78 信用できないのですか、と彼女は言ったんだ
大賢者様主催の釣り大会は、開会式を明日に控えていた。ジャークラ公国の首都に宿泊しているおれたちは久しぶりに全員が集まった。
おれ、リィン、カルア、スノゥ、ランディー、クロェイラである。いやほんと、女性比率高いよな……おれが平気でいられるのは、カルアとスノゥはお子ちゃまだし、ランディーは釣りバカだからだろう。
ていうか、さらっとクロェイラが混じってきているのが謎だ。いつの間にかスノゥやカルアと仲良くなっていた。お子ちゃま同盟なのかな?
「ハヤト。これ、頼まれていたもの」
「おおっ」
クロェイラのところから戻って、ビグサークの国王陛下やノアイランの皇帝陛下に会いに行ってばたばたしていた。国王からの皇帝をハシゴとか二度としたくないでござるよ……拙者の寿命がマッハ。
ともあれ、その前にスノゥにお願いしていたんだよな。それを、たった1日そこらで仕上げてくれたらしい。
4センチ程度の細い木片に、貝の虹色の光沢部分——真珠層、でいいんだっけ? その部分を貼り付けている。
木片の先には大きめの釣り針が伸びている。釣り針の根っこにはカラフルな毛を装着。
「対青物最終兵器」、または「湘南の海釣り御用達」の「弓角」である。いや、まあ、全国どこで使っても大丈夫なんだけどな。
「こんなので釣れるの?」
「おお。すごいんだぞー。コイツが海の中を通ると、シラスに見えるんだ」
つまるところ弓角はシラスを模したルアーである。
回遊魚はシラスを食うからな。逆に言えばシラスを食う魚はなんでも食ってくる。
メインターゲットは、イナダ・ワラサ、サバ、ソーダガツオ、カマスってところだが、外道でヒラメ、アジ、シーバス、ボラ、稀にクロマグロなんてのも釣れる。
マグロですよマグロ。陸から釣れるの? っておれも思うんだが、たまに釣れるからすごい。とは言っても50センチ前後のメジマグロ(クロマグロの幼魚)だけどなー。
陸釣りでマグロが釣れた場合、クロマグロの漁獲制限に引っかかるんだろうか? その辺の細かいところはわからない。ここは異世界だからもちろんそんなものはないし。
「明日は開会式と釣り場の発表だ。寝坊しても大丈夫だぞ?」
「ちょっ、ランディー……おれが寝坊キャラみたいに言うなよ。釣りをして遅刻することはあっても寝起きはいいんだ」
「ははは。そうだったな。——私はもう寝よう。釣り場によっては早めに移動しなければならないかもしれないしな」
「ああ。おやすみ」
それを機に、他のメンバーも寝ると言う。ここはおれのひとり部屋なのでみんな出て行く——ていうか男の部屋に集まるってどうなんだろうと思いつつ、女子部屋に呼ばれてももじもじするだけだな、おれ。
ひとり、部屋に残って考える。
釣り具の準備は十分だ。ロッドは問題ないし、みんなで作ったフワフラ糸も擦れたりしていない。釣り針も研ぎ終わったし、弓角も手に入れた。
気になるのは——。
「……やっぱり、リィン、だよな」
なんだかリィンが、おれに冷たい気がする。距離を置かれているというか……。
これっていつからだっけ? 確かクロェイラの叔父さんに会ったあたりからだよな?
「まさかリィンがクロェイラの叔父さんに一目惚れとか……? い、いやいや! 相手は海竜だぞ! 鱗があるんだぞ! ないよ、ないない」
でもイケメンだったしな……。
「…………」
もやもやする。なんでかわからないけど、もやもやする。
リィンに会いに行こう。
「——はい? ハヤトさん……ですか」
隣室はランディーとリィンのふたり部屋だ。ランディーはワインを飲んでいる。寝るんじゃなかったんかい。
「ごめん、ちょっとリィンに聞きたいことが」
「……わたくしに、ですか?」
ほ、ほら! なんかちょっと引き気味だもん! 距離置かれてるよ!
……あれ? でもクロェイラの叔父さんに一目惚れしたのと、おれと距離を置くことはあんまり関係ないよな?
「私は軽く飲んだら寝るから、戻るときは静かに来てくれなー」
「わかりました。——出ましょうか」
リィンが出ようとするとき、ランディーがおれにだけ向けて親指をビッと立てて見せた。ランディー……どういう意味だそれは。応援してます、なの? やっぱりワインは最高だぜ、なの?
ともかくおれとリィンは宿の外に出る。
宿の前には水路が走っていた。ジャークラ公国の首都はところどころに川から引いた水路がある。湧水が豊富なようで、水路は美しい。魚はほとんどいないけど。
魔力によって点された街灯は、水路沿いに立てられた柵に設置されている。夜は深まっており、歩いている人間はほとんど見られない。
オレンジ色のぼんやりした光が町並みを照らし出す中、おれとリィンは水路の脇に立った。
「聞きたいこととはなんでしょうか? アガー君主国に関することですか?」
「あ、いや、そうじゃないんだ」
「ではなんでしょうか」
う、うう……言いづらいなあ。でも、ここで言わなきゃ後々まで後悔しそうだし。
おれは腹を決めた。
「あ、あのさ、リィンは——クロェイラの叔父さんみたいな人が好みなのか?」
沈黙。
「……は?」
純粋な疑問符が返ってきた。
「あ、いやー、その、あの、ええと……クロェイラの叔父さんと会ったあたりから、なんか、リィンの態度がよそよそしいというか」
おれはしどろもどろになりながらも、懸念を説明した。
「……わたくしが仮に、海竜の長のことを好きになったとして、ハヤトさんになにか関係があるのでしょうか?」
え……。あ、ああ……そう言われると確かに。
リィンがクロェイラの叔父さんに惚れたのなら、おれはどうこう言える立場にはない。幸せになって欲しいとは思うから、海竜の長は止めておきなよと忠告くらいするかもしれないけど。
その前にあのイケメンは結婚してるのかな? してなかったら独身でブイブイいわせてるってこと? 絶対に許せない(私怨)。
「はあ……冗談ですよ。海竜の長を好きになったりするわけがないではありませんか」
「え!? そ、そうなの!?」
「ハヤトさんは、敏感なのか、鈍いのかわかりませんね……」
それ、褒めてないよね? けなしてるよね?
や——でも、リィンがおれにそういうことを言うのって珍しいよな。どういう心境の変化なんだろう?
「……わたくしがなにを考えているか、わかりますか?」
「ごめん、全然わからない」
「でしょうね。でなければ、あんなことはなさいませんよね」
あんなこと?
なに、なに、おれなにかしたっけ?
リィンが傷つくようなこと言った? いや、基本的に釣りの話しかしてないけど……。
「ハヤトさん。わたくしの仕事はなんですか」
「……護衛?」
「はい、そのとおりです。ハヤトさんは、海竜の里でなにをなさいましたか」
「なに、って……料理?」
世話役の人がめっちゃ食ってたっけ。
「そのもっと前です」
「クロェイラの叔父さんに会って——やっぱり!」
「やっぱり、ではありません。そこは離れてください。もう少し前です」
「いや、その前ってなったら、海から潜っていったっていう……」
「その後です。海竜の里に入りましたね? それで世話役の方が来る前に、巨人のような海竜に襲われかけました」
「ああ、そんなこともあったっけ」
その後の展開がいろいろあって、忘れてた。
「……まだ、わかりませんか」
悲しそうに言われた。
「え? え? なに、なにかしたっけ、おれ」
「ハヤトさんは——わたくしの前に立ったのです」
「立った?」
「はい。襲われそうになったとき、わたくしの前に。護衛であるわたくしの前に」
あ——思い出した。
そう言えば、リィンの前に身を投げ出したような気がする。
リィンは、護衛だ。その彼女を守るようなことをおれはしたのだ。
「……そんなに、ダメですか」
痛いものを吐き出すように、リィンは言った。
「そんなにわたくしを、信用できないのですか」
柵をつかむ手が震えている。
彼女の瞳が、にじんでいる。
——ああ。
おれはようやく理解した。
リィンはおれと距離を取っていたんじゃない。自身のふがいなさに、泣き出しそうになるのをこらえるために——目に浮かぶ涙を見せたくなくて、おれから顔を背けていたんだ、って。




