73話 露天風呂に入る
夏休みの開始だぜー
「あとはオーブンのお肉が焼けるのと、シチューが煮えるのを待つだけね」
カナタの母であるアレクシアが、コトコトと小さく音を立てる鍋をかき混ぜながら言った。
「みんなが手伝ってくれたおかげで助かっちゃった」
ありがとうねとアレクシアはカナタの頭を撫でる。
「えへへー」
無邪気な笑顔になるカナタを見て、ザグギエルはカナタも母の前ではこんな幼げな顔をするのだなぁと感慨深く思った。
調理中、妙に母親の手つきに気を配っている様子だったが、良いところを見せようとしていたのかも知れない。
「あとは私が見ておくから、先にお風呂に入っちゃいなさい」
「はーい。ザッくん、フェンフェン、エリたん。行くよー」
『うむ』
『はっ』
『あるじ様と初めての裸の付き合いじゃのう。照れてしまうのじゃ──と、待て待て待て』
三匹をまとめて抱き上げたカナタを、エリザヴェトが制止する。
『……あるじ様や。まさかこの二匹も一緒に風呂に入れるつもりではなかろうな?』
「つもりでありますけど?」
きょとんと答えるカナタにエリザヴェトは驚愕した。
『ななな、何を言っておるのじゃ! こやつらは男じゃぞ!? 貴様らも何を当然のように入ろうと……。はっ、まさか!? 妾と出会う前から一緒に入っていたと言うのではなかろうな!?』
「入ってましたけど?」
『こ、この外道がぁっ!!』
エリザヴェトの翼パンチが二匹を襲う。
ぺちちちと貧弱な羽ばたきによって、二匹はカナタの手からこぼれ落ちた。
ぽよんと床に落ちて、フェンリルが顔を上げる。
『な、何をする! カナタ様のお背中を流すのは従者である我の勤め! 責められる謂われなどないぞ!』
『余は、余は何度も断ったのだ……。だが、貴公は知るまい、逆らうことの無意味さを……』
憤るフェンリルとは逆に、起き上がろうともしないザグギエルの目は死んでいる。
「もー、エリたん、わがまま言わないの。みんなでお風呂、楽しいよ?」
『嫌じゃ嫌じゃ! 男なんぞにカナタの柔肌を見せとうない! 当然妾も見られとうない!』
『誰が貴様など見たいものか。四足歩行を覚えてから出直してこい』
『言っておくが、余はカナタのことを不埒な目で見たことは一度たりとてないからな』
むしろ不埒な目で見られ、いんぐりもんぐりされているのはザグギエルの方である。
元々狼であるフェンリルはともかく、本来の姿のザグギエルは人間と似た姿を持つ魔族だ。羞恥心がないはずがない。
しかし、カナタがそのようなことを慮ってくれることはなく、思いのままにザグギエルをモフり続けてきた。
全身余すところなく、ザグギエルの体にカナタの手が触れていない場所はない。
『魔王ザグギエルは死んだ……。ここにいるのはただの一匹のザッくんよ……』
ザグギエルは横倒れになったまま、遠い目をしている。彼はもはや諦めの境地に立っていた。
「話は聞かせてもらった! 俺に任せろザッくん!」
ばばーん、と五指を広げて登場したのは、訓練帰りのボルドーだった。
「パパン、汗くさー」
鼻をつまむカナタにボルドーは悲しげな顔になる。
「えっ、マジで。フローラルな香りしない?」
「うん、しない。くちゃい」
「父上、せめて体を拭いてから家に入るべきです」
ボルドーを訓練場に送り届けて、そのまま一緒に訓練してきたアルスが遅れてやって来る。
父親と違い汗をちゃんとタオルで拭ったアルスからは、それこそフローラルな香りがしてきそうだ。
「まぁ、とにかくだ。混浴なんて羨ましい──」
「あなた?」
「──ではなく」
目を細めたアレクシアの冷たい視線に、ボルドーはすぐさま言葉を翻す。
「男は男同士、女は女同士で入れば良いじゃない。と言うわけで、ザッくん、フェンフェン。男同士、裸の付き合いと行こうじゃないか」
そういうことになった。
† † †
『なんと、露天風呂とは珍しい』
『これだけ広ければ、今の我も楽々入れてしまうな』
本体と合体したフェンリルの頭の上で、ザグギエルが感嘆する。
質素な屋敷とは裏腹に、アルデザイア家の風呂は異国情緒あふれる露天風呂だった。
「カナタは普段わがままとか全然言わない子だったんだけどなぁ。風呂だけはこだわりがあるみたいで、自分で温泉まで掘り当てちゃったんだよな」
「家の裏から熱湯が噴き出したときは大騒ぎになりましたね」
先に体を洗ってきたボルドーとアルスが、岩で囲われた広い湯船に入っていく。
「この意匠もカナタのデザインなんだぜ。家族で入るのに、なんで男湯と女湯に分けるのか意味不明だけどな」
「まぁ、村の人たちも使えますし、ちょうど良かったのでは」
日本人の文化を知らない二人には知る余地もない作りだった。
ボルドーが湯のぬくもりに、おっさんくさい大きな息をついて、ザグギエルたちに手招きする。
「二人も早く入りなさい。ちょっと熱いが気持ちいいぞぉ」
『かたじけない』
『アルス殿、すまないが膝を貸してもらえないだろうか』
フェンリルが浸かると湯が一気にあふれ出し、背丈の足りないザグギエルはアルスの膝に座ってちょうど良いあんばいの深さにしようとする。
「いやいや、ザッくん。心配はいらない。なぜなら、ここにカナタの目はないんだよ?」
『はて?』
ボルドーの言葉にザグギエルは首をかしげ、はっと目を見開く。
『そ、それはもしや……』
「おう、その通り」
ザグギエルが元の姿に戻っても、カナタの非難する視線を浴びることはないということだ。
「か、かたじけない。ボルドー殿……! 心遣いに感謝する……!」
元の姿に戻ったザグギエルは、男泣きをして熱い湯に浸かった。
黒い毛玉の姿のままでも強くなると誓ったザグギエルだったが、たまには慣れ親しんだ姿に戻りたいと言うのが本音であった。
そんなザグギエルの心を察したのがボルドーだった。
「良いってことよ」
ボルドーはウインクして親指をぐっと立てる。
「それにあんな金髪ボインなねーちゃんと混浴とか羨ましすぎて血涙出ちゃうわ。何が何でも邪魔しないと」
「父上、本音が下衆すぎます。母上に言いつけますよ」
「アルスくん!? ごめんなさい許して仕送りアップしようか!?」
弱すぎる姿勢の父に、アルスは母親そっくりの視線を投げかけた。
そんな男湯の反対側、仕切りをまたいだ先には、カナタたちの浸かる女湯がある。
久しぶりの温泉はカナタにとっても心地の良いものだったが、その機嫌はあまりよろしいものではなかった。
「ふふふ、カナタ、ふたりっきりじゃのう」
「そーだねー……」
身をすり寄せるエリザヴェトに、カナタは生返事を返す。
元の金髪の美しい美女となったエリザヴェトは、ここぞとばかりにカナタに求愛するが、カナタはまるでそっけない。
モフを思いっきり洗って綺麗にした後は、湯船に広がるモフを眺めて幸せな気分になる予定だった。
だというのに、毛皮をまとっていては裸の付き合いとは呼べぬというエリザヴェトの強い要望により、元の姿での入浴となった。
「妾、幸せじゃぞ?」
「わたしも幸せになりたいよー……」
腕を絡めて肩に頭を乗せるエリザヴェトに、カナタは夜月に手を伸ばしてわきわきと存在しないモフをモフった。
おおいに夏休みを満喫するカナタたち。
しかし、領地の人たちの畑仕事を手伝うことも忘れない。
そんな中、領主である父ボルドーの評判を聞くカナタたち。
自警団の若者に舐められまくっているボルドーの真の評判とはいったい!?
次回『本人がいるところで褒めてあげてください……!』






