第58話 神狼フェンリルをゲットする その2
「じゃあ、目的も果たしたし、帰ろっか」
大きなお風呂付きの宿に泊まって、フェンフェンをしっかり洗わなきゃと、カナタは鼻息を荒くする。
『お待ちください、カナタ様。やはり、我はあの偽聖女は放ってはおけません。あやつは信仰という手段でこの世界を支配しようとする悪党です!』
「フェンフェンも大モフモフになったし、わたしはもう帰っても良いんだけど。あの人あんまりモフってないし……」
『いや、カナタよ。ここで逃せば神聖教会に常に狙われることになるだろう。追手や懸賞金までかけられる恐れがある。ここであやつをしっかりと懲らしめることで、後顧の憂いを断つのだ』
「そお? それってそんなに大事なことじゃないと思うけど……」
『カナタは神聖教会を敵に回すことが大事ではないと……! その度胸、さすがは余の主よ』
『カナタ様はお優しい。あのような悪女さえも見逃そうとおっしゃるのですね。分かりました。あの女が手向かうことがあっても、我がカナタ様をお守りして見せます!』
「じゃあ、話がまとまったところで、帰ろう帰ろう」
『うむ』
『そうしましょう』
地下牢を出て、大聖堂の大扉を出たところで、何者かが天井を突き破って現れた。
「帰るなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
待ちぼうけを食らった聖女マリアンヌとその供をする天使像だった。
怒りでぜぇはぁと息を荒げるマリアンヌの形相はとても聖女とは呼べないほど歪んでいた。
「今か今かと待ち構えていたら、わたくしを放って置いて帰るですって……! どこまでわたくしを虚仮にすれば気が済むのですか……!? 怒りを我慢するのも限界ですよ……!」
マリアンヌの怒りを体現するように、そばに控えていた二体の天使像が前に出る。
翼を大きく拡げ、今にも襲いかかってきそうだ。
『ここはお任せ下さい、カナタ様』
『有言実行というわけだな。余も付き合おう。貴公がその姿で戦うのであれば、余も封を解いて構わんな』
フェンリルがカナタの前に立ち、その横に並んだザグギエルが毛玉から魔王へと姿を変える。
「馬鹿なことを……。神狼フェンリル、あなたは一度この天使像たちに敗れたことを忘れているのですか? 仲間が一人増えたくらいで、何が変わると思うのです?」
『忘れてなどいない。不意を突かれたなどと言い訳をする気もない。だが、二度目はない。それだけだ』
『言うではないか、たかが天使の模造品が。魔王に相対する資格があるか、直々に試してやろう』
フェンリルは身をかがめ、力を溜める。
ザグギエルは手首の骨を鳴らして、泰然と構えを取る。
「っ! 行きなさい天使たちよ! あの愚か者どもに神罰を与えるのです!」
『貴公は右、余は左の天使を引き受けよう』
『了解した』
向かってくる天使たちに、ザグギエルとフェンリルは初めてとは思えないほどの息の合った動きで対応する。
ザグギエルの爪の一撃が天使の片腕を落とし、フェンリルの牙が足を砕く。
「天使の固い体を一撃で……!?」
『余らを誰だと思っている』
『カナタ様の従僕だぞ』
思わぬ大ダメージに、二体の天使は後ろに下がりながら強く羽ばたく。天使の羽が矢のように降り注いだ。
当たればただでは済まないだろう。だがザグギエルは恐れず前に進み、後から追いかけてきたフェンリルの咆吼が冷気の奔流となって羽を凍り付かせる。
『『終わりだ』』
ザグギエルの爪とフェンリルの牙が交差し、二体の天使を木っ端微塵に砕いた。
「そ、そんな……! 強すぎる……! 天界の力ですよ! 上位の世界の力に下の位階の者の力が届くはずがないのに!」
マリアンヌは髪をかきむしって錯乱した。
『ふっ、意思を持たぬ石の像が、主を得た我らに勝てるはずがあるまい』
『独り世界を彷徨っていた頃の我と同じと思うなよ』
「く、くぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」
マリアンヌは血が出るほど唇を噛みしめ、頭にかぶったベールを叩きつけると、一目散に逃げ出した。
『むっ! また逃げるか!』
『流石にもう見逃せんぞ。大人しく捕まり、罪を償うが良い』
奥の手まで失ったマリアンヌは、逃げ続けて大聖堂の最奥にたどり着いた。
そこには女神を模した美しい像が佇んでいる。
「め、女神様……! 女神様……! どうかわたくしの声をお聞き届け下さい……!」
懸命に祈りを捧げると、石像に光が降りそそぐ。
「あ、ああ、女神様ぁ……」
安堵に表情を緩めるマリアンヌにかけられたのは、女神の口から出たとは思えない罵倒の言葉だった。
『この、役立たずが……! 私の言うことに背いて勝手に手を出した挙げ句、大事な天使の石像まで破壊されるとは……! あれを一体造るのに、どれほどの信仰力を消費すると思っている……!』
「お、お許しください……! 女神様! どうか、どうか、わたくしをお助けください!」
助命を乞うマリアンヌの姿に、女神がすぅっと目を細める気配がした。
それはマリアンヌにもはや何の価値も感じていない視線だった。
『……挽回の機会を求めるなら、さらなる力を与えることも考えましたが、まさかの命乞いとは。聖女ならば最後まで神の敵に抗うべきでしょう? そんなこともできない恥知らずの聖女には、それにふさわしい罰を与えてあげましょう。せめてあの重魂者に傷の一つも与えてみせなさい』
「め、女神様……?」
卑屈な笑い顔を浮かべたマリアンヌに、白々しいほど神々しい光が降りそそぐ。
『おお、聖女マリアンヌ・イシュファルケよ!』
女神は高らかに歌った。
『神敵を滅ぼすためならば、我が身がどうなっていいとは、何という献身か! 貴方のような敬虔な信徒に、このような試練を与えるのは心苦しいですが、貴方が是非にと望むのでは仕方がありません。女神として、貴方に奇跡を授けましょう!』
「め、女神様……? な、何を言って……?」
マリアンヌは呆然とつぶやく。
そして自分の足元が揺れていることに気がついた。
揺れの原因は目の前の女神像だ。
女神像は激しく揺れながら徐々に液状化し、マリアンヌを飲み込んだ。
「い、いやあああああああ! 女神様! お許しください! 女神様ぁぁぁぁぁっ! 誰か、誰か助けてぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
『なっ!? これはいったい!?』
『女神像に聖女が食われた……!?』
『女神め、余に呪いをかけたときと同じことをしたな……! 無理矢理、神の試練や奇跡の枠組みに収めることによって、世界に過干渉をもたらす姑息な技よ!』
聖女を取り込んだ石像は、生き物のように脈打ち始め、それのみならず、ザグギエルたちが破壊した天使像の残骸まで床を這って集まってきた。
『今のうちに破壊するか?』
『いや待て、今攻撃すれば、余らも取り込まれかねん』
ザグギエルの言うとおり、脈打つ石像は周囲のものを食らい尽くそうとしているようにさえ見えた。
それだけ大量のエネルギーを必要とする何かが生まれようとしているのだ。
そしてその時はすぐに訪れた。繭のように固まっていた石が割れ、中から新たな生物が誕生する。
「GYAOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!」
甲高い産声を上げるそれは、あまりにもおぞましい怪物だった。
発達しすぎた筋肉、ねじくれ曲がった角、蝙蝠のような翼に、蟲のような六つの複眼。
そして、色だけが不気味に白い。
まるで純白の悪魔と言った出で立ちだ。
『これは……先ほどの天使の比ではないな……。女神め、とんでもないものを降臨させたものだ』
『おそらく、潜在する力だけで十倍、いや百倍はくだらないぞ……』
魔物の中では最強の一角であるザグギエルたちが、彼我の戦力差にうめく。
「GYAOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!」
この世の全てを憎むような鳴き声だ。
中に取り込まれたマリアンヌの意識はとうに溶けて、天使や女神の石像と融合してしまっている。自我は消えて肉体も消失し、もはやあの怪物の中から助け出すなど不可能だ。
純白の悪魔がザグギエルとフェンリルを見た。緊張に汗が流れ落ちる。
聖女の全存在を生贄に産まれた怪物は、ザグギエルとフェンリルを──無視した。
『な』
『に……?』
純白の悪魔が向かう先は、腕を組んで待っているカナタのところだった。
『か、カナタ! 逃げろ! 余が甘かった! それはこの世界に住むものが勝てる存在ではない!』
『お願いします! カナタ様! 我らが盾になっている間に早く!』
焦るザグギエルとフェンリルに対して、カナタは閉じていた瞳を静かに開けた。
そして、純白の悪魔を見つめ、小さくつぶやく。
「うーん、モフ度ゼロ」
上位存在に飲み込まれたマリアンヌ。
圧倒的な力を持つ化物にカナタたちはどう立ち向かうのか──
次回『無限障壁地獄で攻撃が届かない(敵の)』






