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異世界釣り暮らし  作者: 三上康明


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想いを伝える言葉

「ふぅ……ひどい目に遭った」

「大丈夫ですか?」


 屋外会場から逃げるために建物を迂回して裏手へと出る。

 と、そこもまただだっ広い庭園だった。

 ジャークラ公爵って金持ちなんだな……当たり前か。

 置かれていたベンチに腰を下ろすと、リィンが気遣わしげにおれを見下ろしている。


「リィンも座りなよ」

「しかし……」

「これだけ見通しよければなにかあってもすぐ対応できるでしょ。おれだけ座ってるのがなんか忍びなくて」

「そう、ですか……では」


 おれの横に、リィンが腰を下ろす。人ひとりぶん、空けて。


「…………」

「…………」


 いろんなことがあった一日だった……疲れた。

 リィンもずっとついてきてくれたよな。「夕闇の巨大魚」なんていう不確かなものを釣ると言い出したおれを、「大丈夫かこいつ?」って思ったこともあったろうけど、文句ひとつ言わないで。

 リィンはおれの安全を守ってくれる。

 それは、彼女の任務だから。


「リィン」


 でも——でもさ、おれはそれだけじゃ物足りなくなっていた。


 ビグサークの王様にも言われたけど、おれはきっと発言権もあってお金も望めば得られる立場にもなったみたいで。

 ただそれじゃ得られないものだって、あるんだ。


「なんでしょうか?」


 聞き返してくるリィンの表情は、いつもと同じだ。変わらない。……たぶん、変わらない。変わらないのかな? ほんのちょっと視線が揺れてるように見えるけど。

 変わらないところもある——リィンはずっと、きれいだ。おれから見たら、天使だ。


「て、天使!?」

「え!? 今おれ言ってた!?」


 リィンの顔がボンッと赤くなる。

 う、うわぁ、おれなに口走ってんだよ! ああ、もう、恥ずかしすぎる、おれのほうが赤くなりたいわ!

 い、いや、待て。待ておれ!

 どのみち——釣り大会が終わったら言わなきゃいけないと思ってたんじゃないか!


「わ、わたくしはきれいでも天使などではありません。騎士として訓練しておりますし、筋肉だってついて身体も硬いですし、それに——」

「リィン」


 おれが言うと、ハッとしてリィンがおれを見た。

 喉がカラカラだ。頭が熱くなって、なにを言えばいいのかわからなくなってくる。

 だけど——言わなきゃ。

 言わないままならむしろ、リィンはずっとおれのそばにいてくれるとわかっていても。

 それは単に「仕事」としていてくれるだけだから——。


「リィン……おれ、誰か他人に対してこんな気持ちを持ったことは、ないんだ。だからそれを口にすることがとても怖い……バカみたいだよな。おれにとって釣り以上に大切なことなんてないって思ってたのに、それが、あることに気づいたんだ」


 言葉があふれてくる。

 初めて会ったときのリィンは、ほんとに天使じゃないかって思った。

 それから堅物の彼女を見て、ますます好感度が上がった。ていうかリィンの好感度が下がったことなんて一度もない。


「海竜の里でおれがリィンを守るように前に出たあと、リィンは言ったよな。『そんなに信用できないのか』って。信用してないなんてことはない。むしろ——信用じゃなくて、もっと、ずっと……。あ、あのさ……。おれがやったことについて、釣り大会が終わったら説明するって言っただろ——それが、今なんだと思う」


 リィンがおれを見つめている。

 その目に現れている表情は、不安、期待、不信、喜び——なんなんだろう。


「おれは、リィンを失うことが怖かった。リィンを失うくらいなら、おれがいなくなったほうがいいってくらいに……怖かった」


 ずっとおれのそばにいてくれたリィン。

 おれを守るために、彼女は簡単に自分の命をなげうつだろう。

 でもそれじゃ困るんだ。勝手に死なれたら、おれは不幸せになるんだ。


「……リィンが、好きだから。君がなによりも大事だって思ってしまったんだ」


 言った。

 熱い塊が喉の奥からこぼれ出るように、言葉を吐いた。

 きっとおれの顔は彼女とは比べものにならないくらいに赤い。おれの体温は推定40度オーバーだ。


「ハヤト、さん——」


 おれの言葉を聞いたリィンの目から——一筋、涙がこぼれた。


「え、えっ!?」

「あ——どう、して……」


 ヤバイ、まずいこと言ったかと焦るおれとは裏腹に、彼女は戸惑ったように人差し指で涙を拭う。


「大丈夫です、ハヤトさん……ちょっと驚いただけで。どうしてでしょう、涙が……」


 彼女が落ち着くまで、おれはしばらく待った。

 待っている間に身体が冷えてくるのを感じていた。おれはとんでもないことを言ってしまったのではないかと。できることなら5分前に戻って「ずっと言わないでリィンに護衛としてそばにいてもらう」という選択肢を取りたい感情に駆られていた。


「——わたくしも、感情の整理がついていないみたいです」

「そ、そうみたいだね」

「……とても、うれしくて……」

「え!?」


 もう一度瞳を潤ませて、リィンが微笑んだ。


「……ハヤトさん、ハヤトさんがわたくしを守るように前に立ってくださったあとに『そんなに信用できないのか』と聞いてしまいましたね」

「あ、ああ……」

「わたくしの気持ちをお話ししていませんでした。……あのときわたくしは、ハヤトさんが前に立ってくださったときに不覚にもうれしく思ってしまったのです」

「うれしく?」

「はい。——こんなわたくしを守ってくださる人がいるのだと……そう思って。でもすぐさま後悔しました。わたくしは守る側の人間で、守られる側の人間ではないのです。だから悔しくて……ハヤトさんにまで素っ気なく当たってしまいました。申し訳ありません」


 ぺこり、と頭を下げるリィン。


「そ、そんなことない! リィンは悪くない。おれも反省したんだ。リィンの仕事をとっちゃいけないって。リィンはおれの釣りに口出ししたりしないし」

「ハヤトさんは……お優しいですね。わたくしはあなたに会った最初のころに、こう思ったんです。あなたは釣りの常識を、ひいては世界を変えるかもしれないって」

「大げさだよ」

「いえ、大げさではありませんでした。ハヤトさんは大賢者様の釣り大会で1位をとったのですから」


 そう言われると——そう、かもしれない。

 ただおれに自覚がなくて、そんな権威を与えられても使う気がないだけで。


「ふふっ。よくわからない、という感じの顔ですね。実にハヤトさんらしいと思います」


 リィンが笑った——天使のような笑顔を、見せてくれた。


「ハヤトさん……正直、申しまして、わたくしは恋愛とか今まで考えたことがありません……そ、その、男性の方と付き合ったこともありません」


 大丈夫。おれもだ。

 と言いたかったけど言い出せない。こんなときまで変な見栄を張ってしまうおれ。


「……あなたのような方は、これからこの大陸で、きっと大きなことを成し遂げます。きっとそんな地位にふさわしい方がこれからあなたの前に現れるのではないかと、わたくしは思います——」


 あ……。

 こ、これはまずい。

 これは、断られる風向きだ。

 どうしよう。どうしたらいい。どうやって挽回したらいいんだ?

 わからない。わかんないよ。こんな経験、今の今までしたことなかったんだから!

 だけどおれがあたふたしているうちに、リィンが言った。


「……それでも、わ、わたくしをそばにおいてくださいますか?」

「——えっ」


 うつむき加減のリィンは耳まで真っ赤だった。


「ともに歩む者として……そばにいて、いいのでしょうか……」


 ぽかん、とおれはマヌケにも口を開けてから。


「もちろんだよ! リィンにそばにいて欲しい! リィンじゃなきゃイヤなんだ!」

「ハヤトさん——」


 うるんだ彼女の瞳はとてもきれいで、おれは紅潮した彼女の頬に手を伸ばす。


「リィン」

「ハヤトさん」


 そしてふたりの影がひとつに——。


「ご、ご主人様ぁぁぁぁあああ!」

「うおあ!?」


 びくんとして背筋を伸ばすと、茂みから飛び出してくるカルアの姿があった。


「あ、カルアちゃん! 行っちゃダメだっての、今は! あぁ〜……」


 と額に手を当てているレガード騎士団長、それに、


「ほっほっ。初々しいのう」

「むう……我が国の騎士がウシオ殿のハートを射止めたことを喜ぶべきでしょうか? それともやっぱりウシオ殿は私のお抱え釣り師に……」

「あきらめなさい、キャロル王女。余とてあんな甘ったるい空気を割って入るほど無粋ではありませんよ」


 ビグサーク王に、キャロル王女、ノアイラン皇帝。


「いやー、よかったよかった。ようやく関係がすっきりしたな」

「いいのか、ランディー。あのふたりがくっつくとお前はいっしょにいづらいんじゃ?」


 そんなことを話しているランディーにディルアナ子爵。

 で、


「わっはっは。これで牛尾くんも童貞(けんじゃ)予備軍から卒業か?」


 藤岡さんと、取り巻きの美女たちまでいる……。

 ぼふっ、とカルアがおれの胸に飛び込んで来た。


「カ、カルアも、いっしょにいていいですか!? 置いていかないでください!」

「え、あ、へ? も、もちろん、置いていくわけないだろ……」

「ほんとうですか!?」


 ぎゅううと抱きついてくる。

 あー。これは、アレか。リィンだけをそばに置く、みたいにカルアはとらえたということか?

 ……っていうか。


「……聞かれてたのか?」


 おれが振り返ると、みんながみんなそっぽを向いて口笛を吹いていた。


「あああああ……恥ずかしくて死にそうです」


 両手で顔を覆ってリィンが悶絶している。

 マジかよ。

 おれは天を仰ぎながらも——バカみたいだけどこう思った。

 恥ずかしがってるリィンも可愛いな、って。

ようやく書けた……ここまで長かった。

皆さんも長い間お付き合いありがとうございます。

次回エピローグです。

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