壊れた世界1
ジャンヌ達は傷だらけで帰ってきた。理由を尋ねたが、詳しくは話して貰えなかった。ただ、ウルヴは死んだと知らされただけだ。
ジャンヌは血だらけになっていない方の半身で、ソフィアの身体を抱き寄せる。何か焦げたような匂い。硬い硬いパンが燃え上がり、黒煙を上げる場面を、ソフィアは想像してしまう。炎が広がり、パンを焦がしていく、最後に残るのは、黒い墨と、微かな残り香。
シルヴィアにより、二人は傷の手当を受ける。先に手当てを受けたアーロンは、家畜に餌を与えると言って出て行った。
ジャンヌは、上着を脱ぎ、その白い素肌を晒した。血が滴った後が、白い紙の上に垂らされたインクの様に鮮血を描いていた。ソフィアは背後から、ジャンヌの背中を眺める。天使の羽が見える。痛々しく生えた片翼がジャンヌの背中に以前と同様に浮かび上がっている。
ソフィアは、見てはいけない物を見てしまったという罪悪感を感じれば、視線を窓の外に向けた。
窓辺に飾られた、ゼラニウムの花が、そよ風に揺られている。
背後からシルヴィアの声が聞こえる。
「一応、処置はしたけど、安静にしないと駄目よ?片腕を切り落とされたくないでしょう?」
その言葉を聞けば、ソフィアは考えてしまう。彼女なら、ジャンヌの腕を切り落とすのは朝飯前だろうと…。
窓の外から見える納屋からアーロンが出て来た。彼は、重たげに担いだ干し草を、何段にも積み上げていく。積み上げられた干し草の束は、流れるような風に煽られ、小麦色の線を空へと散りばめる。
「隣に座っても構わないか?」
空を眺めるソフィアに、ジャンヌが話しかける。
「良いよ、わたしの家じゃないから」
ソフィアは応答しながら、冗談っぽく笑って見せた。
ジャンヌは、愛想笑いのような物を浮かべて、ソフィアの隣に腰掛ける。長椅子が二人のお尻の下で、ぎィっと短い悲鳴を上げた。
「ウルヴは、敵と通じていた」
ジャンヌは、窓の外に視線を向け、ソフィアと視線を合わせることなく、静かに呟いた。
理由はどうであれ、ウルヴはジャンヌ達と衝突し、命を落とした。
「他には、何か分かった?」
ソフィアは、さほど気にしないように装い(実際は、本当にどうでも良いと思っていたのかも知れない)ながら質問を返した。
「嗚呼、私は、王の落とし子らしい」
ソフィアは、頭を悩ませた。ソフィアにとって、その言葉は一番聞きたくなかった言葉だ。
彼女はジャンヌの為に身を投げ出す覚悟をしていた。しかし、それはジャンヌ個人の為に限定している。王としてのジャンヌや、騎士としてのジャンヌの願いなど聞くつもりなどない。それは、彼女の死期を早める物だとソフィアは自覚しているし、何よりも、こんな身体では王の隣にいられるはずもない。
ソフィアは、内心で強く動揺した。心が揺らいだ。乾いた瞳に涙が溜まるような気がした。
わたしは……。ジャンヌは何か言おうとしたが、その言葉は再び、心の奥底へと戻されることになる。
家畜小屋の豚が騒がしく啼いた。その異変にジャンヌは立ち上がり、窓に身を乗り出す。
整備された道の先に大きな馬車が一台。馬車の騎手は、黒いフードの男。そして、もう一人、仮面の女が、ジャンヌを一度挑発するように視線を向けた後に、馬車の荷台に乗り込んだ。馬車は高々と車輪を軋ませて動き出した。
「くそっ」
ジャンヌは、舌打ちをした。そして、外へと駆け出す。ソフィアも後に続いた。
シルヴィアは、急に慌しくなった状況を飲み込めないまま言葉を紡いだ。
「なにがあったの?」
ジャンヌは、慌てた様子でアーロンの世話する馬の一匹を引き寄せ、跨る。
「アーロンが拉致された。奴等を追いかける」
そして、ジャンヌはソフィアに手を差し出した。
「ソフィア、行こう」
ソフィアは、強く頷く。そして、手を伸ばし、彼女の綺麗な手のひらに、自らの指を絡ませた。




