押し売りでも買わざるを得ない時もある
「あんたの好みなんて関係ないっ。というかなんでここにいるのよ! 蔵から出てこれないんじゃないの!?」
さすがに驚いたのだろう式神に、わたしは取り落とされた。
着地してすかさず距離を取れば、式神は戸惑ったように頬をなでつつ、ひょうひょうといった。
「縁はつながったのでな、ぬしの下にはいつでも行けるのだよ」
その言葉に、先ほどの口づけを思い出し、屈辱と羞恥で顔が真っ赤になるのがわかった。
式神に指し示された服のポケットに手を入れてみれば、ころりとした形の、覚えのありすぎる丸い鈴がしっかりあった。
「たとえぬしが依代をなくしても、戻ってこられる安心仕様だ」
「うそ……」
しかも心なしかきれいになっていて、かすかな街灯の光に照らされて鈍く光を反射していた。
遠くへ放り投げたくなったのを我慢して、目の前の式神に投げつけた。
けど普通にキャッチされて悔しい。
「……勘違いしているようだから言っておく。わたしは確かに水守の人間だけど、人あらざるモノが視えるだけで、あんな妖にすら抵抗する力を持たない出来損ないよ。あんたを使うことも、満足に霊力をやることも出来ないわ。わたしに憑いたって良いことなんかひとっつもないわよ」
かさぶたをひっかいているようなかすかな痛みを無視して、一気に言い切る。
我ながら自虐的だと思うが、全部本当のことだ。
わたしは神薙としては無能だ。だからあの家にいられない。
「わたしは、これから普通の人間として生きるの。式神なんていらないんだから」
これでさっさと帰ってくれればいいと、そっと視線をあげて伺えば、式神は秀麗な顔で怪しく微笑んでいた。
その得体の知れなさにわたしが一歩後ずさると、式神はすいっと腰を屈めてささやいてきた。
「ぬしは水守から離れたがっているようだが、良いのかね? わしをこのまま帰らせれば、本家の人間どもはなぜ目覚めているかと問いかけてくるのは当然。わしはぬしに目覚めさせられた、と正直に話すことになるだろうなあ」
わたしはその後の展開をまざまざと想像して、血の気が引いた。
たとえ、あまり重要でない蔵から出てきたものでも式神は式神。
長年無能だったわたしが目覚めさせたとあれば、問答無用で神薙としての修行を再開させられるだろう。
せっかくわたしが努力して合格した、高校への入学を取り消して。
冗談じゃなかった。
「っ!脅す気!?」
「いいや? わしはあくまでぬしの望みを叶えたいと思っているだけだよ。現世の魍魎どもは、自分たちを認識できる物に惹かれて寄ってくる。それはぬしも重々承知のはず。都心は陰の気が集まり、陰の気に吸い寄せられる妖も禍霊に変じる雑霊もいくらでもおる。水守の庇護もないぬしは、いったいどうやって身を守る」
今まで修行していた村は水守が徹底して管理していたから、禍霊に変じた霊やたちの悪い妖怪はほとんど居なかった。
だから多少苦労はあっても、比較的安心して過ごせていたけど、この土地は違う。
野放しとは行かないまでも、どんなモノが現れるかわからない。
対処出来ると思っていたけど、実際に相対した今は、これからやっていけるのかひどく不安になっているのは事実だった。
わたしが唇をかみしめていると、式神の低く響くような声が落とされる。
「わしならば、あのような雑霊どもからぬしを守るくらい造作もない。それに今のわしは省エネでな、ぬしの霊力でまかなえる。結構お得だと思うぞ?」
式神は、かすかな街灯の明かりに照らされながら、曖昧に口角をあげる。
その表情から、なにを考えているかをわたしは読みとることは出来ない。
だけど、本当に悔しいがこの式神の提案は、ひどく魅力的だった。
でもすぐには頷けず、式神だという男の蠱惑的な美貌を見上げた。
「わたしに、都合が良すぎるわ。あんたのメリットはなに」
この式神の態度も、行動もすべてが怪しい。
すべてが好意であると納得できるほどおめでたくもない。
精一杯の虚勢を張ってにらみあげれば、式神はわたしの警戒など意に介さぬといった風で悠然としていた。
「先にも言っただろう。わしはただ、ぬしの願いを叶えたいだけなのだ。それでも強いていうのであれば、わしは退屈しておるのだよ。ぬしのそばに居ればしばらくは飽きなさそうだ」
式神の真意は全く読めない。
怪しく光るような赤い瞳に、わたしは自分が獲物になったような気さえしてくる。
いや、あながち間違いないのかもしれない。
この男にはきっと、わたしをちょっと面白そうな暇つぶし程度にしか思っていないのだろう。
この自称式神は信用できない。
でも。
「……あんたの主になったら、わたしが普通の生活を送れるように守ってくれるのね」
「ああ。ぬしの身は守ろう」
それでもわたしは、ほれどうする、と言わんばかりにちらつかされる鈴をぎりぎりと唇をかみしめながらも受け取るしかなかった。
「さあぬしよ、わしに名を付けるが良い」
継承式の式神にとって、名付けというのはとても重要な儀式だ。
式神の発揮できる力も変わるし、制御ができるかどうかも変わる。
わたしは得体の知れないこの秀麗な男を宵闇の中でじっと見つめる。
そうはかからなかった。
鈴の組み紐を握った片手を突き出す。
「ナギ。わたしに凪のような日常をもたらして、平穏を脅かすモノを全部薙払えるように。我、水守依夜に仕えることを命じる」
ろん。と鈴がまた鳴り響いた。
清涼な風が互いを包み込み、やんだ後にはこの得体の知れない式神との間に目に見えない縁が結ばれたことをわたしは感じた。
ナギとなった式神は、二三度緩く瞳を瞬かせた。
どこか驚いているようなその様子をいぶかしく思う。
「なに、文句あるの」
「……それはまた剛毅な名だのう」
「変える気はないわよ」
異論は許さないとにらみつければ、ナギは意外なほど柔らかく微笑んだ。
「いいや、それでよい。では依夜。これからよろしくたのもうぞ」
「気安く呼ばないで」
わたしは熱を持っている気がする鈴を無造作にポケットに押し込んで、放っておいた荷物を取り上げた。
ナギがすい、と地を滑るように近づいてくる。
「もってやろうか」
「いらない。自分でもてる!」
仕方なく式神にはしたが、わたしは誰も頼る気はないのだ。
目標は変わらず、めざせ普通の高校生である。
拾ったボストンバックの重みは先ほどよりもずっしりときたが、かまわず肩にひっかけて、わたしはようやく我が家へ歩き出したのだった。




