


しかし……それで自殺とは、僕は納得がいかない。


きっとサマルなら、そんなことをする前に、皆を助けようと行動を起こすに決まっている。

でも、実際には、サマルはこの城から逃げ出し、三人のことを放置したまま、自分だけ姿をくらましてしまっていた。

僕に手紙を残して……


そんなことは、到底サマルらしくなかった。


だとしたら。

何かきっと、三人を迂闊に助けられない理由か、もしくはもっと何か止むに止まれぬ事情があったのだ。

だから、サマルは姿を隠し、自殺しようとした。

もし僕が本当にサマルのことを信じるのならば、そう考えるべきだ。


そこで、ナーウッドの発言が気になってくる。


『いや、ショットじゃない。滅茶苦茶にするのはサマル本人だ』


というあの発言が。


それによれば、サマルはこの世界を滅茶苦茶にしてしまう存在らしい。

なんともバカバカしく、なんでそんなことがわかるのか……そもそも誰が言ったのか? サマル本人が言ったのか? とにかく皆目見当もつかないものだが、あの目つきを見る限り、ナーウッドはこの話を頭から信じているらしかった。


たぶん、ナーウッドが信じるということは、それなりに信憑性のある証拠があるか、もしくはサマル本人がそう言ったから信じる、ということなのだろうと思う。

そして、僕は今のところ「サマル本人がそう言ったから」という仮説が、一番確率としては高い気がしていた。

それは僕が、サマルのあの手紙のお願い事から察した印象も加味しての判断だった。


なにせ、簡単に言えばサマルは僕へのあの手紙で

「自分を完全に死に至らしめてくれ」

と、言っているようなものなのだから……


だとしたら本人が、何かしらの事情を自覚していないはずはないではないか。


「くそっ……なんでだ…皆水臭いじゃないか。どうして僕にも、最初から全ての事情を教えてくれなかったんだ。それを教えてくれていれば、もっと何かできたかもしれないのに……」


そこまで考えて、僕はそう思わずにはいられなかった。

しかし一方で、僕が最初から全ての事情を知っていたとして、果たしてその時も無事に、このショットのいる城まで辿りつけただろうかと考えると、それには疑問を挟まざるを得なかった。


だって、僕はずっと一人でここまで辿り着いたのではないのだから…


「キミ、アリ、リー、ニコ、ファーガソン、偶然か必然か、僕は色んな人に出会い、助けられて、ここまでやって来た」


その事実から見れば、もしかしたら今のこの状態が、最悪な状況な中における、最良のパターンなのかもしれないと思えなくもない。そしてそれも、もしかしたらサマルはわかっていて、わざとこうなるように仕組んだのかもしれなかった。


なぜなら、やっぱり僕がここに来れたのは、偶然にしては出来過ぎているからだ。


そう思い、僕はトカゲからリッツの手紙を託された時のことを思い出す。

そして、ここアストリアを目指すことになった時のことを。

僕はあの時はリッツとサマルの繋がりを知らなかった。

もしかしたら、その頃から既に……? いや、それよりも前からサマルは…?


「だとしたら、リッツとサマルの関係はなんだ? リッツもサマルから何か頼まれていると言うのか? それとリッツとショットの関係もそうだ。なぜ、リッツは仲間がこんな状態にされているにも関わらず、ショットと敵対しない……確か、ショットはリッツと何か「約束」をしていると言っていた。そしてサマルとは「契約」をしていると。あの三人の間で、いったい何の駆け引きをしているというんだ……?」


…………


そこで僕の思考は完全に暗礁に乗り上げてしまった。

不確定なことだらけなのだ。

深く深く考えていくうちに、何を信じ何を疑えばいいのかさえわからなくなってくる。


「敵の本拠地のど真ん中にいるのに、まるで蚊帳の外にいるみたいな気分だな」


僕はそう思うとなんだか笑えてきた。

しかし、睡魔がぐいっと僕の頭に入り込んできて、僕はそのまま眠ってしまった。


でも、僕はその眠りにつく寸前に、こう思ったのを覚えていた。


「たとえ仕組まれていたとしても、僕はいつだって自分で道を選んで、ここまでやって来たじゃないか」

と……



ーーその夜。


僕はふいに起きると

「ちょっと、トイレに行ってくる」

と言い、一人で部屋を出た。

スコットではない見張りは、僕の言葉に

「ああ」

とだけ眠そうに言い、付いてくる素振りも見せなかった。

それは、おそらく夜間は警備が厳しいためだろう。

城の内部はめっきり人は減るが、逆に城の外は昼間よりも見張りの数が多いのである。

だから、見張りの彼は、少なくとも僕がそんな夜間にこの城を抜け出し、外に出ることなどあるまいと思ったのだろう。まぁ、僕もそれはそのつもりだった。そもそも、今更この城から逃げ出そうなんて思わない。しかし、今日は別の用件があったから、見張りが付いて来ないというのは、僕にとって僥倖だった。


僕は廊下をスタスタと歩きながら、ポケットの中身を確かめるように握る。


それは、今日の昼間、地下室をうろちょろしていた際に盗んでおいた、地下室のスペアキーだった。


僕はそれを持ち、今、地下室へと向かっていた。

目的は…もちろん、三人に会いに行くためである。



地下室への階段を感覚に任せ、暗いまま下り切ると、扉の鍵も開ける。

この時間帯には誰もこの部屋にいないのは知っていた。だから僕は躊躇なく扉を開ける。そして、暗めにしてあった電気を少し点け、真っ直ぐに三人の枕元へと向かった。


ヤン、イリエッタ、ケーン。


僕はそれぞれの顔と生命維持装置の数値を確認する。

そして、三人が被っているヘルメット型の端末をまじまじと観察した。


コンピューターに付属している、無線リンク装置…スイッチは側面に。電源はどこから飛んでくる電波で常に取っている……


相変わらずそんな覚えのない知識が僕の頭の中に次々と湧いてきた。

しかし、今はその情報が必要だったから、うっとしいこともない。

そして、僕はこの突然に始まったこの特異な現象の謎も、きっとサマルに関係しているのではないかと、半ば確信し始めていた。


「まぁ。それも……これを被れば、或いはわかるかもしれないな」


僕は三人の元を離れ、様々な機材の乗った台の下に仕舞われていた、三人の被っている物と同型の端末を手に持ち、呟く。

そして、そのヘルメットのような機械をポーンポーンと軽く投げ、手の中で持て遊んだ。


僕はそれを持ち、また三人の元へと戻る。

そうして、三人の前をゆっくりと通り過ぎ、空のベッドの前で立ち止まる。


そこでしばし、僕はベッドを眺めた。


しかし、やはりそこで寝る気になれなかったので、僕は機材の方へとまた引き返し、そこに置いてある椅子にどっかりと座った。


「ふーっ」


そこで大きく深呼吸をする。


扉の方を気にしてみるが、当分誰も来そうにはなかった。

まさか、ここにいるとは思わないのだろう。なにせ、本来なら施錠されているのだ。たぶん、探すにしても最後のはずだ。だとしたら、きっとあと15分くらいは時間に余裕がある計算になる。


でも、僕はもう決心していた。

時間をかけるつもりはない。


僕は僕と三人以外誰もいない部屋に響き渡るように


「待っててくれよ、今助けに行くから…」


と言った。


そして、おもむろにそのヘルメット型の端末を頭に被る。


もちろん、心残りはあった。

それは冷蔵庫に残してきた食材のことや、三人の看護をまた看護師さん達に任せてしまうことだ。

しかし、それらについては紙に伝言を残しておいた。すいません、後はよろしくお願いします、と。

全く、無責任だとは思う。思うけれど、でも少しでも改善が進んで良かったと思うことにしよう。

それにあれをやったお陰で、決心がついたし、決意も固まった。


僕の思うこと。それは


「僕はやっぱり全員を助けたいんだな」


ということ以外にはやはりあり得なかった。

そして、心のなかで口煩く罵る。


「なぁ。サマル、それにナーウッドよぉ……どんな事情があるか知らせもしないでさ……勝手に死ぬだの、殺すだの言ってるんじゃねぇぞ? 三人のことも僕に任せっきりにしやがって。友達ならな、お前らがなんとかしろっ! …ったく、とにかく。何が起きるかなんて知らないけどなぁ……そんなもの…」


「全部、僕がひっくり返してやる……っ!」


僕の決意は結局、そんなやぶれかぶれなものだった。


でも、そんなやぶれかぶれを実現させるためには、まず、三人の救出が最優先だと思われる。

それがとりあえずの行動の指針だった。

だから僕は、ここに来たのだ。


そして、この決意は誰にも邪魔されたくなかったから、夜のこの時間をあえて、選んだのだった。


たぶん、僕の発見はもう少し後になるだろう。

でも、そんなことはちっとも怖くなかった。


だからこそ、僕はすごくすんなりと、その恐るべき端末の側面のスイッチを、カチッと押したーー



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