何も戻りはしない
轟音が響いた。門が浮き上がる音が聞こえる。何千という兵がこの廃墟へと押し込んで…まるで荒れた海の波のように、大地を揺らし、唸るような声を響かせていく。
「時間です。我らの仲間が貴方達の兵を導き入れました。白狼を殺せば、奪還にそう時間は掛からないでしょう」
男は呟いた。リアナ達は予定通りに地下水路へと繋がる棺の前まで歩み、その暗闇の中に身を投じた。
地下水路の中は、一度入った時よりも暗く冷たく、連日の雨で流れる水路の勢いは強く、四方を囲む石壁からしとりしとりと雨水が漏れ出していた。
「白狼が死んだら…」
無言の空気を裂いたのはリアナの背後を歩いていたソラルだった。
「白狼が死んだら、何もかも元通りになるのでしょうか?平穏も家族も安らぎも、遠い昔で全然思い出せないのですが…」
ソラルの問い掛けにリアナとジオは直ぐに返事を返すことが出来なかった。
「白狼がいない世界はきっと今よりはマシなものになってますわよ。下水を歩いたりしない世界ですわね」
「まったくだ。こんな所で死んだらネズミに骨まで喰われてしまうわい。死ぬ前に一度、わしの恋人の顔を見たいんだが…彼女は、芯が強くてな…わしが戦いに赴いた帰りには…」
「それは、犬どころかネズミも喰わない話ですわね」
ジオが髭を撫でながら惚気話に持ち込み始めた刹那に、リアナは言葉で遮った。
もう戻ることなど出来ない。リアナにはそれが分かっていた。いや、此処にいる誰もが理解していた。幼い頃の安らぎすら思い出せないでいた。止まり木のない世界を永遠に飛び続ける鳥のように、後ろを振り返る事など無く、ただ闇雲に羽を休める場所を探している。その寄る辺なさに心身は疲労し、それでも飛び続けるしかなかった。きっとこれからもその旅は続いていくのだろうがそれが今よりもマシなものであると祈るしかなかった。
びりびりと石壁が震え始める。上では無数の兵達が剣を重ね、槍で敵の身体を貫いている。地響きのような足音はリアナ達を踏み潰さんが如く大地を叩き、空を揺らしている。
頭の上の天井が何時、落ちてきても不思議は無かった。そんな感情を抱いたままの地下水路の冒険は、気色が悪かった。
城の下に到着した時には、既に何人かの先客がいた。どれもが黒いフードを頭に被せてせっせと城の底辺を支える柱に火薬を仕掛け、砂を詰めた袋をその火薬を囲むように巻きつけている。
「俺達を吹っ飛ばすための準備は順調か?」
ソラルが不満そうな表情で黒フードに話しかけるが返ってくる言葉は死者の如く無言だった。
「スリント様から命を受けています。貴方がたも早く任務を遂行してください」
黒フードの一人が言葉を紡いだ。声色から女性だろう。彼女は一言だけ言葉を零せば再び死体のように口を閉ざしたのだ。
「リアナ様、さっさ行きましょうや。彼奴らに構う暇はありませぬぞ?」
ジオは急かすように言葉を継げて、リアナを梯子へと急かし、自らも足を掛けて上り始めた。
ソラルが梯子に足を掛けた時にその音を聞いた。何か鉄が石壁を擦っている様な音。その音がゆっくりと此方へと近づいてきている。暗闇の穴の一つから姿を現したのは巨大な大男。グラヴァーの姿だった。彼は数人の部下を引き連れて黒フードとリアナ達の前に現れて、物言わぬまま近くにいた黒フードの一人の頭を両手で握り潰した。
「リアナ様、先に行って下さい。此処は俺が残ります。あのでか物には借りがありますし。じじいも早く行ってくれ」
「リアナ様、行きましょう」
ジオは見下ろすリアナに瞳を向けて言葉を紡いだ。リアナも頷き、梯子を一段、また一段と上った。




