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神薙少女は普通でいたい  作者: 道草家守
第六章

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わたしの望み


 かたずをのんで見つめていれば、ふいにナギの赤の瞳が柔らかく緩んだ。


「ああ、だからわしは、ぬしが愛おしいのだよ」


 その吐息のような声音に、わたしはぞくりと震えた。

 甘くて、優しさを含んでいて、さらにその言葉のインパクトに胸が騒ぐ。

 さあと、目の前の黒が動いたかと思うと、すっぽりとナギの腕に包み込まれていた。


「ふぁ!?」


 みっともなくわたわたとしたわたしだったけど、その衣から漂ってくるのは知らない甘ったるい薫りで、落ちつかなさに拍車がかかった。

 だけどそんなわたしなんてかまわず、ナギはのぞき込んでくる。


 見つめる瞳は柔らかく、いつもあるはずのからかいや意地悪さもなくて――勘違いでなければ、嬉しさがにじんでいた。


「以前から言うておる。わしはぬしの望みを叶えたいだけだ」

「はぐらかさ……」

「はぐらかしてなぞおらぬ。ぬしの傍らで、ぬしが夢を叶えることが、今のわしの幸せ、なのだよ」


 晴れやかな笑顔には嘘は一つもないようで、かあっと顔が赤くなる。

 その甘く熱すら感じるような感情を向けられたわたしは、ふわふわな落ちつかなさに拍車がかかって言葉が出てこない。

 自分のことじゃないのに、何でそんなに楽しそうなのよ。


「そんな、神様みたいなこと、言わないでよ」


 ようやく言えば、ナギは意外そうに眉を上げた。


「確かに(まつ)り上げられておるが、便宜上というやつだからの。水守には力を与える以外はやっておらぬ。それにぬしのかわいいお洋服を着たいという願いに応えて浄衣(じょうえ)を用意したが、デザインに関してはわしの趣味であっただろう。ぬしの望みを通して、わしは望みを叶えているのだよ」


 今までの浄衣シリーズを思い出してぐっと黙り込んだわたしに、愉快そうにくつくつと笑う。

 衣越しにその振動が伝わってきて、わたしが固まっていると、ナギはふと思い出したように続けた。


「そばにいたあの時間で、わしの望みが叶っていたとも言えるのだが。わしからも問わねばならぬな」

「なに、」

「ぬしはだいぶ、ひみこちゃんに近づいたように思えるのだが。ぬしは、未だにひみこちゃんのようになりたいと、思うておるのかの」

「っ!」


 納まりかけた熱がこみ上げる。


 ナギはずるい。愉快そうに笑んでいるのに、瞳は真剣だ。

 高校生にもなって、幼い頃にはまっていたアニメの主人公になりたいか、と聞かれて肯定すると思っているのか。


 羞恥心が頭をもたげる。ごまかす方が楽だ。


「なりたいわよ悪いか!」


 わたしは、抵抗する心をねじ伏せて、顔を真っ赤にしながら叫んだ。


「神薙少女にさせられたのは嫌だったけど、か、かわいい服は恥ずかしかったけど着れて楽しかった! 禍霊(まがつひ)を助けられたのも、助けた人にありがとうっていってもらえたのもうれしかった! 人も、妖も助ける神薙になりたくなったの!」



 あんなに小さい頃の約束を覚えていてくれてうれしいと、思ってしまったのはナギのせいだ。

 神薙になろう、ずっと関わり合っていこうと思ってしまったのもナギのせいだ。

 一緒にいたいと、思ってしまったのも、みんなみんなナギのせいだ。



 わたしは、全身全霊を込めて、ナギの胸へ拳を打ち付けた。


「だから責任もってそばにいて、最後まで叶えてよ、ナギっ!」


 見開かれた赤い瞳に、必死なわたしが映り込んでいるのがみえて、死ぬほど恥ずかしかった。

 予想外だったのだろう。沈黙が怖い。

 だけど、ナギは弓なりに目を細めて、艶やかに匂やかにほほえんだ。


「ぬしは、ほんに。わしを捉えてはなさないの」


 しみじみとした声音には満足感とどこか切なさがこもっているように思えて戸惑った。


「なにを……」

「ぬしよ、わしの名を呼んでくれ」

「名前って、真名(まな)?」

「ああ」


 ずいぶん唐突だと思ったけれど哀願するような雰囲気に逆らえず口にした。


参頭遠呂智凪伎(ミズオロチノナギ)?」

「ぬしが付けてくれた名でも、もう一度」

「ナギ?」

「うむ」


 ナギは、まるで味わうように目を閉じて、満足そうにため息をつくと、くつりと笑った。


「幼いぬしは、わしが教えても、舌っ足らずでなかなか呼べなかったのう」

「そ、それはしょうがないじゃない」


 難関は”ず”だったことは何となく覚えていて、決まり悪さに目をそらしても、ナギの楽しそうな気配は変わらない。


「適当で良いというたらナギになった。まさか、それを覚えておらぬぬしに同じ名で呼ばれるとは心底驚いたの。どれだけうれしかったか、ぬしに伝えられんのが残念だ」


 それは、本当に偶然だと思っていたけど、もしかしたら奥底で覚えていたのかな。

 ナギはしみじみと続けた。


「『参頭遠呂智凪伎』も『ナギ』も、呼ばれはするが、なぜだろうの。わしにとっては、ぬしに呼ばれるナギが一番しっくりくるのだよ」


 こんなに素直なナギの言葉を聞いたのが初めてで、わたしはナギの柔らかな笑みに見入った。

 だけどそんな気配はすぐに消えて、少し真剣な顔になる。


「ぬしのかわゆき思い出話はたくさんあるが、悠長にもしてられまい」

「うん」


 姉が、水守が今も戦っているのだ。

 未だにここに誰も来ないからと言って一刻の猶予もない。


「安心せい。ここは外と時の流れが微妙にちがうでな、姉たちはまだ無事だ」


 ナギが軽い調子で言ってくれたおかげで、少しほっとしたけれど、「まだ」という言葉に気を引き締めた。


 わたしはハリセンを持って立ち上がる。

 同じように立ち上がったナギが、わたしの意志を察したように言った。


「ぬしの望みは何かの」

「水守を守りたい。力を貸して」


 間髪入れずに答えたけれど、それがどういう意味か思い至って、すこしためらう。


「わたしは、無貌はもちろん、あの鬼灯(ほおずき)って人も許せない。でも、ナギのお姉さん、なんだよね」


 傷つけるってことになる。わたしだって姉が敵に回ってしまったときでも、傷つけるのをためらった。

 ナギの心中はどうなのだろうと伺えば、しょうがないな、とでも言うように表情はいつも通りだった。


「気にするでない。だが、鬼灯とはわしが話を付けよう。おそらくそれが一番良い」

「っでも」

「大丈夫だ。わしはぬしの式神だからの。ちゃあんとぬしのもとへ帰ってくる。ぬしは姉たちを助けることだけ考えよ」


 わたしの不安を先回りしてナギに言われて、うなずかざるを得なかった。


「約束よ」

「うむ。わしは嘘はつかぬ」


 さんざんいろんなことを隠してはいたけれど、ほんとうに、言葉にうそだけはつかなかった。

 それで、わたしがナギを信じることにしていると、ナギがのぞき込んできた。


「なのでな、また、縁を結んでくれるかの」

「え」

「今までは、仮名(かりな)だったからの。ぬしが思い出した今であれば、真のつながりを持つことができる。より強力にわしの力が使えるぞ」


 多くの力が使えるというのは今一番必要なことだ。

 だけど、強力に力を使うということは、ナギに多くの負担を強いることじゃないか。


「ナギは大丈夫なの」

「わしは、ぬしに名を呼んでもらえれば百人力だからの。それに、ぬしにならしばられたい」

「っ人が心配しているのに!」


 声を荒げても、ナギはいっこうに応えた風はない。


 百人力って言うのがよくわからないけど、なんだか教えてくれなさそうだから仕方がない。

 息をついたわたしだけれど、胸の動悸は収まるどころか、激しくなるばかりだ。


 原因はわかっている。


「ねえ、縁を結ぶって、あれなんだよ、ね?」


 はじめに結んだと思われる行為が、それしか思い当たらなかったからだ。

 うろうろと視線をさまよわせながら聞いてみれば、ナギはちょっと意外そうな顔をした?

 けど、顎に手を当てて神妙にうなずいた。


「うむ、時間をかけられる余裕も、儀式のできる用意もないでな、それが一番手っ取り早かろう」


 やっぱりそうかと、わたしは、またじんわり熱を持ち始める頬を感じながら、黙り込んだ。


 確かに、口づけは、霊力の交換や受け渡しをする際に、普通に接触するよりも効率的、らしい。


 いろいろ契約の方法はあるとはいえ、そんなにおかしいことじゃあない、と思う。

 前にもやったわけだし。

 そう、これは神薙としても何ら後ろめたくもない正当な行為なのだと、言い聞かせても、全く気は静まらなかった。


 でも、こんなところで時間を費やしている場合じゃない。


「い、いいわよ」

「そう、緊張されるとやりづらいのう」

「しょうがないじゃない!」


 何とか気合を入れて見上げれば、困ったように苦笑いされて、なけなしの決意も揺らいでしまう。

 文句言うな、と思うけど、力が抜けないのだ。どうしても。


「そんなに嫌かの?」


 小首を傾げて問いかけてくるナギは、ちょっと寂しげにも見えたけど、目は愉快そうに笑んでいる。

 と言うかそれ絶対楽しんでる!!


 でも、抵抗感があるのも本当だから、わたしは目をそらしてぽつりと言った。


「あんな、不意打ちが、嫌なだけだもん」


 一度目の時は、よくわからなくて、でも悔しくて、屈辱的と怒りでぐちゃぐちゃだった。

 それを思い出せば、すごく泣きたくなって、あんなのもう嫌だと思う。


 ただ、今はちがうのだ。

 心臓がどくどく鳴っているのがわかる。

 今、触れられてしまったら、ナギに聞こえてしまうんじゃないかと思うくらい。


 不安な気持ちの中に違う想いが混じっていて、それがわたしを戸惑わせるのだ。

 ちら、目の前のナギを上目遣いで見上げて、おずおずと言った。


「だから、やさしく、してね」


 当然のお願いのつもりだった。

 だけど、ナギは息をのんで目を丸くしていたかと思うと、切なげに眉をしかめて。


 不意に腰に腕が回って引き寄せられて、もう片方の手で顎を取られて上向かされた。


「あまり、かわいいことを言うてくれるな」


 え、と思ったときにはナギの、蠱惑的な美貌が目の前にあって。


 思わず目をつぶる。





 ふれた唇は、やっぱり少し冷たかった。





 そこから、ナギの冴えた霊力が流れ込んでくるのがわかって、その心地よさに体のこわばりがほどけた。

 

 体にナギの力が満たされて、わたしの何かとつながり、ナギの気配をより身近に感じる。


 無事に終わった、と思ってほっとして離れようとしたのだけど。

 腰に回された腕に力を込められて、さらに引き寄せられた。


 鼓動が一つ大きく跳ねる。


 反射的に腕に力を籠めればなだめるように撫でられて、唇を食まれた。


 その感触はびっくりするほど柔らかくて、でもそれを感じているのは自分の唇で、頭の中が真っ白になる。


 下唇をはまれ、今度は上。


 一度離れたと思ったら、今度は角度を変えて降りてきた。


 息はあっという間に上がって、そのたびに、ぞくぞくとしたものが背筋に走った。


 恐怖、じゃない。甘いしびれのような感覚が、全身に染み渡る。


 ふわふわするような感覚に、思わずナギの衣をすがるように握りしめた。


「ふっ、ん……っ」


 どうやって息をしていいかわからなくて、そうしたらなんだか変な声がでて、ますます顔が熱を持つ。

 目を開けば、ナギの赤い瞳があって、その深くて強い光に、体がすくんだ。

 

 そんな目。しらない。

 でも、ずっと見られてた。

 今、わたしははいったいどんな顔をしてる?


 かっと体中が熱を持って、わたしの頭をおかしくする。


 まるで確かめるみたいに、大事にするみたいに何度も唇の合わせ方を変えられて、そのたびに頭が。おかしい。何で。わかんない。


 ふいに唇が何かになぞられて、ナギになめられたのだと知って、ぞくぞくと体が勝手に震えた。


 怖い、けど。嫌じゃない。嫌じゃないから、こわい。


 息が、できない。いま、唇を開け、たら。




 スパンッ! 




 小気味の良い音と共に、ナギが消えた。




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