61話 追い詰められる
三行で分かる、これまでのあらすじ
偽聖女をぶちのめす。
新宗教モフモフ教が設立される。
フェンリルゲットだぜ!
白一色の世界で、女神は鎮座していた。
玉座のように荘厳な作りの石椅子は、世界と同じくあまりに白いため、輪郭を定められない。
どこまでも白い、女神にとって理想の世界で、彼女は待ちたくもない者たちを待っていた。
「…………」
女神の整いすぎた顔には何の表情も浮かんでいない。
静かな笑みをたたえたまま、石座にたたずんでいる。
「…………」
ぎしり、と鋼をすり潰すような音がした。
それは女神の奥歯がかみしめられた音だ。
静かな笑みの下では、平静とはほど遠い怒りと憎悪が吹き荒れていた。
その原因はわかりきっている。
あの人間の小娘。一度ならず二度までも企てた計画を潰され、敗走を余儀なくされた。
ただ計画を潰されただけではない。
女神の力の源である女神信仰の信者までごっそり奪われ、今もなお信者が減じているのを感じる。
世界の構造に気づいた魔王ザグギエル。
聖女の下僕とするはずだった神狼フェンリル。
戦力としても地上最強の二体まで従え、悠々と旅を続けているたった十五歳の少女。
あの少女こそが女神の怒りの原因だ。
異世界からの転生者は、過去にも何度かこの世界に誕生していたが、あの少女はその中でもとびきりだ。
存在そのものが重い、重魂者と呼ばれる神の定めた法則の埒外にある者。
だが、それだけでは超常の存在である女神にとって脅威とはならない。
生まれつきの才能を、ただ一点の目的に注ぎ込み、常軌を逸した修練で鍛えに鍛え上げなければ、神に届きうるほどの存在にはならなかっただろう。
いったい何が理由であの少女はそこまでの力を手に入れたのか。絶対者である女神にすら、見当も付かなかった。
そんな理解不能の少女に、女神は確かに恐怖を感じている。
神たる自分がただの人間に恐れをなした。そのような屈辱があるだろうか。
女神のうちで吹き荒れる怒りは、この純白の世界を黒く焼き潰すほどに激しいものだ。
しかし、それを表に出すわけにはいかない。
これから行われる会合に訪れる者たちに、自らの激情を悟られるわけにはいかないのだ。
女神は改めて平静の仮面を被り直し、彼らの来訪を待った。
そして、到着は定刻通りに訪れた。
「こうして一堂に会するのは、いつ以来か」
その低い声は女神のものではなかった。
玉座に座る女神の背後に、光が降りそそぐ。
神々しい光は像を結び、やがて巨大な人の形を作った。
古に滅ぼした巨人族と比較してなお雄大な光の巨像は、徐々に輝きを弱めていき、やがて白髪白髭の老人となった。
白一色しかない世界では、遠近感までが狂ってしまい、老人の巨大さと相まって、女神のすぐそばにいるような感覚すら覚える。
「魂の収穫法を今の仕組みに定めてからだから、千年は経っているかしら」
妖艶な声で答えたのもまた女神ではなかった。
白い床が蠢き、盛り上がり、声の主を形作る。
娼婦のような甘い声でありながら、その背はあまりに小さく、ほんの五歳程度の子供の背丈しかない。
白い人型の表面が薄く剥離していく。色付いたその姿はやはり童女で間違いなかったようだ。
肩で切りそろえた桃色の髪と、焦点がどこに合っているのか分からない瞳で、両腕で抱えた天使のぬいぐるみを弄んでいる。
「なんで僕らがわざわざここへ来たのか、君は分かっているよね?」
そう女神の頭上から声をかけた者は、少年の姿をした者だった。
空気すらも白いと錯覚してしまう空間に突然現れた少年は、水色の短髪に氷のような冷たい瞳で女神を見下ろしている。
彼らは女神と同じ神格を備えた、同胞だった。
無縫の天衣を纏い、女神に視線を向ける。
だがその視線は好意的なものには見えなかった。
彼らは対等な立場にあるはずの神々だったが、三柱の見せる感情は様々だ。
老人は憤怒を、童女は侮蔑を、少年は嫌悪を、それぞれの視線で女神に向けていた。
「…………」
女神は答えない。
傲然と膝を組み替え、その上に組んだ手を乗せて、三柱の神々の視線を受け止める。
「隠そうとしても無駄だよ。僕らはちゃんと知っている」
少年が女神の周囲を舞いながら、弾劾を始めた。
「魂の収穫がこれだけ遅れているんだもの、誰でも気がつくよね」
「次の収穫の時期は三百年も前に過ぎている」
老人が重く響く声で少年の言葉を引き継いだ。
「だが、お前の行動を尊重し、我らは口出ししなかった」
「本当、私たちって慈悲深すぎるのが玉に瑕よねぇ」
声と姿がまるで一致しない童女が、女神の足元でクスクスと笑う。
「最近に至っては、人間たちの信仰度も下がっているみたいじゃない。私たちはともかく、あなたはだいぶ力を削がれてきたんじゃない?」
童女の言葉に、女神の視線がようやく動いた。
苛立たしさが理由だ。
思い出すのはあの愚かな魔王。人間界を攻め滅ぼすのをやめるなどとと宣言し、この神に不遜な態度を取った。
そんな愚かな魔王を消すついでの遊びだった。
今まで回収した魂は潤沢にある。
自分に刃向かっただけではなく、この世界の仕組みにまで気づいた様子の魔王をいたぶってやるつもりだった。
底の底まで落としきり、自らの無能を嘆きながら死ぬ。その様子を時間をかけて眺めるつもりだった。
そのために少しくらい収奪の時期が遅れる程度、どうということもないと思っていたのだ。
「無能」
頭上から少年に言われ、女神の顔がついに怒りで歪んだ。
「何を怒っているのさ。怒る資格があるとでも思っているのかい?」
「元はと言えば、貴様が次代の魔王へ称号を移さなかったことが原因だろう」
「いくら私たちが下界に直接的に介入出来ないとは言ってもぉ、『託宣』や『試練』を使って人や魔物を操れば容易いことじゃなぁい」
口々に指摘され、女神は奥歯を軋らせた。
「……魔王に課した試練は到底乗り越えられないものだったはずなのです」
心が死ぬまでは肉体も決して死ねないという制約を代償に、あの強大な力を持つ魔王を最下級の魔物にすら劣る能力まで落とした。
誰にも正体を気づいてもらえず、醜い小動物のような姿でさまよわせ、苦しんで苦しんで心から先に殺す。
そうしてからゆっくりと始末する予定だったのだ。
「それがよもや……」
カナタ・アルデザイア。あの少女さえいなければこうはなっていなかった。
異世界からの来訪者。
重き魂を持つ者。
規格外の力を与えられることが確約されている転生者。
彼らは定期的にこの世界へと現れる。
多元宇宙の崩壊を防ぐため、魂は流動させねばならない。
それは全世界の神の共通認識であり、重くなりすぎた世界から軽くなりすぎた世界へ魂を送り込んで宇宙の天秤のバランスを取ることはままあることだ。
特にこの世界は、神が人間の魂を食料としている。魂の減少傾向は他の宇宙よりも大きいだろう。
他の世界の神の中には怪しむ者もいるだろうが、基本的に神同士が干渉し合うことはない。この四柱の神の企みが明らかになったところで、他の神々が争いを挑むことはないだろう。
故に安泰。
故に美味なる魂の饗宴は永遠に続く。
そのはずだったのに、あの少女が罅を入れた。
あの少女は他の転生者とあまりに違ったのだ。
転生者が異世界の神から送り出されるときに与えられる力。転生者たちはチートと呼ぶが、大抵はその力に甘え、努力というものをすることがない。
そのため、現世では圧倒的な力を持てたとしても、上位存在である神には指一つで事足りる程度の力までしか成長することはない。
しかしあの少女は一切の油断なく、尋常ならざる覚悟で練り上げ、上位存在である自分たちにすら届きうる領域まで錬磨していた。
いったいどれほどの想いがあれば、あそこまで自分を虐め抜けるというのか。
前世でよほどの苦しみを味わっていたか、転生してよほどの目的が出来たか。
もしくはその両方なのか。
生半な意思では決して至ることのできないレベルに、あの少女は上り詰めていた。
「あの娘さえ、現れなければっ……!」
肘置きを握りしめ、女神は呪うようにうめいた。
「言い訳は聞きたくないわねぇ」
童女が嘲る。
「外なる世界からやってきた者が世界の法則を乱すことは考えられたことだ。我々が原生の神を封じ、この世界の神に成り代わったように。その苦労、貴様も知らぬわけがあるまい」
老人が怒る。
「君がこの仕事を任されたのは、キミの神性が原生の神に近かったからってだけだよ? 仕事をしないのなら魂の配分量は考えないとね。なんなら別に今からでも僕が代わってあげても良いんだよ?」
少年が軽蔑する。
女神を含めた彼ら四柱は、元々この世界の神ではなかった。
数多に存在する次元の中からこの世界に目を付け、外部からやって来た侵入者だ。
異界からやって来た彼らは、世界を見守る原生の女神を集団で不意打ちし、氷結地獄の奥底に封じ込めた。
そして世界を乗っ取ると同時に、この世界を運営していたシステムを自分たちが支配しやすいようにいじくった。
そのシステムの一つが【選定の儀】による職業選択だ。
これは元より他の生物に比べて貧弱な人類を補助するためのものであり、どの職業もそれぞれに人類にとってメリットのあるものだった。
しかし、人類の魂が食糧である異界の神々は、これを自分たちの私利私欲に利用することにした。
まず、魔物に人を襲わせるにあたって、邪魔となる職業を排除する。
その職業とは【魔物使い】だ。
現代では最弱のハズレ職と知れ渡っている職業だが、かつてはそうではなかった。
魔物と人との仲を取り持ち、協力して仲良く暮らす国まであったのだ。
それが神々にとっては邪魔でしかなかった。
魔物によって人を狩り、効率的に魂を収穫するためには、魔物と心を通わせることができる魔物使いが邪魔でしかなかった。
しかし、この世界にとって異物である神々は、原生の神ほど下界に深く関わることは出来ない。
職業そのものを消すことは彼らにも叶わなかったのだ。
故に、職業に付与される加護を改竄することにした。
魔物使いを職業に選んだ者は、魔力や体力などの全てのステータスに大幅なランクダウンを与え、まともに生活すら送れないようにした。
逆に魔物と戦うための戦闘職は優遇し、自分たちの手足となって働く【僧侶】【神父】【修道女】などには結束力を高めるため、頻繁に神託を与え、彼らの得になる未来へと導いてやった。
とりわけその中でも【聖女】にはあらゆる面での優遇を付与し、そのメリットを制約として半ば洗脳とも言うべき強い信仰心に目覚めるという加護にした。
信仰心は異物である神々の存在を強くこの世界につなぎ止め、神々の力をこの世界に行使するために重要な要素である。
異界の神々が襲来する前に存在した【始まりの聖女】を信仰する教会を乗っ取るようにして神聖教会を興し、怒濤の勢いで世界の宗教を統一していった。
人類を発展させる一方で、彼らを狩る準備も万端に行った。
本来、統治者としての役割を持つはずの【魔王】に能力向上を制約に凶暴化の加護を追加し、対抗存在として発生する【勇者】にも魔王に対する強い憎悪を持つように仕向けた。
こうして今の仕組みが完成した。
神聖教会を通した神々の統治によって人類を増やし、魔王によってその増えた人類を殺し、大量の魂を収穫すると供に、追い詰められた人類が強く神に助けを求めるように差し向け、後に勇者に魔王を討伐させることで、信仰心を高めて神聖教会の支配を確固たるものにする。
そうして何千年もの間、この世界は異界の神によって裏から支配されていたのである。
「でも、僕らが考えた最強のシステムが壊されようとしている」
「私たちの方でも観測しているけど、あの娘はちょっと放置できないわねぇ」
カナタ・アルデザイアというたった一人の少女が、神々の考えたシステムにひびを入れ始めていた。
最弱まで落とした魔物使いという職業を自ら選びながら、なおこの世界において最強に等しい力を持つ存在。
「下界に顕現したときの我らの力は、今と比較にならぬほど落ち込むとは言え、お前が逃げ帰るほどの相手か」
「っ……」
逃げた。そう言われて女神の顔に恥辱で朱が差す。
神を名乗る者にとってありえない恥だった。
クスクスと笑う童女の侮蔑が腹立たしい。
人形のように整ったその頭を今すぐもぎ取ってやりたい衝動に駆られるが、相手は同じ神格を持つ神。
そして責任を追及してくる神はもう二柱いる。
下手な行動は身を滅ぼすことを女神は理解していた。
「あなたのお気に入りだった【聖女】も洗脳が解けちゃったみたいだし、これからどうするつもりかしらぁ」
「対応策がないのなら、本当に我らの内のいずれかと役目を代わってもらわねばならぬな」
上位存在である女神は、局所的な手段でしか下界に介入できない。
その手足として存在したのが聖女マリアンヌ・イシュファルケだ。
神聖教会の頂点に立つ彼女は、妄信的に女神に従う良い駒だったが、度重なる失敗の咎を受け、女神によって天使の核とされた。
そしてその異形の姿でカナタ・アルデザイアと戦わされたが、圧倒的な力の差を見せつけられて敗北した。
そのまま滅ぶところをカナタに救い出されたことで、今度はカナタへの信仰心に目覚めてしまった。
聖女の職業を授けるときに付与される、洗脳に等しい信仰心。
それが綺麗に消えてしまったのは、おそらくカナタが完全に融合した天使の体から女神の影響を省き、マリアンヌの存在だけを抽出して再構成したせいだろう。
今やマリアンヌは女神の支配を受けず、ステータスの恩恵だけを受ける厄介な敵となってしまっていた。
「見たところ、モフモフ教なんてふざけた宗教を立ち上げたそうじゃないか」
「名前で馬鹿には出来ぬ。かの娘に多数の強い信仰心が集まっているのは事実だ」
「収穫も遅れ、信仰心も減り、この後始末はどうつける気かしらぁ」
もはや四柱の会合は、査問会議と化していた。
責任を追及された女神は苦しげに言葉をひり出した。
「まだ考えはあります。私の地位を奪いたいのであればその後にしてもらいましょう」
握りしめた肘置きがギチギチと悲鳴を上げる。
いつも澄ました顔の女神がこれほどまでに悔しげに表情をゆがめるのは、三柱も初めてだった。
「いいだろう。その言葉を信じよう」
「でも、崖っぷちなことは忘れない方が良いわよぉ? 今、あなたの味方は誰もいないんだからぁ」
「失敗したら、その対価は君の神格で払ってもらうことになるからね」
三柱の神々は憤怒と嘲笑と軽蔑の視線を残し、白の世界から退出した。
「…………。……クソ共がっ!!」
女神らしからぬ罵倒を吐き捨て、女神は石椅子から立ち上がる。
「この策が失敗したら私は……。いいえ、私は全知全能の女神。かつての世界のことなど忘れるのよ……」
女神は震える肩を押さえる。
「……焦りは禁物。あの少女はこの世界におけるバグとも呼べる存在。生半な相手をぶつけては返り討ちにされ、魔王や聖女のように寝返らせてしまうだけです。幸いにして、魔王は人間界にいるというこの状況。勇者を選定する条件は整っています。絶対の殺戮者である勇者とそして私自らが選んだ高位職業の強者の力を合わせ、あの少女を討つほかありません」
女神は自らの策を実行に移すべく、下界に目を向けるのだった。
追い詰められた女神は邪悪な策を手にして下界に降りる。
そこには勇者の職業に相応しい、最強の少年の姿があった。
格好の獲物を見つけた女神はその白々しい清らかさで少年を勧誘する。
女神は見事少年を勇者に祭り上げ、憎きカナタを倒すことが出来るのだろうか!?
次回『あなたの言う魔女は僕の姉なのですが?』
乞うご期待!






