嗚呼、素晴らしきあの世界
そびえ立つ石壁、丘に建てられた見事なまでの城砦。背後から射す日差しが空から零れる雪を照らし、崩れた城壁すら美しく見せた。ジャンヌは雪の丘を上がり、その城を見上げる。
見たこともない城だ。日差しで陰り、近くに来るまで気付かなかったが、城は白一色、雪よりも白く、少女のように潔白な白。天へと伸びる塔が神のごとく大地を見下ろしていた。
ジャンヌは無言のまま欠けた城門を潜る。中はまだ雪の訪れに気付いていないかのように緑と淡い橙色に染まっている。様々な苔が共存した小川が城からジャンヌの足元に静かに、慎ましく流れ込んでいる。清涼の音に瞳を閉じたくなってしまう感情を飲み込みジャンヌは小川に沿うように坂を上る。
赤、青、紫。小川は光の当たる角度によって色を変える。血のように赤く荒くなったかと思うと、冷たく氷のように彼女を突き放した。
「おのれ許さん、我妻をさらった所か非人道的な儀式に妻を使うだと?ドルイドも北部人どもも根絶やしにしてやる。さっさと兵を出せ!出陣するっ、今すぐだ!」
どこからか声が聞こえる。
「我々は神を作り出した。これが世界の秩序だ、法だ」
「ジャンヌ…私のジャンヌ。おはよう、これが貴女の世界よ。私の愛しいジャンヌ」
声が聞こえる。その声が自身の頭の中から沸きあがり、強い酔いに襲われる。酒に飲まれ、視界が歪む、強い吐き気に足元はふらつく。嗚呼…一体なんのことだ。分からない。
ジャンヌは膝を着き、手を地面に押し付けた。額から溢れる汗が頬を伝い、顎から緑の大地へと溶けて行く。
「此処は、永遠の森だ…。お前が来るのを待っていた。いや、言い方を変えるべきだな。この場所はお前と私が来るのを待っていた」
今度は頭の中ではない、近くから声が聞こえる。その声はまるで水面を這う振動のように低く曖昧で曇っていて、力強かった。
ジャンヌは顔を上げ、地面から視線を声のするほうへと移した。
「長い旅路だったな、私もお前も」
黒い影が揺られながら立っていた。
「そなたは、誰だ?いや、なんだ?」
ジャンヌは唖然と声を漏らした。人ではない物。揺られる黒い影。
「私は神。作られた神だ」
神?仰々しいまでの影が神。
「私は作られた…。ドルイド達の馬鹿げた理論は証明されたのだ。何万人という人々の思念を流し込まされて、私は生まれた。何万人と言う人々の絶望や憎悪を流し込まされて生まれた。生まれてしまったのだ。最早、神の涙は血に染まり、赤く大地を染め上げる。私には止められない、然しお前ならば、彼女を止めることが出来るかもしれない」
「彼女?一体何の話をしているのだ?」
ジャンヌは首を傾げた。
「彼女…私の片割れ、私の一部。お前達が良く知る人物だ。それが目的で此処まで来たのだろう?」
嗚呼…影が言う「彼女」とはアリアドネの事か。
「どこまで知っている?いや、何を知っている?本当に神なら……フフッ、まったく実感が沸かないが、そなたに私は祈り続けていたのだな。別に、失望しているわけではないが…その、神がそんな曖昧な姿をしているとは夢にも思わなかった」
「お前達が祈りを続ける神とは違う。お前達がいる…いや、いた世界と、この場所は別物だ。それにお前達が信仰する神は私以上に曖昧な存在だ。何より、お前が知りえる事全てを知ってる。お前が忘れてしまっていることも、それを知る必要が有ることも…。私はずっとお前と共にいた。そうだ、あの日からずっとだ」
「あの日とは?」
「嗚呼…少し、過去の旅路につくことにしよう。私とお前の話だ」
影はジャンヌに黒い背中を向ければ、まるで一本の木のように真っ直ぐと身体を立て、ゆっくりと足を動かした。
「着いて来い」
ジャンヌは吐き気がすっかり治まっていることに気付くと立ち上がり、影の後ろを着いて歩む。




