欲望
「そこをどけっ、旅人」
小石を蹴飛ばしながら走る馬車は、車輪を軋ませ停止した。馬車の周りには護衛が4人程隊列を乱さずに並んでいる。
「馬車が壊れて動かないのです。手を貸してはいただけませんか?」
ジャンヌは壊れた馬車を指差しながら言葉を並べる。勿論、その馬車は意図して破壊した商人の馬車だ。演技染みたジャンヌの口調も相手は気付いていないようだ。
「さっさと馬車をどかせ。我々は白狼の加護を受けた輸送隊だ。どかなければその場で叩き斬る」
「女手ひとつでは難しいのです」
護衛の一人がイラついた様子で剣を引き抜いた。馬の腹部を蹴り、ゆっくりとジャンヌへと歩み寄る。
「まあ待て、実に美しい女子ではないか。ほら、誰か手を貸してやらんか」
荷台から顔を出したのは、いかにも厭らしそうな肥えた男だった。栄養よりも脂肪を蓄えた顎を撫でながら男は護衛の一人に命令した。どうやら、この肥えた男こそ、人身売買で私腹を肥やす畜生商人なのだろう。
「了解。やれやれ…」
護衛の男は面倒臭いと溜息を吐き出しながらジャンヌのもとに歩み寄り、壊れた馬車を道の端へと押し始めた。
「ありがとう御座います。貴方達は何処に向われるのですか?」
「そんなことを聞いてどうするつもりだ、女。お前は知らないほうが身のためだ」
「輸送隊と言うことは、近くに砦があるのでしょうか?」
「聞かないほうが身のためだ」
「そうか、なら…先ほどの肥えた男に聞いてみることにしようか」
ジャンヌが壊れた馬車から隠していた剣を掴みあげると、潜んでいたソフィアの矢が、馬車の手綱を握り、虚空を眺めていた操者の首に突き刺さった。短い悲痛の声と共に馬車から身体が滑り落ちる。
なんだ?と全員が振り返ると同時に、ジャンヌが目の前の男を切り伏せた。
「敵襲だ。豚野郎を守れ」
二人の護衛が馬車を囲むと、一人が馬を鞭打ち、ジャンヌへと迫る。
ジャンヌは振り下ろされた剣を避けると同時に相手の手首を掴み一気に引き摺り下ろした。重たい鎧を着た相手はバランスを崩し馬から滑り落ち、地面へと叩きつけられた。ジャンヌは砂塵の中で転がる相手に素早く駆け寄ると、鎧ごと相手の胸に剣を突き刺した。
ソフィアの弓は正に風の如く唸り、正確に敵の首に突き刺さる。
くそっ!
最後の一人になった護衛は馬を蹴り上げ踵を返し、逃げる。当然だが、それも成せぬままソフィアの放った弓の餌食となる。
「見事だな」
ジャンヌは木々の陰から姿を現したソフィアに賛辞を送る。
ソフィアは大した事無いと溜息一つ肩を揺らすと馬車に視線を向けた。
「中を確認しよ?」
ソフィアとジャンヌは荷台の幕を上げた。
中には数人の女と肥えた商人が震えていた。
女はまさにどこかに売られる寸前だったのだろう。身奇麗にされた素肌には微かに虐待の傷が刻まれていた。
「シルヴィアはいないみたいだね」
ジャンヌはソフィアに頷き、震える商人の襟首を掴みあげた。
「他の女はどこにいる?」
「な、なんだお前達は、わたしは白狼の加護をっ」
「そんなことはどうでも良い。何処にいるか言わないと、この場で貴様の一物を切り落としてやる」
「や、やめろ。わ、分かった。女達は、この道を進んだ先にある砦にいる。そこから売られるんだ。わたしは、ただ依頼を受けただけで、悪さなどしておらん」
男は額にいっぱいの汗を浮かび上がらせながら命乞いをする。ジャンヌはそんな男の様子を見ているだけで、気分が悪くなった。
「なら、私達をその砦まで連れて行け」
「わかった」
「女達は解放しろ」
「わかった」
ジャンヌが男の襟首から手を離すと男は膨れた腹を揺らして馬車に腰掛ける。状況も理解するはずも無く、のん気に草を貪る馬達を鞭打てば、馬車を砦に向けて走らせ始めた。
ジャンヌは二台の最後部に腰掛け、流れる地面を眺めていた。馬車の車輪の軌跡が雪道に刻まれていく。
「それにしても、さっきの汚い脅し言葉はどこで覚えたの?」
ジャンヌの隣にソフィアが腰掛けるなり問い掛けた。
「さあ、どこだろうな。よく分からずに口に出した」
ジャンヌの応答にクスリと微笑したソフィアもまた、車輪の軌跡へと視線を向けた。
「ずいぶんと遠くまで来たね」
「ああ」
「私の住んでた町のこと、覚えてる?」
「ああ、忘れていない。あんなに見事な小麦畑はそうそう見れないからな」
「それだけじゃないよ、その小麦で焼かれたパンは美味しいんだから」
「それは、ぜひ食べてみたいな」
「帰ったら、ご馳走するよ?」
「……ソフィア、わたしは……」
「ありがとう」
辛らつな表情で口を開いたジャンヌの言葉を、ソフィアは遮った。
「私は、町を出てジャンヌと此処にいる事を幸福だと感じてる。騎士団のことも含めて上手くいった例が無いけど…最後くらいは、神様も手を貸してくれるよ」
「そうか」
ジャンヌはソフィアの言葉に何故か安堵した。ソフィアを強く信頼しているのが分かる。
ジャンヌは車輪の軌跡から目を離し、今にも泣き出してしまいそうな空へと視線を上げた。




