白雲
一日、夜を凌ぐための空き家は、狩人達の憩いの場となってるのか、最近まで生活感が残っている。焦げ後の付いた調理鍋を使い、軽い夕食を終わらせると、ジャンヌ達は鹿の皮の毛布を纏って身体を横にする。樅の木や柳の柔らかい香りが安堵感をもたらす。ジャンヌは睡魔という手に引きずられ深い意識の底に沈んだ。
そこは燃える炎の中だった。視界に映る物は全てが赤く彩られている。ジャンヌはねとりとした液体の中を進んでいく。そして壁に手を伸ばし、松明を掴みあげた。淡くも荒々しい炎が辺りを照らす。そして漸く気付いた。燃え上がるような血だ。四方すべて血の壁に覆われている。これは、私の血か?分からない…。どうでも良いが…酷く気分が悪い。ジャンヌは出口を探して歩き始めた。でも、心の何処かでは分かっていた、この場所に出口などない。それでも、纏わり付く足元の血を蹴り上げながらジャンヌは前へと進んだ。
目が覚めると朝日が微かに顔を出していた。隣ではシルヴィアが、静かな寝息を零している。
ジャンヌは、身体を起こし、シルヴィアを起こさぬように外に出た。朝霧の中、ソフィアを探してみるも見当たらない。何か問題に巻き込まれた訳では無さそうだし、特に慌てる必要は無さそうだ。
ジャンヌは、ロッジの隣にある納屋へと向う。そこには、薪割り用の斧と幾らかの薪が並べられている。どうやら、此処の狩人達は、次に流れ着く人の為に薪を用意しているようだ。それが此処での礼儀なのだろう。
ジャンヌは、斧に歩みより、右手で掴んだ。ゆっくりと背後へと回しながら振り上げる。その際には細心の注意を払いながら両手で握り、全身の力を込めて振り下ろす。薪を狙うのではなく、台の中心を狙う。
引き締まった音が空気を裂く、そして薪も綺麗に割れた。
ジャンヌは、一本、一本と薪を割っていく。次第に悪夢で魘される気持ち悪さなど忘れ、爽やかな汗が頬を伝い落ちた。次に此処に訪れた者(と言っても、ジャンヌがその人に会う事は永遠に無いのだろう)に必要な程の薪は揃った。そして肩も悲鳴を上げ始める頃に、ジャンヌは斧を置き、溜息を吐き出し、その場を後にする。
顔を出しかけていた朝日は、黒い雲の後ろに隠れていた。陰鬱な空と、この国を覆うほどの大きさの雲がゆっくりと流れていくように見えた。それでも今朝よりは幾分に気分がいい。ジャンヌは、近くを散歩してみることにした。雪を背負った杉が立ち並ぶ道を歩く、考えたいことは無限にある。でも、時間は…少ない。
「おはよう、ジャンヌ」
枯れ木が敷き詰められた道を歩いていれば、ソフィアと会う。彼女もまた、散歩していたようだ。
「おはよう、次からは一言断ってくれると心配する手間が省ける」
「心配させちゃった?ごめんなさい。ただ、少し、考え事をしたくて…」
ジャンヌの言葉を聞けば、ソフィアは申し訳無さそうに視線を沈めた。そんなソフィアに、微笑みを零しながら歩み寄り、ジャンヌは囁く。
「いいんだ…分かるよ、その気持ち。実は私も考え事を、な」
「何か、悩み事?」
「ああ…いや、良いんだ…些細なことだ。そういうそなたは、どうだ?」
「これからの事を考えてて…、これが終わった後の事」
これからのこと…。そうだ。何よりも些細で…繊細で、そして何よりも大切なこと、私達は生きているのだから。
「世界を救う英雄が抱くには、些細な悩みだな」
ジャンヌは、ソフィアの身体を抱き寄せた。隠し味に、冗談もほんの一握り。
「結構、真剣に悩んでるんだけど…」
不満の中に何処か気恥ずかしさを伺わせる声色に、愛おしさの芽が芽吹く。
「私もそなたと同じ事を考えていた。私の願いは…未来は、一人では叶えられそうにない。そなたと共に居たい」
ジャンヌはソフィアを強く抱き締める。
「そうだね、皆で帰ろう?無事に」
ソフィアもジャンヌの背中へと腕を回した。空が大粒の涙を流し始める頃まで、二人は他愛ない話を続けた。振り落ちた雨に打たれながらジャンヌとソフィアは、ロッジへと駆けた。中に入ると既にシルヴィアが朝食の準備を済ませて、ブラッドメイアーとじゃれ合っていた。シルヴィアに頭を撫でられる犬は、心地よさそうに目を細めている。いつの間に負い付いて来たんだろうか…相変わらず、神出鬼没な犬だ。
「この子…凄く可愛いわ」
シルヴィアは、眠そうな瞼を揺らしながら、呟いた。




