赤い光2
外は冷たかった。シルヴィアの白い肌に寒さが突き刺さる。そのくせ大地は赤く燃え上がり、空は漂う灰色の煙で月を包み込んでいる。
「待て、くそ女」
背後から声がする。シルヴィアは振り返る事無く走り続けたが、もみ合う兵達を避けて走り回るにも限界がある。追い付いた男は、シルヴィアの手首を掴み引き寄せる。振り払おうと暴れるシルヴィアを裏手で殴り黙らせた。
「お前を売り飛ばす話はなしだ。俺が楽しんだ後、殺してやる」
男は吐き気を催すほどの黒い笑みを浮かべ、シルヴィアに覆いかぶさろうと身体を屈めた刹那……。
唸るような泣き声が響き、男は足を物凄い力で引き摺られる。
ブラッドメイヤー。シルヴィアは命を救われた、一匹の犬に。
「なんだこの犬はっ、このやろう」
いきなり足首に広がる痛み。引き千切られそうな乱暴さに男は悲痛な声を上げ、ブラッドメイヤーを片足で蹴り飛ばそうとする。男はブラッドメイヤーの顔を蹴り、ひるんだ隙に両足を地面に着けて立ち上がった。
「この犬っ、俺の邪魔を――――」
男の怒りを静めたのは背後にいたシルヴィアだった。拾い上げた雪掻き用のショベルで、男の後頭部を思いっ切り殴りつける。男は地面に再び転がり、シルヴィアを見上げながら懇願した。
おい、やめろっ!
シルヴィアは、懇願する男の顔に何度も、何度も、ショベルを振り下ろした。恐怖で震えは消え去り、ただ無感情のまま両手の物を振り下ろす。男の顔の輪郭が無くなるまで殴り続けた後、シルヴィアは我に返った。
両手を汚す、ぬるりとした生暖かい血が燃える炎の光で照らされる。それと同時にシルヴィアは、腹の底から込みあがる気持ち悪さを吐き出すように嗚咽し、涙を零した。
ソフィアがブラッドメイヤーの咆哮を聞きつけて駆け付けた時には、シルヴィアは力なく座り込んでいた。何か声を掛けてやろうと歩み寄るも、ぐるぐると回る思考は適切な言葉を生み出すことが出来ず、後一歩の歩みが止まってしまう。そうこう考えている内に戦いの音は夜の帳に消えていき、討伐軍の勝利に終わった。
喜ぶ兵達の中で立ち止まる二人。時は、どのくらい止まっていたのだろう。
ソフィアの肩に優しい手が添えられる。ソフィアは振り返る事無くその手に自らの手を重ねた。振り返る必要は無い、その手の温もりと血と煙の中の儚いベルガモットの匂いで気付いた。
ごめんなさい。ソフィアは呟いた。
ジャンヌは、気にするなと優しく応答した。
「これはこれは、ジャンヌ様ですか?」
突然、背後から声がかかった。日の出が夜の闇を振り払っている。
薄闇色の空の中、現れたのは顔に傷のある男だった。
「私はモルトと申します。貴女は忘れているかも知れませんが、前に一、二度お会いしています」
「お久し振りです。そなたの事は覚えています。リアナは元気ですか?」
「ええ。しかし、今は大事なようがあるのでお会いにはなれないですがね。私もこれから南部に向います。それにしても…貴女がなぜこんなところに?」
「別に…ただ、運が悪かっただけです」
ジャンヌの言葉に辛らつな表情を浮かべるモルト。顔に刻まれた傷が引き攣り、その異様さを目立たせる。
「そうですか。この近くに我々の駐屯地があるのですが…そこまで同行してくだされば、そこから安全な場所まで送りますよ?南部に住み着いた北部の野蛮人どもから逃れてきた難民達と一緒に」
モルトは表情を引き攣らせたまま言葉を並べる。戦いなれた醜い顔からは見て取れないほどに知的に言葉を放った。
「それは、是非…。とても有難いです」
ジャンヌは少し考えた後、シルヴィアへ視線を一瞥し、言葉を紡いだ。勿論、ジャンヌは安全な場所にいこうなどと考えてもいなかったし、そんな場所があるとも考えられなかった。




