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潔癖男子の憂鬱  作者: 十帖
番外編
36/38

軟派男子の憂鬱―前編―

羽柴が主役の番外編になります。後編も近いうちに投稿したいと思っているのでよろしくお願いします。

 何を考えているのか分からない。口八丁手八丁、いい加減で不埒で飄々としていて掴みどころがない。そんな軟派なオレでも、幼い頃からずっと欲しいものがあった。


 ――――九つも年の離れた、幼馴染の姉だ。



 終礼の途中で届いたメールに浮足立ったオレは、担任が言葉を締めくくると同時に席を立った。


「羽柴ー今日も潔癖男子たちと活動? たまにはカラオケ付き合いなよ」


 いの一番に教室を出ようとしたオレ――羽柴涼はしばりょうへ、クラスメートの女子が声をかける。オレは足を止めずに、顔の前で手を合わせた。


「ごめん。先約が入ったんだよねー」


「なにー? また新しい彼女出来たの? 女泣かせ! 刺されちゃえ!」


「あはは……彼女だったら良かったんだけどねぇ」


 廊下へと続くドアを開けながら、オレはメールの送り主を想像して苦笑いを零す。

『今日は午後診がないから、学校終わったら会いに来て』という高飛車なメールをオレに送ってきたのは、校内で潔癖男子の異名を持つ色加瀬湊多しながせそうたの姉――美波みなみさんだった。


 そんなメールで逸ってしまうオレってどうなの。いや、マゾじゃないよ。美波さんはオレにとって特別だから仕方ないんだ。


「っていうか、そーちゃんはもう潔癖男子じゃないよ」


 自分の気持ちを落ち着けるように、オレはクラスメートへ一言放ち学校を去った。




 九つも年が離れた美波さんは、とにかく綺麗で。花の蜜のような魅力を持っているせいか、街を歩けば誰かが必ず振り向いて目線で追っている。


 オレはさ、化粧が濃い女は好きじゃないんだよね。言い寄ってくる女は大体ケバイ奴が多いけど、何かがっつりメイクしてる女って……毒を孕んでそうじゃん? だけど、美波さんは別だ。あの人だけは違って見える。


 物心がついた時には、世の中にはこんな美人がいるんだってびっくりした。でもそれよりも驚いたのは、彼女の男癖の悪さだった。


 隣に並んでいる男は毎日アクセサリーのようにころころと変わるし、彼氏が途切れたことはない。彼女が高校に上がる頃には、外車で迎えに来るバカなボンボンがわんさかいた。そのお陰で車に詳しくなるくらい。


 年を重ねるごとに、濃くなっていく美波さんの化粧と香水の香りに嫌悪感も湧いた。軽くて頭のネジも股も緩い女だって、中学に上がる頃にはよく分かったから。でも、視界に入ると、見つめるのを止めることは出来なかった。


 転機が訪れたのは、オレが中学二年の時だった。美波さんが就職した年。その年に、湊多の家庭に亀裂が入った。


 原因はおばさんが限界を迎えたことだって知ってる。俺とそーちゃんは隣の家だから、朝食の席でおばさんが爆発したことは、塀の向こう側にいる俺にも筒抜けだった。


 そーちゃんはどんな気持ちでおばさんの叫びを受け止めて、美波さんはどんな風に思ったのか、気になった。


 だから学校からの帰り道、夕暮れの中、家の前で立ちつくす美波さんに会った時はドキリとした。


 ……泣いていたから。


 あんなにも綺麗に泣くのかと、鳥肌が立ったくらいだった。普段は鼻にかかるような甘い声できゃっきゃと騒ぐのに、泣く時は声も漏らさずに肩を震わせるのかと、驚いた。

 その肩が折れそうなほど華奢なことに、気付いてしまった。


「美波……さん?」


 気づいたらオレは声をかけていた。


 女の子と話すのに緊張したことなんてない。口の上手さには自信があるから気の利いた台詞を添えることだっていつも忘れないのに、その時は何故か何も浮かばなかった。


 ただピン球が喉に詰まったような声が出て、かっこ悪くて死にたくなった。そもそも、それだけでかっこ悪くて死にたいと思うなんて、知らぬ間に美波さんに溺れてしまっている証拠だけど。


「涼……?」


 そう言って振り返った美波さん。その際に白い頬を伝っていった涙を美しいと思ったのも、触れたいと渇望したのも、必然のように思えた。


「……涼、どうしよう……アタシ……っ。皆バラバラになっちゃったよぉ……」


 ――――こう言っちゃなんだけど、当然の結果だ。

 美波さんは家族のことなんか顧みずに遊びほうけてたじゃん。そーちゃんが傷ついていることにすら気付かないくらい無頓着で、おばさんがカリカリ神経尖らせていたことすら見抜けなかったんでしょ。


 アンタどうしようもないバカな女だよ。美波さんって男の前でなら誰にでもそうやって泣くのかな。甘えて泣きついて、吐き気がするくらい優しく慰めてもらうのかな。


 美波さんは、オレを近所のガキくらいにしか思ってなかったはずだ。弟と仲のいい、ちょっとませたガキ。そんなオレの前でも泣いてみせるなんて、本当に魔性だよ。


 とにかく頭の中に色んな暴言が走馬灯のように駆け巡った。だけどオレもバカだったんだ。そんな彼女を愛しいと思ってしまうなんて。


 だって美波さんは泣くくせに、他の女みたいにはオレへと手を伸ばしてこない。ただ迷子のように立ち尽くして泣いているだけだ。縋ってはこないんだ。


 ……存外この人は、孤独な人間なんじゃないかな。そう思った。寂しさを埋めてくれる誰かを探している割には、自分からは近寄れない、不器用な人間。


「大丈夫」


 オレは自然と美波さんの頭へ手を伸ばした。カラーリングを繰り返してる割にさらさらした髪を撫でてあげると、美波さんは小さくしゃくりあげた。


 いつの間にか彼女より頭一つ分身長が高くなっていたオレは、腰を折って美波さんと視線を合わせる。うさぎみたいに真っ赤になった気の強そうな瞳が魅力的で、状況が状況じゃなかったら唾を飲み込みそうだった。


「ねえ、まだ間に合うよ。家族が壊れたわけじゃない。今は時間が必要なだけだ」


 オレは美波さんへそう言い聞かせた。


「美波さんはどうしたいのか。それを考えよう?」


「アタシ……?」


「そう。どうしたい?」


「アタシ……アタシは……」


 言葉を探すように視線を彷徨わせて、それから


「取り戻したいよ」


 すうっと真っすぐにオレを見つめて言った美波さんの瞳には一点の曇りもなくて。周りの音が一瞬全て消えてしまったような錯覚を覚えた。



 決起したように呟いてから、美波さんの私生活は、ガラリと変わった。


 あ、でも見た目はあんまり変わんなかった。相変わらず派手好きで、きわどい服装とかも多い。それは見ててもやもやすると同時に御馳走さまですって感じなんだけど――――……そういうのじゃなくて、家族との時間を持つようになった。


 夜遊びをしなくなって、男と出かけることもなくなった。オレの知る限りでは。


 それをからかうと小さな子供みたいにプクッと頬を膨らませて俺の胸板を叩いてくる美波さん。そう、それくらいに距離が縮まった。


 そーちゃんには申し訳ないけど、家庭が不協和音を奏でたせいで美波さんと仲良くなることが出来た点に関してはラッキーと思ってしまう。こんな最低なオレは、地獄に落ちたりするのかな。


 ああでも……。


「ごめん。今は誰かと付き合うとか、そういう気ないの」


 高校に入学してすぐの帰り道、家の前で取り付く島もなく男を振っている美波さんを見て、ああ、オレも今告白したら、こんな風に振られてしまうんだろうなって思った。


「美波、ほんとに変わったな。つまんねぇ女になった。らしくねーよ」


「つまんない女って言われようが、今は家族が大事なの」


「はっ」


 美波さんの素気無い物言いが勘に障ったのか、付きまとっていた男の目が攻撃的な色を孕んだ。


「家族が大事? よく言う……あんなあばずれだったのになぁ?」


 神経を逆撫でするような声を発し、男は馴れ馴れしく美波さんの肩へ腕を回す。美波さんの目が不愉快そうに細められた。


 でも多分、オレの方がずっと物騒な顔つきで男を睨んでいたと思う。


「家族なんて顧みずに遊び歩いてた女が今更何の真似だよ? ママに泣かれでもしたか?」


「……っアンタねぇ、さっきから言いたい放題……!」


 美波さんが男の腕を振り払い、綺麗に整えられた爪で奴の顔面を引っ掻こうとした。彼女の手が男に触れると汚れてしまう気がしたオレは


「美波さん!」


 と住宅街に響き渡るような声で呼んだ。


 たった今オレの存在に気付いた様子の美波さんは、毛を逆立てた猫のような表情を解いた。


「涼!」


 男の存在をころりと忘れた様子でこちらへ駆け寄ってくる姿が可愛い。


「おかえりぃー! ね、今日の湊多の様子はどうだったぁ? 上手くクラスに馴染めてる? 涼、ちゃんと仲良くしてくれてるんでしょうねぇー?」


「そーちゃんは相変わらずだよ」


「相変わらずって何よぅ。ね、家上がっていきなさいよ! 詳しく聞かせて? ね?」


「いいけど……いいの? 取り込み中だったんじゃ……」


 オレは訳ありげな視線を男へと送る。男はオレを疎ましそうに睨みつけていたが、オレとカチリと視線が合うと、さらに胸糞悪そうに鼻に皺を寄せた。


「何だよ。他の男が出来たんなら、家族が――なんて変な言い訳してないで言えよ。ああ、新しい彼氏がガキんちょってばれるのが恥ずかしかったのか?」


「ちょっと! 涼を馬鹿にしない――……ふぐっ!?」


 美波さんがまたカッとなって言葉を発しようとしたので、グロスの引かれた艶めかしい彼女の口を後ろから手のひらで覆う。それからブランド品で身を固めた男へ向かって、オレは嫌味なくらい爽やかに笑いかけた。


「ガキんちょに負けたってばれたら、ちっちゃな貴方の尊大な自尊心が傷つくと思ったんじゃないですかねぇ?」


 美波さんが「もがっ」と吹き出した気配がしたが、俺はニコニコと笑顔を崩さない。

 もしかして殴りかかってくるんじゃないかと思ったけど、男は今世紀最大の屈辱を味わったような顔をして拳を握りしめているだけだった。


 まあ、この時間帯は人通りが多いから、皆の目を気にしたら殴るなんて出来ないよね。よっぽどのバカじゃない限り。よっぽどのバカかと思ったけど、違ったみたいで良かったよ。


「何言ってんだよ! は、高校生に手出すなんて美波も落ちたよな。ガキと仲良くやってろ!」


 男は捨て台詞とともに唾を吐き捨て、鼻息荒く去っていった。


 何あれダサい。ああはなりたくないよなぁー……。反面教師にしようと心に刻んでいると、ブレザーの胸元にトンと美波さんが頭を預けてきて、一気に心拍数が跳ね上がった。


「美波さん……?」


「ありがとね……涼。助かった」


「いや……別にいいよ。大丈夫だった?」


「うん……」


 美波さんがこうやって頼りにしてくれるのは嬉しい。風船みたいに舞い上がって飛んでいきそうなくらいに。でも……。


 まいったな、とオレは首の後ろを掻いた。


 こうやって頼りにされて優越を感じてるだけじゃだめだ。このままじゃいつまで経っても、欲しい物は手に入らない。美波さんは、手に入らない。


 待ってるだけじゃだめだ。行動しないと。湊多の家庭が修復しない限り、美波さんは周りの男に目を向けてはくれない。オレもさっきの無様な男みたいに振られるのがオチだ。


 美波さんが家族へ目を向けるように仕向けたのはオレだけど、まさかそれが自分の首をしめることになるなんて滑稽だった。


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