上達したことしないこと
翌日の土曜日、わたしは駅前で弓子を待っていた。
梅雨の時期に入り、朝からしとしと雨が降っていたので、駅の改札口あたりの屋根のあるとこで雨宿りしている。
「な、ナギ、ちゃんといる?」
落ち着かなくて、こそこそトートバックに向けて話しかければ、中からひょこりと黒蛇のナギが顔をのぞかせた。
「ちゃんとおるぞ。そう緊張せんでも良かろうに。また待ち合わせよりも早く出て来おって」
「そ、それは、ちょっと改善したもん」
前は30分だったけど、今日は15分だし。
ああでもやっぱり緊張するよ……。
「ど、どこも変じゃない?」
「ぬしもだいぶおしゃれが上達したでな。変な所なぞあるわけなかろう。かわいい成分ばっちりだぞ」
今日は、軽い素材の裾の長いシャツに、七分丈のズボンを合わせている。
朝、ナギが森ガール風っていっていたやつだ。
言い方はともかくその言葉にほっと息をついていると、ナギが出し抜けに言った。
「ところでぬしよ、明日の外出はなるべく日のあるうちに帰るが良いぞ」
「元々そのつもりだけど、いまさらどうしたの?」
「なに、妖なぞ気まぐれだ。いつまた現れるかもわからぬでな、危難は避けられるのなら避けたほうが良かろう」
「でも、禍霊の原因になっていた黒い玉は牛鬼がばらまいていたんでしょう? お姉ちゃんが倒してくれて以降、禍霊は出てこないし、とりあえずは安心じゃない」
「そうであるが、用心するに越したことはなかろうて」
もっともなんだけど、なんか歯にものが挟まったような言い方だ。
元々なに考えているかよくわかんない感じだったけど、お姉ちゃんが帰って以降のナギって、やっぱりなんか変?
何かわかっていて隠しているような。
「ねえナギ……」
「依夜ーやっぱり早めに来てたねー!」
聞いてみようとした矢先、弓子が向こうから歩いてくるのが見えて、会話は中断したのだった。
弓子の家は駅から歩いて20分くらいのところだった。
やっぱり学校帰りによるにはちょっと遠めの距離だ。
「本当におじゃまして大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。家族にも一度つれてきてとか言われたくらいだからさ。そんな緊張しなくていいよ」
ぎくしゃくし始めてるわたしを気づかってそんな風に言ってくれた弓子だけどそれは無理だと思う。
で、やってきた住宅街にある一軒家の一つで立ち止まった弓子はわたしの心の準備が整うまもなく、無造作に玄関扉を開けた。
や、弓子は自分の家だから当たり前なんだけど!
「ただいま、つれてきたよー」
弓子に引き続いて恐る恐る玄関に足を踏み入れると、知らない家のにおいがした。
でもどことなく弓子からする香りと似てる、ふんわりとした花の香りだ。
その感じがなんだか新鮮で立ち止まっていると、廊下の奥から女の人出てきた。
「まあいらっしゃい! まってたわよー!」
かわいいエプロンをつけたどことなく面立ちが弓子に似ているその人はにこにこで全身で歓迎を示してくれた。
「そ、その初めまして、水守依夜です。いつも弓子ちゃんには……」
「別にそんなこといいのよう。こちらこそいつも弓子がお世話になってるわ。あ、わたしは弓子の母の真弓です。さ、あがってあがって」
「ちょっとお母さんそんなのいいから!」
ちょっと恥ずかしそうにお母さんを押し退ける弓子はなんだか新鮮だ。
だけどその勢いに押されて去っていってしまう前に、わたしは慌ててもっていた袋を差し出した。
「あ、あの。つまらないものですが。よろしければみなさんで」
中身は近くの洋菓子屋さんのシュークリームだったりする。
これを買うためにも早めに家を出てきたのだ。
とりあえず弓子が甘いものが好きだったからそれを基準に選んだんだけど。
「まあまあ、シュークリームじゃない。丁寧にありがとう。とてもしっかりしたお嬢さんね」
「あ、いえ、その。手ぶらでおじゃまさせていただくわけにも行かないので」
「何かもってると思ったら、別に手ぶらでよかったのに。シュークリームはうれしいけど!」
驚きと素直な感想を口にする弓子に、わたしは喜んでくれたらしいと知ってほっとする。
よ、良かった。チョイスを間違えてなくて。
「ま、こんなところでもなんですから、あがってちょうだいな」
「あはい」
「それにしても弓子が言ってた通り、とってもかわいらしいお嬢さんねえ。弓子が自慢するのもわかるわ」
「お母さん!」
「あとでお茶を持って行くから、ゆっくりしていってねえ」
顔を赤らめる弓子に応えた様子もなく、ころころと笑いながら嵐のように奥へ去っていった弓子のお母さん、真弓さんを見送った弓子は決まり悪そうな顔をしていた。
「ごめん、うちのお母さん割と楽しみにしてたから。いつもよりテンションあがってるっぽい」
「ううん全然だいじょうぶだから。迷惑そうじゃなくて良かった。すてきなお母さんだね」
「素敵なんて、そんなことはないって。あの調子でなんやかんや言うから時々うるさいし。ええと、今日は2割増しくらいだけど」
あれで2割り増しなんだ。
それにびっくりしつつも、弓子はちょっとうれしそうで。仲がいいんだなあと思った。
そのまま案内されたのは廊下からすぐのところにある居間らしきところだった。
ダイニングとつながっているそこは、木目調の家具で統一されていて、弓子がここでくつろいでいるのがすぐに想像できるような温もりのある部屋になっていた。
「一応あたしの部屋は二階だけど、テレビがあるのがここだけなんだ。好きなところ座って」
弓子に言われたわたしは、ちょっと考えてから、床に自分の荷物をおいて、足の低いテーブルの前にちょこんと座る。
と、テレビの前で操作していた弓子はわたしを振り返って苦笑した。
「や、そんな堅いところに正座しなくてもいいよ。というか、ソファに座っていいのに」
「え、あ。いつもの習慣で。絨毯が柔らかいから大丈夫かなって」
「うん、だろうと思った」
恥ずかしくなって立ち上がったわたしがソファに座り直そうとすれば、弓子はソファに乗っかっていたクッションをいくつかおろして隣に来た。
「実はわたしもソファに座るより下に座るほうが多いんだよ。自分の家だと思ってくつろいでくれていいんだから」
「ありがとう」
いたずらっぽく笑う弓子にクッションをもらったわたしはちょっとくすぐったい気分になりながら、クッションをお尻に敷いて座り、ちょっと考えてから、足は崩した。
これくらいなら、許されるかな。
「一応説明すると、今から再生するのは『まじかる☆巫女姫ひみこちゃん』の第一話が入ってる一巻目ね。全部は見れないから、あとは依夜が気になるタイトルにしてみようかなあと」
弓子は、ひみこちゃんのポップなイラストが印刷された辞書ぐらいの厚みがある箱から、次々にテーブルへ取り出して並べてくれた。
それぞれ違うイラストで飾られているDVDの裏表紙には収録されているエピソードのタイトルと紹介が書かれていたけど。
「気になるのって言われてもよくわからない、かも」
「じゃあ、あたしのおすすめのやついくつかで」
「ありがとう。弓子ちゃんはよく見るの?」
特に他意はなかったのだけど、弓子はぎくりと固まり、ちょっとためらうように沈黙する。
「実は、子供の頃からひみこちゃんだけはずっと好きで、ほかは全然なんだけど、今でも時々見直すんだあ。この年になっても子供のアニメを見てるなんて恥ずかしくってさ、あの二人の前では言えなかったんだ」
「そうだったんだ」
決まり悪そうに頬を掻く弓子が少しまぶしく思えた。
修行に追われていて、楽しかったことの記憶は薄かったから、今でも大切に覚えている弓子が良いなと感じるのだ。
「気持ち悪いとか、子供っぽいとか思う?」
「ううん! 全然」
ほんの少し、うらやましいと思うけど。
「好き、を大事にしている弓子ちゃんは素敵だね」
「あ、りがとう」
素直に言えば、弓子はちょっと驚いたように目を見張ったあと、顔を背けてしまった。
でもどことなく頬は赤い気がしたから、たぶん大丈夫かな。
「じゃ、じゃあ上映会はじめまーす!」
そうして。
出し抜けに声を出しながらリモコンを握った弓子と一緒に、わたしはテレビの画面に向かったのだった。




