白狼の歌2
空が落ちた。城が形を成さなくなると三人が足を付けていた場所は虚空へと消え、リアナの視界には白濁の空が見える。体の中から重力が無くなり、血も骨も肉も惚けた様に動きを止める。しかし、それは一瞬で、次の瞬間には背中を一つ下のフロアにぶつけ、その痛みに身体を曲げた。痛みに呻きながら体を起こそうとするが、一つ、また一つとリアナはフロアに身体をぶつけながら下降して行く。もう数回それを繰り返した後、二階の部屋でリアナは一息ついた。痛む身体を捻り、後頭部をぶつけたことで脳が揺れ、視界を異次元の如く歪ませた。それでもリアナは身体をうつ伏せに寝返らせて、下のフロアを覗き込む。
下にはジオが背中を反らせて悶えており、その隣で白狼がゆらりと立ち上がり、もう歩みを始めていた。そのタフさには感嘆する。彼女の原動力は人間のものとは違うのだろう。
崩れた瓦礫に鉄球が埋まり、白狼は腕からそれを外す。そして隣で悶えるジオなど目にも入らぬかのように、目の前の出口へと歩みを進めたのだ。
逃げるつもりなのだろう。外には獅子王の軍が控えているだろうし、逃げ道など最早無いことは一目瞭然だが…、彼女ならそれを成し遂げてしまうような気がリアナを不安にさせた。
逃がすわけにはいかない。逃がしていいはずが無い。
リアナは力を振り絞って身体を起こし、下にいる白狼を見下ろした。白狼はリアナの存在に気付かぬまま踵を返して外の淡い光に手を伸ばす。まともに歩くことすら間々ならずに血が染みた足跡を引き摺りながらゆっくり、ゆっくりと歩みを進めた。
見下ろすリアナにジオが視線を向けて、自身の手に持つ剣を突き出した。
リアナ様にお任せします。ジオはそう告げるかのようにリアナに視線を向けて静かに頷いた。
リアナは地面を蹴り、崩れた瓦礫や天井の岩を滑り降りた。白狼の背中が近づく。リアナは手を伸ばし、ジオから剣を受け取れば白狼へと突進した。
白狼ーーー!!
リアナが叫び、白狼はハッと振り返る。同時に残ったほうの腕を振り剣を振りぬこうとするも、リアナのほうが刹那速く、白狼の腕を切り落とし、馬乗りになるように彼女を押し倒した。
倒れこんだ拍子に兜が飛び、白狼は燃えるような瞳をリアナに向けて呟く。
「もう逃げるのは無駄なようだ…。お前も私も」
白狼は吐息を零した。嘲笑的な笑みと共に零れた吐息は、安堵と安らぎの静かな吐息だった。
リアナは剣を振り落とし、彼女の胸に剣を突き刺した。暗夜を照らす灯火が横風に吹かれ吹き消えていくように、白狼の生命の炎も、瞳の中の光も、揺らいで消えた。
彼女から鼓動が無くなったその時になって、リアナは自身が彼女の瞳から目が離せなくなっていることに気が付いたのだ。
「悲願を果たしました。父上もお喜びでしょう」
リアナはジオと共に崩れ去る城を後にした。外気の光に晒される中、モルトが傷だらけの顔をゆがめるように笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。外は雨がしとり、しとりと大地を濡らしている。
「ええ、全部、初めから…やり直しですわね」
「その方がリアナ様にとっても気が楽でしょう。仕来りとか格式とかには無縁でしょうから」
「そうですわね。少し、疲れましたわ。休んでもよろしいかしら?」
リアナは崩れた城の残骸に腰を下ろした。
「残党共の相手は私がしておきますゆえ、ご心配なく」
モルトはわざとらしくお辞儀をすれば踵を返して去っていく。
ジオは医療兵に連れられ、リアナは一人で城の残骸を見た。崩れたガラクタと瓦礫は埃ともとれる砂塵を散らせながらこの国の過去を跡形も無く消し去ろうとしていた。そして、白狼達が積もらせてきた罪は、この雨の雫が洗い流してくれるだろう…。
生者は、また過去から置いていかれ、罪の中に身を沈める。
嗚呼、せめて慈悲をお与えください。リアナは深く項垂れた。
リアナが手にした道は、罪と孤独に生きる悪魔が向う場所への道なのだ。




