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第二話 消えた自転車の謎を追え ~或いはエドワード・J・テイラーの謎~ part3



 スタビライザーと彼女は言った。


 言葉の意味を考えるなら間違いではないのだが、自転車の補助輪をわざわざ横文字に変換する必要は無かった。スタビライザーと言われて補助輪を連想する人間は皆無に違いない。

 というか、あのパーツに年齢の上限が無いとは思わなかった。

 女子高生が使っていいのか? 倫理的にも常識的にも。


「浅野くん、500円あげるから補助輪付きの自転車でスーパーまで行ってキャベツ買ってきて」


 公園で笹島と別れた二人は、ため息を漏らして帰路についていた。結局得られた情報は、彼女の名前と自転車が倫理的に問題のある部品を装着していることぐらいだろう。


「十倍貰ったって断るな……というか俺が乗ったら転ぶんじゃないか?」

「私はそもそも乗ろうという気にすらならないわ」


 普通はそうだ。補助輪の付いた自転車に乗りたい人間なんて子供しかいない。


「でもさ、誰が盗むと思う? 補助輪付きの自転車なんて」

「誰が盗む、か……」


 赤くなり始めた空を眺めながら、エリはなにやら思案を始めた。それからしばらくすると、何を思いついたのか両手を叩いた。


「もしかして逆を考えた方が良いんじゃないかしら」

「逆?」


 いまいち合点のいかない顔で十嗣は聞き返す。


「自転車を盗むってことは、当然乗って帰ったって事になるわよね? 換金目的っていうのは、学校の駐輪場でやるにはリスクが大きすぎるし」

「そうなるかな」


 そうかもしれないな。


「だから大事なのは、『盗めたのは誰』か。もっと広げると、『そもそもあの自転車に乗れる人物は彼女以外誰か』って事になるわね」


 早計じゃないかと私は思う。しかしこの色々穴のある理論展開を十嗣はえらく気に入ったようで、嬉しそうな顔で何度も頷くのだった。


「おお、なるほど。しかも犯人がこの学校の生徒だって線は濃厚だから、その中で笹島さんぐらいの体格の生徒を探せば」

「それに私たちには佐藤先生っていう強い味方がいるしね」


 顔を見合わせて二人は笑った。事件についての情報をもう少し集めるべきではないかと私は探偵として思ってしまう。


「ははっ」

「楽勝じゃない」


 しかし肩を並べ笑い合う二人の姿を見ていると、早合点も悪くないと思うのだった。




 翌日の彼らの行動は意外とのんびりとした物だった。

 授業中はいつものように目を半開きにしたまま睡魔と戦い、昼休みはくだらない会話を交わしながら食事をした。そして放課後となった今、保健室で犯人と思しき特徴を備えた人間を佐藤に尋ねている。


「背の低い女子生徒を教えて欲しい? 浅野くん、好みの女の子を探すのはいいけど教師に頼むことじゃ無いかな」

「違います、別にストライクゾーンとかそういうのじゃないです」


 どう曲解したのか、佐藤は的はずれな意見を口にした。対する十嗣も、何故か野球の話を始めた。相変わらずこの国の会話システムは良くわからない。


「私達、自転車の盗難事件を追っているんです」


 保健室の紙コップを勝手に拝借して、エリは自分で淹れた紅茶を啜っていた。もちろん、一人前しか用意していない。


「そういえば昨日パトカーが来てたね」

「それでですね、先生。盗まれたのは何と補助輪付きの自転車だったんですよ」


 遠い目をして頷く佐藤に、十嗣は昨日自分たちが仕入れた補足をつけ加えた。それでようやく、佐藤は質問の意味を理解した。


「……なるほど、それでそもそも乗れる人を探そうという訳か」

「駄目ですか?」


 顔を強ばらせ、十嗣は佐藤に詰め寄る。しかし佐藤は笑顔で大きなため息をつくのだった。


「0点」


 言い放った言葉は、彼らの一日の苦労を無為にしてしまう強烈なものだった。赤点にすら届かない、過去最低の点数。


「……えっ?」


 目を丸くして十嗣は聞き返す。

 エリは外の景色を眺めながらぼんやりと紅茶を飲んでいる。十嗣にとっては大事件だが、彼女にとってはどうでもいい事なんだろう。


「そういう決め付けは良くないと思うな。だから0点」


 採点の理由も、ひどいものだった。いつもの納得出来る理論展開はどこに行った?


「今日は厳しくないですか?」

「もしかすると犯人は身長が160センチかもしれない、もしかすると体重が80キロを超えているかもしれない、もしかすると男性かもしれない。そういう可能性を全て消すのは自分の判断を狭めるだけだよ」

「そんな事言ってしまえば、誰でも犯人になってしまいますよ」


 今回ばかりは、十嗣の方が正しい。

 名探偵が指摘する犯人なんて、所詮は消去法で決められたものだ。与えられた情報に自ら集めた情報を加え、直感と閃きで偽装工作を見破る。よくその後者だけ注目されるが、結局は地味な作業なのだ。


「ゴメンゴメン、少しだけ意地悪をしたかったのさ」


 佐藤は笑って、採点基準を明らかにしてくれた。


「意地悪?」


 気の抜けた顔で聞き返す十嗣。エリは二杯目の紅茶を紙コップに注いでいた。


「君たちの探してる生徒は、今日の昼休み笹島さんに謝りに行ったよ。パトカーが来てるのを見て、急に怖くなったみたい」


 よく考えると、別におかしな事ではなかった。完全犯罪を目論む大富豪はここにはいないし、市民が震え上がるような殺人鬼を追っているわけじゃない。市民が既に善良で、警察も未だに定時に帰ろうとはするもののそれなりに役に立つ。私のこの頭脳が活用される時は、せいぜい推理小説の犯人を言い当てる時ぐらいだろう。


「……えっと、犯人見つかったんですか?」


 間抜けな顔で聞き返す十嗣。犯人が自分から謝りに行くケースなど、彼の脳内事件簿には存在しなかったのだろう。


「身長158センチ、体重は……プライバシーの関係で伏せておくけど、そうだね、服部さんの倍ぐらいとだけ言っておこう」


 外見は雪だるまによく似ているという事で良いだろう。エリの体重は多分標準程度だから、その倍というと……私の頭の中には、晶のストーカーだった女性の姿が浮かんでいた。

 それこそ早計なのかも知れないが、あの図々しい大食漢が補助輪付きの自転車を緊急事態と称して借りている様子が目に浮かんだ。


「何キロ?」


 遠慮のない十嗣の質問に、遠慮のないエリの左フックが返って来た。


「……ごめんなさい」


 頬を押さえ、謝罪の言葉を口にする彼の姿は惨めな物だった。


「自転車は見つかったんですか?」


 十嗣に変わって、エリが話を進める。

 佐藤はそんな二人の姿を笑って見ていた。


「昨日の夜、心ある人が届けてくれたよ。学校のシールが貼ってあるのを見て届けてくれたらしいよ」


 相変わらず、この街の市民は善良らしい。


「なんだ……じゃあ俺のやったことは全て無駄だったのか」

「いい経験になったんじゃないかな」


 頭を押さえため息をつく十嗣に、佐藤は教師らしい言葉を投げかけた。


「私もパチ屋でお金増やせば良かったわ」


 と、ここでエリが口を滑らせた。


 放課後の保健室は、時計の針が止まったかのように静かになった。彼女の表情がだんだんと青ざめていく。自分の失言にようやく気付いてくれたようだ。


「……服部さん、何か言ったかい?」


 間を置いて佐藤が聞き返す。光を乱反射する彼のメガネには、圧迫感があった。


「え!? いや、自転車を届けてくれるなんていい人もいるんだなあって」


 そんなこと心の片隅にさえ無いくせに、エリは適当な言葉を並べ立てた。どうやら男性陣をごまかすにはそれで十分だったらしい。


「用務員さんが受け取ったんだけど、背が高くてモデルみたいに格好良かったそうだよ」


 椅子の背もたれに体を預け、そのいい人の説明をしてくれる。


「住所とか名前とかは聞けたんですか? お礼とかしないといけないでしょうし」


 十嗣の常識的な発言に、佐藤は首を横に振った。


「名前は教えてくれたけど、多分偽名だね」

「愛植男とか冗談みたいな名前だったんですか?」


 ひどい名前だ、偽名にしてももう少しあるだろう。


「彼が名乗ったその名前、僕の知っている小説の登場人物だった」


 佐藤は背筋を伸ばし、立ち上がる。本当に何気ないその仕草が、次に紡がれる言葉の異質さを際立たせていたのだと、私は後で気づくことになる。


「エドワード・J・テイラーっていう、名探偵さ」


 その名前に聞き覚えがあった。

 



 ――思い出した、私の名前だ。




 私の名前はエドワード・J・テイラー。


 ニューヨーク市民の安全を陰ながら守る名探偵であり、高校生浅野十嗣の愛読書である。要するに私は、実に絶妙な存在であるのだ。ここで自我がどうとか、私はいったい何者なのだとか、そういった哲学的な命題を私は提示したりしない。私は私であることに何の疑いも抱いてないからだ。


 私が今抱いている疑念とは、もちろん私の名前を騙った人物である。自身の活躍についてなら、私は全て説明することができる。しかし悲しいかな私は『エドワード・J・テイラーの事件簿』については殆ど知らないのである。


 好奇心。

 そんな名前の感情が、私の心の中に生まれていた。


「探そう」


 だから十嗣がそう言ってくれた時、私は少しばかり嬉しかった。

 何せ私には文字通り手も足も出ない問題なのだ、彼に動いてもらうしかない。


「何を」


 しかしエリは不機嫌そうな顔で聞き返してきた。暇なのか道が途中まで一緒なのか、十嗣の横を歩いている。


「エドワード・J・テイラーに決まってるだろ!」

「……見つけてどうするのよ」

「握手してもらう」


 ならば私はサインしてもらおう。

 そうだな、それがいい。


「……あのね、本物じゃないのよ、偽名なのよ? 会ったところで何の意味もないじゃない」

「何を言ってる背の高い紳士なんて俺はエドワード・J・テイラーしか知らないぞ!」


 そうだ、いくら日本人が善良だからといって補助輪のついた気色悪い自転車をわざわざ学校に持っていくような紳士など私に準ずる者でなくてどうする。


「少しぐらい落ち着きなさい」


 十嗣の頭を殴るエリ。

 そのせいで彼は転びそうになってしまう。

 しばらく二人で歩いていると、後ろから安っぽい自転車のベルの音が聞こえてきた。


「あ、ニンニンとノンノンだ」


 音の主は、笹島みえこだった。戻ってきたという彼女の自転車には、立派な補助輪がついていた。


「笹島だっけ? 何してんのよ」


 腕を組み、見下ろすようにエリが話しかける。

 私には喧嘩を売ってるようにしか見えない。


「これからバイトの面接を受けに行くのよ。今度はコンビニにしようと思うけど、どう?」

「今度はペットボトルを全部正面に並べる気?」


 それは困るな、主に店長が。


「……ニンニンは本当に馬鹿ね、ペットボトルに正面なんてあるわけ無いじゃない」


 返って来たのは、人を小馬鹿にした言葉だった。

 その前に自転車の正面について説明願いたいものだ。


「この女、どうしても好きになれないわ」

「あら奇遇ね、私もノンノンは面白いけどニンニンは微妙だと思ってたところよ」

「同属嫌悪?」


 その十嗣の一言は、明らかに余計な物だった。

 本日三度目の顔面パンチをエリから貰い、おまけに突然急加速した補助輪付きの自転車に跳ね飛ばされた。


 情けない、情けないぞ浅野十嗣。


「自転車見つかったみたいじゃない。良く似合ってるわよ」

「そう、それじゃあ私もう行くわ」


 笹島は鼻歌を歌いながら、どこかへと消えてしまった。その後姿はどう見ても小学生にしか見えなかった。


「浅野くん、いつまで寝てんのよ。ほら家に帰りなさい」


 エリが地面に倒れ込んだ十嗣の頬を軽く叩く。お前のせいだ、と言えない十嗣が不憫で仕方ない。


「……おーい」


 彼は、だらしのない事に気を失っていた。




 十嗣が引きずられてきた先は、どうやらエリの自宅らしい。彼女は一人暮らしで、2Kのアパートは予想通り汚かった。

 そこら辺に広がる、500ミリリットルのペットボトルに食べ終わったカップラーメンが散乱している。食生活もそれなりに荒んだ物らしい。


 ゴミで部屋が埋め尽くされて入るものの、家具のセンスは私好みだった。ブラウンと黒で統一された調度品は、白い壁紙によく似合っていた。


 目を覚ましたのか、十嗣がうなり声を上げた。

 頭を殴られ自転車に跳ねられたのだ、よく今日中に意識を回復したものだ。


「おはよう浅野くん」

「ここどこ? なんか頭が痛いんだけど」


 頭を抑え、十嗣は起き上がる。頭痛の原因は目の前にいる。


「私の家よ。急に転んでビックリしたんだから」


 嘘をつけ、お前と笹島のせいだろう。


「暑いな」


 傾きかけた日が部屋に差し込み、その温度を上げている。

 オレンジ色の光が照らすその景色だけを見ればなかなか叙情的かも知れないが、本人達にそんなことを気づく余裕はないだろう。


「夏も近いしね。エアコンつけるわ」


 ゴミの山から掘り当てたリモコンを、備え付けのエアコンに向けそうさ仕様とする。


「あれ」


 反応なし。


「あれ?」


 テイク2。もちろん反応はない。


「どうした?」

「調子悪いみたい」


 首を傾げ、悪態をつくエリ。電化製品の寿命というのは、私が思っているよりも短いものなのかもしれない。


「扇風機付けるぞ」


 部屋の隅に置かれた小型の扇風機を見つけた十嗣は、躊躇いもなくスイッチを操作した。


「……これもつかない」


 何度操作しても、扇風機の羽が回らない。これも故障か?

 別の原因があるのではないかと疑いたくなってしまう。


「最悪、この夏どうすればいいのよ」


 エリは頭を抱えて自分の不運を嘆いた。

 その前に部屋の掃除をした方がいいと思うのだが、ここまで汚いと業者に頼んだほうが早いのではないかと考えてしまう。


「喉乾いたから水貰ってもいい?」

「コップは適当に使っていいから」


 言われたとおり十嗣は食器棚らしきものから一番埃のかかっていないコップを取り出し、水を注ごうとした。水道の蛇口を彼は確かに捻ったのだが、肝心の水が流れない。


 ――おかしい、一斉に家の機能が働かなくなることなんて有りうるのか?


「なあ服部」

「何よ、今扇風機が付くか確認してるんだけど」

「……水、出ないぞ」


 十嗣の宣告に、エリの顔はみるみる青ざめて言った。この汚らしいアパートに、部屋としての機能は完全に失われていた。


「蛇口も壊れたの!? どうすればいいのよ……」


 絶望するエリを尻目に、彼はトイレへと向かった。彼は用を足しに来たわけではない、トイレが流れるかを確認したかったのだ。トイレの水は、一回だけ流れてくれた。しかし二回目は、死体のように無反応だった。


「もしかして」


 次に彼は、部屋の電気が点くかを確認した。壁際のスイッチを押しても、部屋が明るくなることはない。

 これで、一つの事が確定的に明らかになった。


「公共料金払ってない?」


 自業自得。

 エアコンも扇風機も蛇口もトイレも、すべてこのだらしない女に原因があった。


「浅野くん」


 彼女は笑う。

 幸せそうに、誤魔化すように。


「はい」


 そして彼女は、彼女だけが使えるだろう必殺技をこの汚らしいアパートで使ったのだった。


「……しばらく泊めてください」


 土下座。

 まさかこの短期間で、二回も見るとは。

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