藍色の空
ジャンヌ達は氷河を渡っていた。本来ならば、何の心配もなく渡り切る予定だったのだが、氷河は…、割れていた。今にも沈んでしまいそうな程の氷山が水面にすがり付く様な形で一角を揺らしている。
「もしかして、これを渡るの?」
シルヴィアが心底嫌そうに眉を顰めながらジャンヌに問いかける。ジャンヌはそんなシルヴィアに視線を向けることなく無言で頷いた。アーロンとその娘。本来なら…疑ってかかるべきだったのだが、ジャンヌはそうしなかった。これほどまでに短時間で誰かに騙され続けてきたという経験は、貴重なものだった。それでも、シルヴィアを信用したのは…彼女との邂逅が仕組まれた必然的な物ではなく、あくまでも自然の流れであったのだと信じたい。いや、もしくは…多少仕組まれたのかもしれない。アーロンは秘密主義で利己的なドルイドそのものだったが、シルヴィアの事は大切に思っていたことが分かる。分かるのではなく、そう感じた。大切な娘を、誰かに守って欲しかった…。その想いは、父親としてはごく自然な物だと思う。
「はあ…寒いわ…」
寒気に混ざるシルヴィアの嘆きと溜息。もう何度目だろうか、その言葉を、ジャンヌとソフィアが耳にするのは…。大切に思うのは良いが…甘やかせるのは如何なものか。
「あまり喋って体力を使うと、最後まで持たないぞ?」
愚痴っぽく言葉を漏らすシルヴィアにジャンヌが言葉を続ける。むっ、と不満そうな表情を浮かべるシルヴィアに気付いてはいるものの反応はしない。理由は…勿論、めんどくさいからだ。
ジャンヌは、足場を確認するように氷山から氷山へと飛び移る。小娘が飛び乗るたびに、水面から飛び出していた氷山は僅かに傾く。それほどまでに足場が脆くなっている、時間が経過するほど足場はより一層脆くなっていくだろう。決して、体重の問題でないことだけは此処でハッキリとさせておきたい。
半分ほどを何時間か掛けて渡った頃だった、疲れて速度が遅くなる中、シルヴィアが深い青の水面に視線を向けて立ち止まった。
「どうした?」
ジャンヌとソフィアも立ち止まる。
「川が割れてる理由がなんとなく、わかったわ」
シルヴィアが呟く。その言葉を聴いて、ジャンヌとソフィアも吊られる様に視線をシルヴィアの視線と重ね合わせた。
視線の先に、死体が数体浮かんでいた。沈まぬように鎧を脱ぎ捨てる過程で凍え死んだのだろうか、今にも動き出しそうな程に動きのある体勢で浮かぶ死体の傍には、敵の死体も浮かんでいる。
「間違いないな、北部獅子王の兵と、ボニファティウスの兵だ」
「戦闘で、氷が割れたの?」
ソフィアは、首を傾げた。何百、何千と人が暴れようがビクともしない位の厚い氷が、彼らが争った為に割れたのか?
「爆発させたんでしょ?おかげでコッチは死ぬ思いをして川を渡らないといけないもの」
「どちらにせよ、関係はあるはずだ」
「死人に口なしね。そう言えば、昔、父の友達にネクロマンサーだと名乗ってる男がいたわ」
「本当に?」
「さあ、死人の言葉が分かるって言ってたけど、喋ってたのは死人じゃなくてその男だったの…どうやって信じろっていうのよ」
溜まった鬱憤を晴らすかの如く、言葉を並べるシルヴィアに振り回されるジャンヌ。そんな二人を眺めながらソフィアはリアナの事を考える。彼女に会ったのが遥か昔のことのようだ。彼女は、何か…他人には分からない悩みを抱えていたような気がする。あの時、彼女と再会した時に、手を差し伸べるべきだったのだろうか?どうだろう?私に何が出来ただろうか?きっと何も出来なかったと思う。この考えが自身を納得させる為の正当化だとしても、それに気付いてる自分がいたとしても、私は何もしなかっただろう。時間が及ぶ限り、ジャンヌから目を離したくない。それだけは変わらない。暗い闇の中、私は吸血鬼で、貴方は人間。あの森で、スノウに噛まれてから、私は何者でも無くなった。いや、私はスノウになったのだ。真っ白で、何も無い、ただの雪に。私は何者だろう、吸血鬼?鬼?化け物?さあ、今の私は何にでもない…ただの…。
ソフィアは視線を辺りまで巡らせる。幸いなことにリアナの死体が、この冷たい水面から顔を出すことは無かった。




