79話 大軍を押し返す
ほくそ笑む邪女神。
まだだ、まだ笑うな……っ!
大勢の軍馬が若麦を踏みつけ、突進していく。
馬上槍を構えた騎士たちが、一糸乱れぬ横列で突き進む姿は、いっそ壮観ですらあった。
畑をえぐる数千の蹄は地響きを起こす。
その轟音は領民たちの耳朶を激しく打ち、彼らを怯えさせた。
その様子を天上から眺める女神は、三日月のように口端を広げてほくそ笑んだ。
「そう、それでいいのです。勇者セオドリック」
自身は前に出ず、後方から指示を出す勇者セオドリック。
高く掲げた剣は光り輝き、神聖な光の奔流となって、突進する騎士たちに降りそそいだ。
勇者となったセオドリックのスキルのひとつに、【鼓舞】というものがある。
味方の戦力を数倍に跳ね上げる、強力な技能だ。
その効果範囲は無制限。セオドリックに味方をする者すべてのステータスを、代償なしに引き上げる。
しかもその鼓舞を受けるのは訓練を受けた戦いのエリートたちだ。
いまやセオドリックの鼓舞によって、数千人の軍勢が数倍の力を得て、怯える領民たちを轢き潰そうとしている。
セオドリック自身も、勇者に職業が変わったことで個人としても最強の力を手に入れている。
「これならば、あの娘であっても耐えられはしないでしょう」
世界の法則から外れてしまったかのような強さを持つあの娘、カナタ・アルデザイア。
ステータスが極端に落ちるはずの魔物使いの職業に就いていながら、常軌を逸したあの強さは、神である自分から見ても異常だ。
だから、女神は万全に万全を重ねた。
「勇者には、頼りになる仲間たちが必要ですからね」
世界中を調べて回り、最も剣の腕が立つ者に【剣神】の職業を与えた。
最も複雑な魔法を操り、強い魔力を持つ者に【賢者】の職業を与えた。
そのほかにも、女神が与えることの出来る最上位職業をばらまきにばらまいた。
自分に忠誠を誓い、神敵を滅することを約束した者という条件は付けたが、女神の誘いを断ったのはほんのわずかの者だけだ。
ほとんど全員が力を求めて、また女神の威光にひれ伏して、最上位職業へと就いた。
「最強の勇者と、最強の仲間と、最強の軍勢」
完璧な構成だ。質、量ともにかつての魔王軍など比べ物にならない。
負ける要素など一つもなかった。
これだけの戦力を用意するために、下界への干渉力の大半を使ってしまったが、問題ない。
あの娘さえいなくなれば、女神の邪魔を出来るものなどどこにもいなくなるのだ。
女神への信仰を妨げ、魂の収穫を妨害するあの娘を、今度こそ確実に始末する。
働きもせず魂を食らうだけの、あの腹立たしい同胞たちに、これ以上見下されるのは我慢ならないのだ。
「さぁ、民を守ってもろともに轢き潰れてしまいなさい! カナタ・アルデザイア!」
† † †
「よぉーし、やるぞー」
肩をぐるぐると回すカナタだが、戻ってきたボルドーに制される。
「まぁまぁ、ここはパパに良いところを見せさせてくれ」
ボルドーは領民たちの前に集まった、若い男たちに目を向ける。
ボルドーが普段から訓練している自警団だ。
使い込まれた剣を片手に、整列もせずにたたずんでいる。
彼らを見回して、ボルドーは問いかける。
「こんなかにびびってるやついるぅ? いねぇよなぁ?」
団員たちは即答した。
「いまーす!」
「怖いに決まってるでしょうが。アホですか。俺ら農民ですよ」
「初の実戦がガチ騎士相手に戦争とか、頭おかしいでしょ」
「こんなアホな領主に付いたせいで……」
口々にボルドーへ不満を述べる自警団たち。
「父上。今のところ、良いところをまったく見れていませんが」
アルスの指摘に、ボルドーは焦る。
「くっ! お前らぁ、たまには師匠に忖度したらんかい! 全員整列してファイアボールをたたき込め!」
「だからあんた魔法使えないでしょうが」
「魔法じゃなくて剣を使わせてくださいよ」
「騎士様に通用するとは思えないけど、嘘魔法よりは役に立つよな」
自警団は言いながら、迫り来る聖騎士団を前に整列した。
騎士団の横列に合わせて大きく広がったため、隙間だらけで列と呼ぶのもおこがましい整列だ。
しかし普段の訓練の成果か、若者たちに緊張している様子はない。
抜剣し、ボルドーの号令を、息を整えて待っている。
「ええい、しゃあない、行くぞ! 最初は強く当たって後は流れで!」
指示とは言えないような指示と共に、ボルドーを先頭に自警団が突貫する。
† † †
女神は憐れみを込めて笑った。
「たった数十人の素人が、突貫してくる騎士団から逃げずに挑んだことを褒めるべきでしょうか」
天上から見ると、その戦力の差がよく分かる。
まるで巨象に挑む蟻だ。
一瞬で踏み潰されて、肉片も残らず土と混ぜられてしまうだろう。
簡単に予想できるその瞬間を、女神は見ることが出来なかった。
天まで届いてきそうな、鉄がひしゃげる轟音が響き渡る。
「なっ!? なんですって!?」
騎馬の軍勢が、止まっている。
たった一列の、数十人しかいない農民たちが、何十列にもなる騎士の突進を受け止めていた。
「あれ? 止まったぞ?」
馬ごと槍を止め、畑に轍を刻んだ若者が言う。
「もしかして、騎士様たちって弱い?」
「いや、もしかしたら、俺たちが強いのかもしれんぞ」
「そんなまさか、田舎の農民が騎士より強いわけがないだろ」
「もしかしてボルドー様の訓練の賜物とか……」
「ないない」
「それだけはない」
全員が首を横に振る。
「あるだろ! お前ら、どんだけ俺のこと信頼してないんだ!」
中央で一番軍勢の固いところを受け持ったボルドーが叫ぶ。
「突進は止めた! ここからは乱戦だ! 周りは全部敵だからな! 気にせず斬りまくれ!」
「「「うぇ~い」」」
「やる気! 出して!」
最高級の武装に身を包んだ騎士たちが、農民たちの田舎剣法によって次々と倒されていく。
その光景を見ていた女神は、目を見開いた。
「馬鹿な! あの場にいるのは間違いなく人類最強の軍勢! こんなこと、あり得ない!」
そのあり得ない状況が目に映っているのだ。
神の眼に映るそれが間違いのはずがない。
しかし、職業の恩恵は絶対だ。
いくら鍛えたとしても、農民が騎士に勝るなどありえない。
何か理由があるはずだ。
女神は戦場をくまなく見回した。
よく見れば、自警団の男たちは強い魔力を纏っている。
しかしそれは当人のものではなく、何者かが後方から送り込んでいるようだ。
魔力の糸を辿ってみれば──
「みんな、がんばれー」
そこには声援を送るあの憎い娘がいた。
応援の声に乗った支援魔法は、勇者の鼓舞を遙かに超える強化を自警団に与えていた。
「あり得ない……! あり得ないのよ……! 勇者の鼓舞より強い支援魔法など、この現世に存在するはずが……!」
あるとすれば、職業のシステムに頼らず、自力で新理論を構築し、新魔法を編み出したことになる。
「なんて化け物なの……」
女神は改めてカナタに恐怖した。
「なんか今日、すごく調子よくないか?」
「わかる。カナタ様に応援されると、いつも元気になるよな」
「やっぱカナタ様は最高だぜ。ちょっと変わってるけど」
「んだ。優しいし、綺麗だし、働き者だしな。変わってるけど」
戦いながら会話するほどの余裕がある自警団に、聖騎士たちはなすすべもなく切り倒されていく。
「お前ら、人の娘を変わってるとか言うんじゃありません。俺とアレクシアちゃんにそっくりで可愛いだろうが」
「ああ、確かに」
「変わってるところはボルドー様ゆずりだな」
「んだんだ。アレクシア様の血が良い感じに中和してるんだな」
「こいつら……! ああ言えばこう言う……! 不敬罪で処したろか……!」
およそ領主と農民の会話とは思えない内容だが、彼らの連携は完璧で、普段から効率的な訓練を受けていることが分かる。
「セオドリック、何をしているのです……! 指示を出しなさい!」
女神の声が届いたのか、セオドリックが混戦状態となった場へ、次なる手を打つ。
それは、女神が集めた強力な仲間たちだ。
軍団として強い聖騎士とは一線を画す、人類最強の個人たち。
「はっはぁ! 女神様が与えてくださったこの【剣神】の力! 食らうが良い!」
騎士団の槍衾を越えるほど高く跳躍し、後方から着地したのは大剣を背負った剣士だった。
筋骨隆々の肉体は剛毛に覆われており、一見すれば大猿の魔物にも見えそうな男だ。
更に頭上に影が差す。
「くくく、強すぎる魔法は実験する場所が限られているのですよ。【賢者】となって覚えた魔法、今日は存分に撃ちまくりましょう」
浮遊魔法で空を飛ぶ男が、口ひげを撫でつけながらサディスティックな笑みを浮かべる。
掲げた右腕に集まる魔力は強力無比で、そこから発動する魔法の威力は凄まじいものになることは想像に難くない。
上質な訓練で鍛えられ、支援魔法で強化された自警団たちでさえ、彼らには太刀打ち出来ないだろう。
「神に逆らう愚か者どもめ! 我が剣の錆になれい!」
剣神の男が振るう剣は、自警団をなますに切る。そのはずだった。
「俺は錆にはせんぞ。血で汚れるのは困る」
剣神が振り下ろした大剣は、根元から真っ二つに切られ、宙を飛んでいく。
「な、馬鹿な……我の剣が……ごふぅっ!」
飛んでいく剣を呆然と見ていた男の頭に剣の柄が叩き込まれ、男はその場に昏倒した。
「私の選んだ【剣神】が……!?」
女神は絶句した。
そんなはずがない。最強の剣士だから剣神なのだ。それが何故剣で負ける。
あの男は何者なのだ。
「見た見た!? アレクシアちゃん! 俺の格好良いところ!」
家族に向かって呑気に手を振っているボルドーに、賢者の男が空中から狙いを付ける。
「愚かな剣神め。ですが、その男の気を逸らしたことは褒めてやりましょう。諸共に消し炭となりなさい!」
撃ち放たれた大火球がボルドーへと迫り、水の防壁がそれを包み込んで止める。
「見てたわよー、パパ素敵」
ボルドーを守ったのは、妻アレクシアの魔法だった。
無から波濤のように発生した水は、竜巻のように流れを変え、空中にいた賢者の男を飲み込む。
「わ、私の最上級火炎魔法が、一瞬で──がぼぼぼ」
そして、その激流で男を溺れさせてしまった。
【剣神】に続いて【賢者】までもが、一瞬でやられてしまった。
あり得ない現実に、女神は頬に爪を立てて震えた。
「なんなの、なんなのこの者たちは……!?」
人間を個別で認識できない女神は、彼らが自分の勧誘を断った元祖【剣神】と【賢者】であることを知らない。
だが、女神が職業を与えた者たちはまだまだ数多くいる。一対一で勝ち目はなくとも、集団で襲えばなんとかなる。
セオドリックも女神と同じ考えに至ったのか、命令を出し、五人の英雄たちが談笑するボルドーとアレクシアに襲いかかる。
それを撃ち落とす迅雷一閃。
稲妻を纏った剣閃が、空中から襲いかかった男たちをすべて撃墜した。
「父上母上には余計な助太刀でしょうが……」
「そんなことないわ。ありがとう、アルスちゃん」
「ちょちょちょ、めっちゃ格好良い! 今のなにそれ!? 魔法を剣に乗せたんか!? しゅげええええ! 俺も使いたい!!」
五人を同時に倒したのは、雷の魔法で剣を加速させたアルスだった。
迅雷は避けるどころか、五人の英雄に反応する暇すら許さない。
それを成したのが、未だ職業を授かっていない十四才の少年だという驚愕の事実。
「何故!? 何故なの!? 最強の職業を与えたはずの者たちが何故こんなにも易々と……!」
女神はへばりつくように下界の映像を見て、気づいた。
「こ、この者たちは……!?」
ここに至って、女神はようやく三人の正体に思い至った。
女神が最上位職業を与えるための勧誘を世界中で行っていたときのことだ。
女神の誘いを断るわずかな者たちがいた。
それがこの三人だ。
自らが勧誘して断られた相手が、憎い相手の家族だったことに、女神はめまいがした。
あの娘だけではなく、その家族まで異常な強さを持っていたとは。
女神の用意した戦力が、ことごとく潰されていく。
しかもまだ、奥には本丸であるカナタが控えているのだ。
このままではカナタにたどり着くまでに軍勢は全滅してしまっている。
「セオドリック! 何をしているのです! 何とかしなさい! セオドリック!」
女神はヒステリックに叫んだ。
「う、うおおおおおおおおっ!! 全軍、戦力をあの三人に集中させろ!!」
セオドリックが号令をかける。
この三人をどうにかしない限り、カナタの元にもたどり着けはしない。
「よおし、見ていろお前たち! 俺が長年の修行の果てに編み出した最強魔法を!」
「あらあら、パパが魔法を?」
「魔力が無いのに魔法は使えないと思いますが」
迫り来る軍勢に、ボルドーは大上段に剣を構え、そして呪文を詠唱する。
「虚空より風を落とす竜よ! 砂塵の嵐を舞い上げる虎よ! 不可視の吊り橋を渡りて、我は汝らと契約を結びし者! 集え暴風! 爆ぜよ颶風! 風の戦槌となって我らの敵を打ち据えよ!」
一息に詠唱を完了させると、ボルドーはカッと目を見開く。
「ウインド・ストーム!」
振り下ろした剣は強力な風を巻き起こし、真空を発生させ、空間を歪ませるほどの衝撃波を発生させて、迫り来る軍勢を粉砕した。
「どうだ! 見たか! これが俺の魔法だ!」
「あらあら」
「どう見ても、剣を振った衝撃波ですね」
「まだまだあるぞ! インフェルノ・フレア!」
「剣の摩擦で炎を起こしただけですね」
「グランドシェイク!」
「地面を殴って岩盤を掘り返しただけですね」
「メイルシュトローム!」
「先ほどの衝撃で地下水脈が吹き出しただけですね」
「息子が冷たい! 泣くぞ!」
「いえ、剣を振るうだけで魔法以上の現象を起こしている父上は凄いと思います」
「でも、魔法では?」
「ないですね」
「う、うおおおおおおおん! ママーッ! 息子が、息子がいじめるっ!」
「よしよし。ママがお手本見せてあげちゃう」
すがりつくボルドーを撫でながら、アレクシアが魔法を発動する。
ボルドーに匹敵するほどの破壊力を秘めた魔法が、騎士たちを蹴散らしていく。
「うおお、アレクシアちゃんすげぇぇぇぇぇっ! 俺も負けてられねぇ!」
夫婦のイチャついた対抗心により、軍勢はなすすべも無く溶けていくしかなかった。
数分後、もはや敵の軍勢は動いている者はほとんどおらず、立っているのは指揮官であるセオドリックだけだった。
「そんな、馬鹿な……我が軍勢が……聖騎士団が……女神様の加護を受けた我らが……なぜ……」
セオドリックは目の前の信じられない光景に呆然とするばかりだ。
そしてこれだけ死屍累々の状況でありながら、誰も死んではいないようだ。
それがなおさら非我の戦力差が圧倒的だったことを表している。
『それで? どうするのじゃ? まだやるのかの?』
特に何もしていないエリザヴェトがセオドリックに問いかける。
戦闘が終わったと確認したカナタが、三匹を連れて近くまでやってきていた。
「け……けけ……」
髪をほつれさせ、うつむいたセオドリックが小さく何かをつぶやいた。
「毛? モフモフですか?」
「決闘だ! 決闘を申し込む!」
【勇者】の職業を得たセオドリックは文句なしに人類最強だ。
戦闘のさなか、最後まで直接参加しなかったのは、カナタと戦うために力を温存するためだった。
戦争では負けたが、自分はまだ負傷もしていない。
カナタとの一騎打ちならば、まだ勝ちを拾えるかも知れない。
元々セオドリックの目的は、エリザヴェトを手にすることだ。
エリザヴェトさえ手に入れば、後のことはどうでも良いと思っている。
エリザヴェトを縛るこの悪しき魔女を殺せば、エリザヴェトが自分のものになると本気で信じている。
論理が破綻していることなど、全く気づいていない。
「私が勝てば、エリザヴェトを返してもらおう! 人の恋路を邪魔をするのもここまでだ! エリザヴェトが本心では私の元へ来たがっているのが分からないのか!」
圧倒的敗戦でおかしくなってしまったのか、妄執が過ぎて想像と現実の区別が付かなくなってしまったのか。
自己陶酔して芝居がかった語り口調でカナタを非難してくる。
『改めて確認するが、あの騎士と貴公は恋仲というわけではないのだな?』
『あっっっっっったり前じゃ!! 妾はあるじ様一筋なのじゃ!』
ザグギエルの問いかけに、エリザヴェトは全身を震わせて否定した。
「……まだ割り込んでくるのか、この醜い魔物どもは……」
セオドリックは嫌悪感をあらわに吐き捨てた。
「いい加減にエリザヴェトを出せ、魔女。この決闘は絶対に見てもらわなければならない。我が勇姿を彼女の目に焼き付ければ、魔女の洗脳も解けることだろう」
『と、言っているぞ?』
『洗脳も何も、妾は最初から正気なんじゃよなぁ』
カナタの胸に抱かれたフェンリルが見上げて言うが、肩のエリザヴェトは呆れたようにため息をつく。
「お前たち……まさかとは思うが、本当に、本気で、その毛玉がエリザヴェトだと言うのではないだろうな……?」
「言いますけど?」
「ふざけるなっ!! 私を謀るのも大概にしろ! どこまで侮辱すれば気が済むのだ! その醜い毛玉がエリザヴェトのわけがない! もういい! その毛玉ともども一緒に死ねっ! エリザヴェトはお前を殺してからゆっくり探す!」
斬りかかったセオドリックの動きは凄まじく、剣神であるボルドーや賢者のアレクシア、そしてアルスの目をもってしても反応できないほどの速さだった。
勇者の職能は、セオドリックに人類の限界を超えた一撃を可能にさせた。
それは勇者だけが放てる、次元をも切り裂く至高の一刀、次元斬。
たとえ深海の底に隠れようと、分厚い金剛石に守られていようと、次元を斬り裂く剣の前には意味をなさない。
その圧倒的な一撃が、カナタを襲った。
「はいっ」
しかし、その剣戟はカナタの二本の指によってあっさり止められてしまう。
挟まれた剣は押しても引いてもびくともしない。
「わ、私の全力の一撃が……」
美しかったセオドリックの顔は、驚きで目が見開かれ、泥のような鼻水が垂れ、酷い有様になっていた。
「エリたんたちに当たったらどうするんですか許せませんパンチ!」
「ごっはぁぁぁぁぁっ!?」
軽くポカリと殴ったような動きとは裏腹に、凄まじい衝撃を顔面に受けたセオドリックは無様に地面を転がっていった。
「うぅ……。エリザヴェト……エリザヴェトぉ……エリザヴェトに会わせてくれよぉ……」
這いつくばったまま、涙を流して懇願するセオドリック。
『なんだか可哀想になってきたな』
『最後くらい、姿を見せてやっても良いのではないか?』
ザグギエルとフェンリルに説得され、エリザヴェトは嫌そうにため息をついた。
『やれやれ、仕方がないのじゃ……』
エリザヴェトはカナタの肩から飛び立ち、元の姿に戻った。
無数の小さな蝙蝠に分かれてから、再構成され、輪郭が整ったとき、そこには深紅のドレスを纏った絶世の美姫がいた。
「おお、エリザヴェト……エリザヴェトぉ……!」
その美しさは、肖像画そのまま、いやそれ以上だ。
セオドリックは感涙しながらエリザヴェトにすがりつこうとし、その顔面に靴のヒールが刺さる。
「気持ち悪い、の、じゃ!」
倒れ伏したセオドリックの頭を踏みつけ、エリザヴェトは言葉を続ける。
「見かけでしか見ぬ貴様に、妾が絆されることなど未来永劫ないわ! 妾のあるじ様は、貴様が醜い醜いと罵ってくれた姿でも受け入れてくれた! どのような姿であろうと妾を愛してくれるあるじ様こそ、妾の伴侶よ! そちのちっぽけで身勝手な恋慕がカナタの大きくて温かな愛に勝てるはずがないじゃろうが! 器が違うことを思い知れ!!」
「あ、ああ……」
美しい姿に見惚れただけでは、その愛情はかけらも届かないことをようやく思い知ったセオドリックは、その場で力尽きて昏倒した。
「あー、すっきりしたのじゃ。これで妾とあるじ様の仲を邪魔する者はおらんくなったのじゃな」
『いや、余が邪魔するがな』
『カナタ様に懸想するのは、我の屍を越えてからにしてもらおうか』
「くっ、邪魔者がまだ二匹おったか……」
悔しがるエリザヴェトの口にカナタの人差し指が差し込まれる。
反射的に血を飲んでしまったエリザヴェトは再び桃色の毛玉に戻ってしまった。
「お帰り、エリたん」
カナタはエリザヴェトを強く抱きしめる。
『なぁ、あるじ様や。感動の抱擁をするには、人の姿の方が見た目にも良いとは思わぬか?』
「思わぬです。はぁぁぁ、モフモフふわふわ最高ー」
エリザヴェトのことをもっとも外見で見ている者がそこにいた。
ストーカー神聖騎士セオドリックを打倒し、領民たちを守り抜いたカナタたち。
干渉力の大部分を使った策略を打ち砕かれた女神は、残る三柱にそのことを知られてしまう。
窮地の女神はこのあとどうなってしまうのか!?
次回『女神、死す』
乞うご期待!
一時間後にもう一話更新があります。






