赤い涙
ミール。貴様、これはどういうことだ!
デニスは、駆けて親友だった男に掴み掛かった。彼は至って冷静に、口を開いた。
「俺のしたことが正しかったと、そのうち分かる」
デニスは、彼の胸ぐらを乱暴に放すと、周囲に視線を向ける。
燃える家、泣き叫ぶ人々。歓喜の日は、絶望へと変わっていく。迷い歩く父親、その腕にはぐったりとした子供が揺られている。力なく振られる手。泣き叫ぶ声、声にならない悲鳴、悲鳴、悲鳴。
デニスは頭を掻いた。血が上って痒くなった頭を乱暴に掻き毟っても、一向に治まらない。
「この状況を見てみろ、これが正しいのか?」
デニスは、振り返り苛立った声で問い掛ける。
「少しは冷静に考えろ。大いなる発見には、犠牲が付き物なんだ」
「頭が腐ってんのはお前のほうだろうが!お前のほうこそ冷静に考えろ!!」
デニスは、ミールの応答に激怒した。もう自身を理性の内側に抑えることは出来そうにもない。そんなデニスを無表情に眺めながら、ミールは動こうともしない。ただ、その場に立って、何かを待っているように…デニスを待っているように。
人が焦げる匂いがする、炎が街を壊していく。デニスは見渡す。塗料に塗れていた家の壁は、最早色を失い崩れていく。その近くには、小さな骸骨。桶を抱えた小さな子供の死体があった。
デニスは、短剣を抜き、ミールの側頭部に突き刺した。怒りに任せたそれは、ミールを即死させ、その場に身体を崩れさせるには十分な一撃だった。
デニスは、襲われているであろう王を追うことなく、聖堂教会に向かう。転がる死体を跨ぎながら、せめて愛する人だけは無事であることを祈りながら――
聖堂を訪れたデニスの視界にアリアドネがいた。
彼女は、ただ立ち尽くしている。その背中に声を掛けると彼女はいつもの様に笑顔を浮かべて振り返る。
嗚呼、デニス。
彼女は一言呟いた。デニスは、嬉しさの余り彼女に駆け寄る。
「アリア、逃げよう。此処はもうお終いだ。俺と一緒に来てくれ」
彼はアリアドネの手を取った。彼女の手は、冷たい。
「行くわ」
そう一言アリアドネが告げた。デニスは彼女の手を引き、聖堂を出ようとする。
「ただ、私一人で行くわ」
その言葉の真意は分からない、デニスはアリアドネの何一つを知らなかった。ただ分かるのは、自身が何よりも、あの遥か昔と思える程、遠い子供時代に受け継いだ、ただ一つの純粋さを彼女に抱いていると言うことだけだった。
どういう意味だ?そう問い掛けようと振り返るデニスの腹部に痛みが走る。
「遂に終わるのよ。憎しみの火は…今日この日で終わりを向える。私達は解放されるのよ…全てから」
駄目だ、アリア。君は馬鹿だよ。そんな必要はないんだ。
デニスは、血反吐と共にアリアへと言葉を放つ。何一つ知らないデニス。
「あるわ。私達は、この世界が燃えるのが見たかった。私を不幸にした全てに復讐することで、私は真に解放されるの。ウリエルもそれを望んでたわ」
ウリエル?確か、ボニファティウスの本名か…。そうか、そう言うことか。敵に情報を流していた『蛇』は君だったんだな、アリア。
「私はただ、世界がより良く成る為の提案を持ちかけただけよ?それが、ドルイドだったり、ミールだったり…。私とウリエルで考えたのよ?あの子は少し、突っ走ってしまったけど」
君がオデュッセウスか…。
その名を告げたとき、彼女の冷たいナイフが…いや、手だったかもしれない…。デニスの頬を撫でた。彼女の焼けた目から涙が伝った。赤い、赤い、涙。血の涙だった――――
弱いな。脆弱な王だ。以前のグインならば、片腕を失ったウリエルを敗北させられたかもしれないが、今はこの様だ。彼女の足元に膝を着き、命乞いをする。
殺さないでくれ、後生だ。頼む。
そんなグインを見下ろしながら、ウリエルは冷酷に言葉を放つ。
「貴様には死んでもらう。腐敗した、この国が滅ぶのと同時にな」
ウリエルはグインの顔を踏みつけ蹴り上げた。そんな様子を眺めていた、部下の男が告げる。
「ミールが死んでいるのを部下が発見しました。後、貴女の姉は…発ったそうです。会わなくて良かったのですか?」
部下の問い掛けに、ウリエルは何も応えなかった。彼女を取り戻したい一心で、此処まで来たが…。既に彼女は旅立った。真に解放されたのだ。もう会うこともないだろう。恐らくは…。
構わない。準備を始めろ。生命の樹を切り落とす。それが私の役割だ。燃える街に聳え立つ、一本の大樹。石で表面を覆った、醜い樹だ。腐った塔だ。
ウリエルは、そう告げながらも、旅立った姉のことを思い出す。
焼けた樹に囲まれた場所で、アリアが倒れていた。ウリエルは駆け寄り、アリアに呼びかける。
彼女は、告げた。
置いてかないで…。顔の半分は焼け落ちていて、赤い涙を流していた。
ウリエルは告げる。置いてかない、共に苦しもう、生きてる限り。
ウリエルは彼女の頬にキスをした。焼けた肌の嫌なニオイがした。
悲しかった、何よりも悲しかった。少し、目を離せば…アリアは居なくなっていた。




