清流
故郷の香りが鼻腔に届き、どこか安らぎを覚えるように、アリア自身の記憶がジャンヌの中へと流れ込んだ。エリクに拾われたあの日から、純粋で無垢な彼女は死に、半分朽ちた魂と身体で、生きる。
彼女自身の残虐性を引き出したのは、スノウだった。
彼女に殺し方を教え、彼女の考えに従った。スノウは彼女を神の写し身だと崇拝していたが、あながちその考えは間違えではないのだろう。彼女は『神の涙』に焼かれ、同時に神に等しい力を手に入れた。
彼女を止めなければならない。彼女が『神の涙』を手にした時、全ての願いを果たすだろう。
自身を苦しめたこの大地を焼き、この世界が地獄になるのを望んでいる。それはこの世界に失望し、涙を流した神の願いと相違ない――――
目を開いたジャンヌの視界に覗き込むソフィアの顔が映りこんだ。ジャンヌは、その顔を見て、強く安堵するのを感じる。自身の不甲斐無さで命を落としてきた者達の中の一人にソフィアの名前が刻み込まれるのはとても辛い。嗚呼、辛過ぎる。
ジャンヌは腕を伸ばし、手のひらをソフィアの頬に沿って優しく揺らす。彼女の冷たくも柔らかい感触に存在を感じることが出来た。
「大丈夫?」
ソフィアは薄い笑みを顔に浮かべたまま静かに呟いた。曖昧な意識の中に、打ち払われた草が焼けるような匂いが鼻腔に残っていた。香ばしく、なんとも嫌な匂いだが、どこか嗅いだことがあるような…。
「今回の功労者は、この子だね」
ソフィアはブラッドメイアーを指差した。
「ああ、そう言うことか…なら御礼をしないとな。肉、三年分でどうだ?」
ジャンヌの言葉にブラッドメイアーは呻く様な吐息を一つ吐き出した。
「お前の命は、高々、肉三年分の重さなのか?だってさ」
ブラッドメイアーの言葉を代弁する様にソフィアが言葉を放つ。
「なら、全てが終われば、一生肉を食わせてやる。私の命の重さを思い知れ」
冗談を並べながら笑みを浮かべるジャンヌを見れば、ソフィアも自然と笑みが零れる。
そんな二人を、ブラッドメイアーは首を傾げながら眺めていた。
つまり、此処からは危険だ。命の保障などない。まあ、そんなものは最初からなかったが。
ジャンヌに夢の話を聞かされたソフィアは、頷いた。冒険ではいつも最後に難関が付き纏うものだ。危険で孤独な旅を生き延びてこそ、真の安らぎと平和を手に入れるのだ。それに今更ジャンヌを放っておくことなど出来るはずがなかった。
「私は着いて行くよ。向こうにはスノウもいるんでしょう?アイツには色々と仮があるから…全部返さないと」
有難う。
ジャンヌは静かに呟いた。これは騎士としての最後の仕事だ。そして、自分自身の為の始めての復讐だ。報復は醜い。それでも、私は人間だ。
ついでに世界を救えるのだ、これほどに名誉な任務などありはしないだろう。
さて、自身への言い訳を済ませた。
「話は、済んだかしら?」
二人の会話に割って入ったのは、シルヴィアだった。ジャンヌは気付いていなかったが、此処はアーロンとシルヴィアの屋敷だった。先程の焼ける匂いは農園の香りだったのだ。
「シルヴィア、良かった。無事で何よりだ」
「ええ…」
「その…アーロンのことは…」
そう言い掛けたジャンヌをシルヴィアは制止した。
「言わなくて良いのよ…。父は、こうなる事が分かってたんだと思う」
彼は、全ての人を騙していたのだが、彼女のことは本当に愛していたのではないだろうか…全ては娘のため…そう思えれば許せるような気がしてくる。
「傷を見せて…。貴女は毎回傷だらけね。今すぐに腕を切り落として動けなくしてやりたいわ」
しっとりと湿った空気を掻き消すようにシルヴィアが言葉を続けた。




