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騎士名誉クラブ  作者: 雪ハート
神の涙
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白狼の歌1

「なるほど、もう逃げるのは止めたのか?」

屋上に出たリアナに白狼は問い掛けた。薄暗く、沈黙した城内から開けた屋上へと空気が流れ込む。冬眠から目覚めた獣が目にする始めての日差しの如く、空は雲に覆われていても、その光を強く感じることが出来た。リアナの艶やかな唇から漏れ出す吐息は疲労と安堵が込められている。

「もともと逃げてなどいませんでしたわ」

「いや……お前は逃げていただろう?出生から…そして私から……。はっ、まだ逃げているのだな。そうか、怖いんだろう。この私が、私を殺すことが。くふふっ――これは傑作だ。誰に言われて此処まで来た?スリントか?はたまた裏切り者の女策士か?どちらにしてもお前の意志はどこにも無いのだな」

「そんなこと在りませんわ。わたくしがお前をどれほど殺したいか、ご理解してませんのね?」

「理解してるさ…、誰よりもお前のことを理解している。目を見れば分かるんだ。お前は遭難した船のような女だ。飲み込まれた渦への抗い方を知らない」

「何をおしゃるのかと思えば…馬鹿らしい。その説法臭い口調も気に入らない」

「私から教授してやろう…。抗うのを止めろ。流れに逆らうのを止めろ。そう、お前は生きた死体だ。ただ、身動き一つ取らないまま流れに身を任せろ。お前が生きる方法はそれしかない、死体になるんだ。くふっ」

楽しげに言葉を紡ぐ白狼に対して、何も感じないままの自身が居ることに気付いたのは驚きだった。寧ろ、彼女はこの世界に唯一存在している『自身を理解している人』なのではないだろうかと考えてしまう。その考えがどれほど愚かで、どれほどの悪臭を放っていたか…自身でも理解していたが、その頭に浮かんだ一つの感情は地上に流れる空気のように自然にリアナの思考の中に浸透していく。

「耳を貸してはなりませんぞ、リアナ様。やつはクズじゃ」

後から遅れるように現れたジオがリアナに喝を入れる。

「ええ、分かってますわよ。そんなこと…」

頷くリアナとジオを一瞥した後に、白狼はチッと舌を打ち鳴らした。

「お前達、二人に不安が見える。その不安が私だ。今、現実のものにしてやる。私は貴様らの恐怖だ」

白狼は背後の木箱を蹴り砕いた。長い鉄の刺を帯びた鎖、その先端には硬い鋼鉄の鉄球が繋がっている。その無慈悲なほどに凶悪な武器を、無くした方の腕側の甲冑に繋ぎ止めた。

彼女の腕(最早、鉄球だが)が振り上げられた刹那にリアナとジオは左右に別れた。挟撃の構えを見せる二人を白狼は鉄球の一振りで打開してしまう。リアナの掲げた腕のバックラーを何百と言う鉄くずへと変え、ジオの鎧を容易く砕いた。血反吐を吐き出し塞ぎ込むジオに目もくれずに白狼は、リアナへともう一度、鉄球を向ける。

リアナはぎりぎりまで引き付けた黒塊を寸でのところで避けて、距離を詰める。幾ら白狼が馬鹿力でも、振り回す必要があったし、何よりも近場の相手に鉄球をぶつけるのはリスクを伴うだろうと考えたからだ。あながちリアナの考えは理解できたが、それは白狼とて同じだった。

距離を詰めようと身体を寄せる彼女へと無くしていない方の手に持った剣を振り下ろした。リアナの剣と白狼の剣がぶつかり鉄の悲鳴を零す。飛び散る火種がリアナの視界を薄めた刹那、白狼はリアナの足を踏みつけ頭突きを叩き込む、上体は崩れたが踏まれた足はまだ地に着いていた。リアナの体がバランスを失った瞬間に白狼はリアナに肘を一つ、二つと叩き込み、最後にけ蹴りを見舞った。

空を仰ぐように倒れたリアナを潰そうと、白狼は少し踵を返して後退し、そのまま鉄球を倒れたリアナ目掛けて叩き込もうとした。リアナは身体を捻るように転がして鉄球を避けた。リアナの顔の隣に砂煙が舞う。黒塊がリアナの顔のすぐ横の石床を砕いていた。後、数ミリでも違うと致命傷どころではなく顔が無くなっていただろう。

「万が一、お前が私を殺したところで何も変わらない。私が居なくなった所でこの争いは終わりはしない。私が火種を与え、彼らが自分で選び、火を灯した。分かるだろう?明確な意思を持って火を灯したんだ。私の勝ちだ。お前達は遅すぎた」

白狼はリアナの首を掴み身体を無理矢理に引き起こした。白狼の指が皮膚を裂き、骨まで砕くような激痛が走る。呼吸は出来ずにリアナは地面から離れた足をばたつかせる。蹴る。蹴る。蹴る。

次第に意識が薄れていくのを感じる。体の力が無くなり、目の前が燃えるように赤く染まる。もがき開いた口からは唾液の一滴として出なかった。零れるのは呻き声と喉が鳴る音。そして意識を具現したような白い吐息だけだった。

がくんッ――

突如、揺れた。揺れたというレベルではなく、城がうねり、悲鳴を上げた。余りの揺れに白狼はリアナを地面へと伏させるように手を離した。

一気に脳へと流れ込まれる酸素と思考が再びリアナの意識をもぎ取ろうとしたが、リアナは空気を吐き出す。懸命に意識を保った。

嗚呼、これは地下水路が吹っ飛んだ合図だろう。時間よりも大分早いが、助かった。リアナは、ふら付く身体を起こして白狼に笑みを向けた。


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