親愛なる君に愛をこめて
ジャンヌの頼みと言うのは簡単だった。とあるテント(そのテントが遠征の為の物資を置いておく場所だったことは後で気付いた)の前に立っている衛兵を少しの間だけ引き付けていて欲しいと言うものだった。
「兵隊さん、少し私の頼みを聞いてくださらないかしら?」
シルヴィアは出来るだけ丁寧に、そして自身が出来るだけ高貴な人物に見えるように勤めた。騎士や正規軍は明らかな色気を兼ね備えた娼婦よりも、気品の背後に見え隠れする妖艶さに惹かれるのではないかと言う咄嗟の思い付きだ。後になって考えてみれば、かなり浅はかな発想で自身でも顔から火が出そうなほどに恥ずかしかったが…何故だろうか、その時は普段高慢な彼女も上手くその役に嵌っていたのだ。
そして、兵士はその馬鹿な話を裏付けることが生き甲斐だったかのように、見事なまでにシルヴィアに惹きつけられた。
「実は此処に来る途中に、友達とはぐれてしまって――――」
シルヴィアが、そよ風に靡く花のように腰を微かにくねらせつつ、常に上目遣いを意識している中、ジャンヌはシルヴィアを一瞥した後に、兵士の背中を横切り、テントの中へと身体を滑り込ませた。
薄暗い布張りの中には大量の食料や、薬が置かれてあったのだ。この食料が兵達だけではなく、シルヴィアや他の難民達に分け与えられると思うと良心の呵責に心を痛めるも、ジャンヌは、自身が今や盗賊となにも変わらないと心に刻み、出来るだけ盗賊らしく勤めようと食料や薬を袋に詰め込んだ。ジャンヌが必要だと考える最低限の値で…。やはり、欲張ることは出来そうになかった。
急ぎ足でテントから頭を出したジャンヌが、まだ兵士と話しているシルヴィアに有難うと視線を送れば、シルヴィアは直ぐに兵との会話を打ち切った。
「有難う御座います、兵士様。それでは、ごきげんよう」
いえいえ。貴女も長旅にお気をつけて。
にやつく兵士に背中を向けてシルヴィアはジャンヌの後を追いかけた。
「ソフィア、これを持っていてくれ。後これも」
ジャンヌとソフィアが少し離れた場所で荷物の受け渡しをしていると、シルヴィアが声を掛ける。
「やっぱり、行くのね?」
「ああ。途中で投げ出すことは出来ない」
「ソフィアも、今まで有難う」
シルヴィアは、ソフィアに歩み寄って強く抱き締めた。
「此方こそ有難う。シルヴィアも、元気で…」
ソフィアの身体は華奢で、シルヴィアよりも小さかった。
「そうそう、最後の一本よ。帰りまで無くさないで持っておくのよ?」
シルヴィアは、ソフィアに薬を渡した。ソフィアの症状(吸血症とでも言っておこうか)は一向に快癒しないが…それでもこの薬で進行を緩めることは出来るだろう。少なくともシルヴィアはそう信じていた。何よりも、彼女の無邪気な笑顔をもう一度見たかった。
「ありがとう」
ソフィアはシルヴィアともう一度抱き合えば、ジャンヌにその場を譲った。
「随分と、少ないわね。もう少し持ってくれば良かったのに」
「私もソフィアも食が細いんだ……。シルヴィア、今までありがとう。そなたに出会えてよかった。そなたは…きっと幸せになれる」
「また、会えるわよね?貴女にも、ソフィアにも…また会いたいわ」
ジャンヌの言葉を聞き、シルヴィアの瞳からは涙があふれた。ジャンヌの口ぶりはまるで…最後のお別れのように聞こえたから。
「ああ、約束だ」
ジャンヌがシルヴィアに微笑みかけると同時にソフィアがジャンヌに言葉を向ける。
兵士が一人向ってくる。
行こう。
二人は、シルヴィアに背を向けると雪で白く染まった森の中へと消えていった。
その場に佇み、彼女達の背中を見送るシルヴィアの肩を一人の兵が叩いた。彼にはただ、シルヴィアが森の黒ずんだ入り口を眺めているようにしか見えなかった。
「そろそろ出発の時間ですよ?」
兵がシルヴィアに問い掛け、シルヴィアは静かに頷いた。
「お嬢さん、ジャンヌ様は何処にいかれた?」
難民に紛れて旅立とうとするシルヴィアに慌てた様子のモルトが話しかけてきた。シルヴィアが彼と話すのは初めてだが…どうやらジャンヌの知り合いのようだ。
「知らないわ?私はここに一人で来たのよ?」
「そんな馬鹿な……くそ」
完全に油断していたと言いたげに慌てる彼を横目にシルヴィアは長い黒髪を靡かせて、足を踏み出す。背後ではモルトが兵を数人に招集を掛ける。
「いいか、女性が近くに居るはずだ。金髪で青い目。無傷で連れて来い」
「モルト将軍。その女性は一体、何なんですか?今の我々の任務よりも重要なのですか?」
「彼女は我らの王のご友人だ。危険に晒すわけにはいかんだろ」
「了解」
シルヴィアは彼らの会話を背中で受け。モルトの気取った出鼻を挫いたことに、多少の満足感を示しながら森へ消えていった彼女達の背中を思い出す。
頑張って…。シルヴィアは静かに呟いた。




