回る車輪
「ソフィア、これで騎手を撃ち抜け」
ジャンヌは、弓をソフィアに差し出した。その弓は狩猟用の簡単な作りの弓で、飛距離や精度といったものとは無縁の物だ。これで、馬上から射ろというのだからかなりの難関だ。
ソフィアは、矢をつがう。細い弓が軋みを上げた。
ジャンヌは、馬車に追い着こうと、馬に鞭打つ。馬は悲鳴を上げて、その足を加速させた。ジャンヌの愛の鞭は、大いに有効だった。
近づけば近づくほど、巨大な馬車だ。四つの車輪に引きづられるキャビンには人が5人は乗れそうだ。四方は装飾された木の壁で覆われており、中の様子は見えない。人を誘拐するには目立ちすぎる程に立派だ。
ソフィアは、番えた矢を放った。揺れる馬上で手はぶれ、騎手の肩を掠めた。騎手は、自らの命の危険に気付き、馬達に鞭打つ。巨大な荷馬車を引く馬達の悲鳴が木霊すると共に、車輪は道の石を砕き、散らせ、轟音を上げて回る。回る。回る。
ソフィア、代わってくれ。
ジャンヌが身体を反転させた。
代わる?無理だ。
そう告げようとした、ソフィアに苦笑を向ければ、ジャンヌは、隣の荷馬車に飛び乗った。言い方はカッコいいかもしれないが、その実。見事に飛び乗ったとは言えないほど危なっかしく、強引だった。
這い上がるように馬車に登ったジャンヌは、後方へと周り、身体を揺らすと扉を蹴破り、キャビンの中へと入る。
中にはアーロンは居なかった。並べられたワイングラスの棚。飲みかけの蜂蜜酒が置かれた丸机。そして、仮面の女。その立ち振る舞い、背丈。ジャンヌは彼女に会ったことがある。
「スノウ…」
ジャンヌが彼女の名前を告げると同時に、両手を広げて言葉を放つ。
「釣られた魚の気分はどうですか?アーロンはこの馬車には乗っていませんよ?」
彼女はそう告げた。
やられた。適切な表現だ。目の前に、大きな針がぶら下がっていることにも気付かないなんて。
「彼女の要求は、アーロンと…貴女を連れて行くことです」
「彼女?何故、わたしを?」
「それが、彼女の要求です。わたしはそれに従います」
話が噛み合わないのと同時に、彼女が強い殺気を放っていることにも気付かされる。
ジャンヌは剣を抜き、構えた。
ソフィアは、馬上で悪戦苦闘中だった。乗りなれた、ベルガモットですら、まだ上手く扱えないと言うのに、いきなり実践でのぶっつけ本番とは…。荒々しく鼻息を漏らしながら失踪する馬。その上で振り落とされまいとするソフィア。中の様子も気にかかる。ジャンヌはどうなったのか。
ジャンヌは剣を振るった。その剣の間を縫うようにスノウは斬撃を避ける。まるで狐のように身軽だ、ジャンヌの洗練された剣(とは言っても、肩の傷の影響はあっただろう)は、スノウの身体に触れることすら出来ない。
スノウは、ジャンヌの背後に回り、背中を蹴り飛ばす。バランスを崩したジャンヌの太ももに、スノウの短剣が振り落とされる。と同時に馬車が大きく揺らいだ。荒々しい、整備とは程遠い道を走り続ける馬車の車輪は重さと衝撃に耐え切れずに外れかけていた。
大きく揺らいだ車体、流石のスノウも後方へとバランスを崩した。
ジャンヌは、賺さずスノウに体当たりをお見舞いした。二人の身体は並べられたワイングラスの棚へと突っ込む。ガラスが砕ける音、車体が軋む音、車輪が外れた音。
ジャンヌは、身体を起こした。腕にガラスの破片が刺さっている。シルヴィアの小言が聞こえそうだ。ジャンヌは痛む腕から視線を外し、スノウへと注ぐ。スノウは失神したように動かなかった。
「ジャンヌ!!」
ソフィアの叫び声に、ジャンヌは後方の扉から顔を出した。ソフィアが慌しく馬を操りながら叫んでいる。
「大丈夫?それより、前!前!」
馬車は、止まらない。車輪の片方は外れているが、地面を滑っている。前方は、崖だった。
ジャンヌは、手を伸ばす。ソフィアも手を伸ばす。
ソフィアは、驚いた。ジャンヌの背後にスノウが立っていた。ジャンヌは知らない、スノウは人間じゃない。わたしと同じ、化け物だ。
スノウは、ジャンヌの足に短剣を突き刺した。届かない手。車体は傾き、崖を落ちる。ジャンヌとスノウの身体は浮き上がる。そしてジャンヌは自身が落ちていることに気付くのだ。
ソフィアは、崖のぎりぎりで止まった馬の背中を蹴り上げて、何の躊躇もなく、飛び降りた。




