62話 首を切られる
女神ザマァァァァ!(素振り
女神ザマァァァァ!(素振り
女神ザマァァァァ!(素振り
この大陸で最も栄えているファルクス王国の王都。
大陸最大の人口が集まるこの都市ではありとあらゆる産業が集まり、発展を重ねていた。
後進の育成にも余念がなく、学問の都としても有名だ。
多くの貴族の子息は、王都上街にあるいくつもの学園の中から派閥に沿ったものを選び、いずれ自分の領地を治めるために知識を学んでいる。
とりわけ男子は文武両道を求められ、中でも授業内容の厳しさで言えば一番と言われるのがここ神明義塾だった。
初代剣神が開いた塾が原型となっており、剣術には最も力が入れられている。
「おおおおおおおっ!!」
「来いっ!」
広い校庭では、多くの生徒たちが剣を構えて稽古に励んでいた。
女人禁制の男子校であるため、生徒は全員少年だ。
皆、線はまだ細いが、よく鍛えられている。
筋肉質な体を防具に押し込め、刃を潰した剣で打ち合う姿はたいそう様になっていた。
厳しい訓練で鍛えられた彼らは、すでに街の衛兵では相手にならないほどの強さを手に入れていたが、その彼らを手玉に取るのが、教官たちだ。
高い報酬で学園に迎えられた彼らは元冒険者であったり、元騎士であったりした。
【剣聖】や【竜騎士】といった上位職を持つ教官たちには、優秀な生徒たちも太刀打ちできない。
いや、一人だけ例外がいた。
校庭の中央、大柄の剣士と小柄な剣士が相対している。
一見して押しているのは大柄の剣士だが、実際は違っていた。
「くっ……! やるではないか! アルデザイア!」
そう小柄な剣士を称賛したのは、剣聖の職を持つ教官だ。
教官は大柄の体に似合わぬ凄まじい速さで幾度も剣を振り、一呼吸の間に打ち込まれた剣撃の数を周りで見ている生徒たちは数えることが出来ない。
「いいえ、まだまだです」
教官の剣を待ち受ける少年はそう涼しげに応える。
そして鏡のように剣を打ち返し、疾風のごとき剣撃を正面からすべて叩き落とした。
小柄な体格からは想像もつかない剛の剣だ。その上でスピードは教官を上回っている。
「まだまだか……。……それは、俺の方だったな」
教官はそう言って、自分の剣を落とし、両手を挙げて降参した。
勝負が付いたのは一瞬だった。
教官の攻撃を受けきった少年の手元が閃いたと思ったら、剣の切っ先が防具の継ぎ目を超えて、教官の喉元に刺さっていた。
皮膚一枚を隔てた寸止めだ。
反論の余地のない、誰が見ても圧勝だった。
「す、すげえええええええええええ!! 教官を倒しちまうなんて!」
「アルス君はやっぱりモノが違う!」
自分の訓練そっちのけで、少年──アルス・アルデザイアの戦いを見守っていた生徒たちが、歓声を上げて駆け寄ってくる。
「貴様らぁっ! 訓練に戻らぬか!」
自分も指導を忘れて、戦いを見物していたことを棚に上げて、別の教官が怒鳴り声を上げる。
別の意味で騒がしくなった校庭で、アルスは防具の面を取った。
「……ふぅ」
色素の薄い金髪をした、紅顔の美少年が汗の雫を飛ばす。
ここに他校の女子生徒がいれば、黄色い歓声が上がっていただろう。
しかし悲しいかな、ここは健全なる男子の学び舎。熱い視線を向ける男たちしかいない。
いや、別の意味での熱い視線も一部混じっていたかも知れない。
「教官、ご指導ありがとうございました。おかげでまた一つ自分の壁を越えることが出来ました」
折り目正しくアルスは一礼する。
落とした剣を拾いながら、教官は薄く自嘲した。
「……ふっ、無様に敗れた俺がお前に何を指導できたと言うんだ。謙遜も過ぎると嫌みになるぞ。だが、不思議と胸が空く思いだ。どうだ、放課後になったら一杯付き合わないか」
「僕は未成年の学生なので、お断りいたします。……あと、男です」
「くっ……そうだった……! いや、それでも……!」
フラれた教官をその場に残し、アルスは校庭を後にする。
授業はまだ終わりではないが、この場で最強の教官を倒した彼を止める者はいなかった。
背後では未だに歓声が続いている。
それもそのはずだ。
倍ほど年上のしかも剣聖の職業を持つ教官を相手に、いまだ選定の儀を受けていない少年が傷ひとつ負わずに勝つ。
まさに奇跡に等しい所業だが、アルスの顔には喜びはない。
「教官。本当に僕はまだまだなんです」
なぜならアルスは知っている。
自分を遙かに超える剣士の存在を。
それは偉大な父であり、また規格外の姉でもあった。
彼らに比べれば、自分の今の剣技など児戯にも等しい。
「……あの人たちを素直に尊敬できればまだ良かったんですが」
偉大なはずの父は『俺は魔法使いになりたいんだ』とわけの分からないことを言って、剣ではなく毎日魔法の練習をしているし、姉に至っては王国剣術大会で三連覇を果たしながら、剣は苦手とのたまう始末だ。
「親兄弟が優秀だと、肩身が狭い。……ということも特にないのは感謝すべきなんでしょうね」
更衣室へと戻ったアルスは独りごちて、重い防具を脱ぐことにした。
刃を潰しているとは言え、鉄の剣を受けるには同じく頑丈な防具が必要だ。
厳重に固定されたそれを、アルスは一つ一つ丁寧に外していった。
窓からは青空が見え、遠くから訓練を再開した生徒たちの喧噪が聞こえてくる。
外から入り込んできた心地よい風に、アルスは少し呼吸を深くし、告げた。
「……いつまで見ているつもりですか?」
アルスのつぶやきは、彼の後ろに向けられたものだった。
アルスの背後には誰もいない。
しかし、アルスは確信を持って背後の監視者に言葉をかけていた。
『……素晴らしい』
返事は人のものとは思えぬ神々しい声音をしていた。
そして同時に、光が差し込み、後光を背に美しい女性が宙に浮かんでいた。
『強者の魂を追っていましたが、まさかこれほどの逸材を発見できるとは……』
浮かぶ女性は感動に震えているようだった。
『神たる私が降臨する前に言い当てた者など、あなたが初めてです』
「……あなたは女神様なのですか?」
これでも一応、洗礼を受けた神聖教会の信徒だ。
選定の儀を執り行うのが神聖教会のため、人々はほぼ全員が信徒ではある。
信仰する気持ちがあるかと言われると、まぁほどほどにはと言う程度の敬虔浅いアルスではあったが、彼女が女神というのであれば、背を向けたままは失礼だろう。
アルスは振り向き、片膝を突いた。
「女神様が、僕にいったいどんな御用でしょう?」
『女神が人の前に現れるときなど、奇跡と神託を与える以外にありません』
「……僕は聖女ではありませんよ?」
神託を授かることが出来るのは聖女だけと聞いている。
信心深くもない自分のところに女神が現れる理由に、アルスは思い当たる節がなかった。
『女神アスタルトの名に於いて、あなたに【勇者】の職業を授けましょう』
突然の申し出に、アルスは疑問符を浮かべた。
「……はぁ、そうなのですか」
てっきり感動のあまり泣いて喜ぶかと思った女神は首をかしげる。
『それだけですか? 勇者は世界でたった一人にだけ与えられる最強の職業ですよ?』
「なるほど、それは凄い」
まったく凄くないという様子でアルスは答えた。
「ですが、僕はまだ十四歳で、選定の儀に臨める年齢に達していません」
『問題ありません。選定の儀を司る女神たる私が許可するのです。誰が反対できましょう』
自信満々で女神は言った。
職業を与えるシステムは、適切な年齢になった人間の素質に合わせて自動的に判定される。
しかし、女神が直々に与えるのであれば、年齢の承認など飛ばして好きに職業を与えることが出来る。
『勇者となればあなたのステータスは全て倍増し、勇者にしか使えないスキル・次元斬を使えるようになります。これはあらゆる防御を無視し相手を切ることが出来る絶対切断の絶技です。勇者となったあなたに敵う者はいないでしょう』
「……うーん、それくらいで姉上より強くなれるとはまったく思わないのですが……」
『……何か言いましたか?』
「いえ、独り言です。続けて下さい」
『分かりました、ここまではあなたに与える奇跡です。もう一つは神託を授けましょう』
「女神様は僕が何を成すのがお望みですか?」
『勇者と言えば、無論魔王討伐です。今代の魔王ザグギエルを討つのです』
「……へぇ、魔王ザグギエルですか」
初めて興味を持ったような声に、女神は少し気をよくした。
『魔王討伐と聞いて目を輝かせるとは、素晴らしいことです。さすがは私が選んだ勇者』
「いえ、討伐の方には別に興味は……」
そのつぶやきは小さく女神の耳には届かなかった。
『ですが、話はまだ続きがあるのです』
「そうなのですか」
『いま世界は未曾有の危機に陥っているのです』
「なんと」
『魔王を従僕にした悪しき女狐が世界を巡り配下を集めているのです。かの者はやがて世界中の強力な魔物を集め、人々を滅ぼそうとするでしょう』
「そんな悪い人物が」
『そう、その者の名は、カナタ・アルデザイア』
「? カナタ・アルデザイアですか?」
『そうです。あの魔王ザグギエルすら従える強さと邪悪さを備えた強敵です。いかにあなたが勇者になろうとも、あの悪の権化には一人で勝つことは困難でしょう』
「ああ、それはそうでしょうね」
増長せずに頷くアルスに、女神はやはりこの者は優秀だと得心を得る。
『ですが、心配はいりません。各地にあなたに匹敵する強者の魂を感じます。彼らにも神託を与え、あなたの仲間としましょう。安心してカナタ・アルデザイアとその配下の討伐の旅に出るのです!』
「なるほど、よく分かりました」
『決心してくれたのですね。それでは、あなたに勇者の職業を授けましょう』
「いえ、それには及びません」
『……どういうことです? ここまで聞いて、勇者となるのに何の不都合が?』
「そうですね……。質問を質問で返すようで恐縮ですが、僕の名前をご存じですか?」
『いえ……』
そう言えば、魂の強度を選定基準に探していたため、名前などには目を通していなかった。
利用する人間の名前などどうでもいいという女神らしい行動だったが、今回はそれが裏目に出た。
「僕の名前は、アルス・アルデザイア」
『そう、あなたの名前はアルス・アルデザイアと言うのですね。勇者に相応しき素晴らしい名前だと思い……アルデザイアと言いましたか?』
「はい、あなたが悪の権化と罵ったのは僕の姉です」
『え゛……!?』
女神の喉から変な音が出た。
『あ、あなたがあの娘の弟……!? ば、馬鹿な、そんな偶然……!?』
「姉は少し変わって……いえ、かなり変わっている理解不能な人間ですが、心の優しい人です。僕が知りうる限り、姉より優しい人には出会ったことがない。そんな姉が世界を滅ぼそうとするはずがない」
『あ……それ、は……』
「それからあなたが魔王ザグギエルと呼ぶ彼は、僕が姉を託した方です。あれほどの人格者は見たことがない。この国の王様よりも王らしい方でした」
『ま、待って下さい、誤解が生まれているようです……。落ち着いて、話をしましょう……。ね……?』
何とかアルスの考えを修正しようとする女神だったが、アルスはもはや女神と問答する気をなくしていた。
「おかしいですね。僕が知るふたりと、あなたの語るふたりの姿がまったく重ならない」
片膝を突いていたアルスは立ち上がり、嘘つきはどちらか分かりきった様子で女神を見上げる。
「女神を名乗る怪しい人。事情は知りませんが、あなたは我が姉と友人を害する気のようだ」
『ひっ……!』
アルスの碧眼には、少年の者とは思えない冷たい殺意が宿っていた。
上位存在である女神が小さく悲鳴を上げてしまうほどの殺意は、片手に握った剣から打ち放たれた。
横薙ぎに振るった剣は女神の首を刎ね飛ばす──直前に、女神の姿は溶けるように消えてしまった。
「……逃がしましたか」
刃を潰した練習用の剣は、本来下界のいかなる攻撃も効かないはずの女神を敗走させた。
それほどの凄みと姉たちへの想いがアルスの剣に宿っていた。
「……姉上も厄介な存在に目を付けられたものです。いったい何をしたら女神の恨みを買うのやら」
アルスは剣を鞘に収め、息をつく。
「旅先の噂話も王都へ届いてくるので、おそらく元気にしているのでしょうが、少し心配ではありますね。夏期休暇には実家に戻ると言っていましたし、僕も様子を見に戻ることにしましょうか」
授業の終わりを告げる鐘が鳴っている。
アルスはもうすぐ始まる夏期休暇の予定を組むことにした。
† † †
『くそっ、くそっ、くそぉっ! 人間が! 人間が二度も私を恐れさせるなんて……!』
女神は神々しさなど投げ捨てるように、悪罵していた。
一度目の敗走はカナタによって、二度目は弟のアルスによって。
姉弟そろって何なのだあの者たちは。
弟の方は重魂者でもないこの世界の人間のはずだ。
それなのにこの強さ。
『っ……』
先ほどの斬撃は当たったところで効果はなかったのだ。
女神は怯えて逃げた自分を恥じたが、首元に小さな痛みを感じて指で触れる。
すると指先にぬるりとした血の感触を覚え、敗走が間違いではなかったと悟った。
『じ、次元斬……』
いかなる防御も無効化する絶対切断のスキル。
勇者の職業をまだ与えていない少年が、本来使えないはずの技の片鱗を見せた。
神の定めた法則に逆らう存在がまたしても見つかってしまった。
指先についた血を見つめ、女神は戦慄した。
『な、なんてこと……。怪物がまた一人……』
もはや一刻の猶予もない、次なる勇者を選定し、神託をばらまいて高位職業を持つ強者を集め、彼らを抹殺するしかない。
次の勇者はもっと欲望に忠実な操りやすい者にすることを決め、女神は魂の捜索に励むことにした。
わずか14歳で邪悪な女神の本性を見抜き、撃退したチート弟アルス。
そんな彼は姉カナタとの約束を思い出し、故郷へと向かうことにする。
一方、心配する弟をよそにカナタは何をしていたのかと言うと──
次回『モフモフと遊ぶの楽しすぎるのです!』
乞うご期待!






