リアナ-暗転-
「捕虜を返還する!それはかつて、獅子王と呼ばれた男だ。彼は多くの同胞を殺してきた。よって、彼らの業を背負って、故郷へと帰るのだー!捕虜を返せー!!」
リアナはその声を聞いていた。何とも不快で汚い声だ。彼が劇の主役なら、飲む酒もさぞ不味くなっただろう。わざとらしい口調、そこに敬意も好意も感じ取れなかった。
男は軍隊を率いて、リアナの軍隊と対面ににらみ合っている。今すぐ、あの男の喉を噛み潰してやりたかったが、今は父を取り返すのが最優先だろう。
敵の軍団が二つに割れる。その裂けた間から、ゆっくりと何かが進んできた。長い川に流れる木枝のようにゆったりとした動きで…。
へへへっ…くくくっ。いやらしい笑い声が敵の中から漏れ出す。下品で、下品で、これ以上ない程、下品な笑みだ。
影から現れたのは、紛れもない獅子王であったが、それは既に獅子王ではなくなっていた。
一匹の豚に跨り、軽い樫の枝に結び付けられた獅子王の身体が力なく揺られている。首から上は…無かった…。いや、在るには在る。しかし、彼の頭ではなく、豚の頭が突き刺さっていたのだ。
わはははっ!!
敵の笑い声が、冷え切った大地に響いた。と同時に、リアナは無表情のまま、剣を抜いた。
「この獅子を愚弄した事、償って貰いますわよ」
剣先を男に向ける。心は沸々と湧き上がる怒りを抑える事が出来そうにもない。心と言う名の器から、沸騰した怒りが漏れ出しそうだ。
「生憎と、猫の手は必要なくてね、雌猫」
男は、リアナの怒りを感じ取って楽しんでいる。
リアナは、無言のまま自軍まで下がる。
「攻撃の命令を、リアナ様。我々は待っています」
サー・モルトがリアナを迎え入れれば呟いた。
勿論だ。分かってる。喉を噛み潰すだけでは済まさない。リアナは、突撃の合図を送る。獅子の旗を掲げる旗手がゆらりゆらりと旗をはためかせれば、それを見た兵士の一人が太鼓を打ち鳴らす。低音の振動が地面を這った。並んだ歩兵が、重たい鉄の音を響かせながら隊列を変える。そしてヤリを前方に突き出したまま、一気に駆け出す。遅れて両翼の騎兵が白い粉雪を散らせた。
敵は、頭を欠いた手負いの獣のようなもの。危険だが、注意を怠らなければどうと言うことはない。ボニファティウスは居ないのだ。今頃は、彼女の首も飛んでいる頃だろう。
敵はがむしゃらに向ってきた。それを個人ではなく軍で捻じ伏せる。リアナも、敵の身体に剣を振り下ろす。飛び散る返り血を白い雪と白銀の大地が流し取る。
「雌猫、俺が取って食ってやる」
先程の男が、汚れた歯を剝き出しにしながらリアナに切りかかる。リアナは、剣で撃を捌き、頭突きを見舞った。男は逆上し反撃に出る。それを冷静に受けつつ、今度は足を踏みつけた。重い鉄の足。男の足の甲が潰れる音がした。男は小さく呻くも、頭に血が上っているのか痛みを感じないまま再び腕を振り上げようとする。リアナは、男の顎に肘を入れる、これも鉄の肘だ。男はよろめく、そして距離をつめたリアナの剣が腹部を貫いた。男は、まだ反撃をしようとリアナに組み付いたが、リアナはそのまま思いっきり前蹴りをくれてやった。男の腹には鉄の足跡が残り、剣は自然を抜ける、と同時に鮮血を散らして白い地面に平伏した。
全てが上手くいく。リアナがそう思ったのもつかの間に、背後で大きな太鼓の音が響いた。
見知らぬ旗が揺れている。見知らぬ軍は白い鎧を身に纏っている。
援軍だー!ひゃほー!!
敵が声を上げた。援軍?ふざけるな…、そんなものがどうして此方の背後から現れるんだ。
リアナ達は目を疑った。そして誰もが戦いを止めて、その見知らぬ軍に視線を向けた。
白い鎧の兵士が一人、旗を掲げて叫んだ。
「我々は、神の軍だ。新しき、国の新たな王、ボニファティウスの意思、そのものだ!自由民よ、戦え。そこに居る、愚か者共を粛清してやろうぞ!!」
意味が分からない、いや、実際には分かりきっていたことだ。それでも、誰も信じられなかった。『王の庭』が落とされたのだという事を。
「リアナ様ー!!撤退をー!!」
近くに居た、ジオのしゃがれた声が響いた。その声に、我に返ったリアナは、撤退の合図を送った。こんな所で死ぬわけには行かない。絶対に逃げ切るほかない。




