リアナ-彷徨い-
リアナは息をする。青ざめた顔、薄く開いた唇で、ひらひらと舞う雪の粉を吸い込んだ。肺が凍えるような冷たさに震える。吐き出された吐息は、冷酷な言葉をいつも口にする。
リアナ様。
サー・モルトが呼びかける。リアナは見向きもしない。
リアナ様。もう一度呼びかけてみる。リアナの長い睫が揺れる。瞼の隙間から覗く瞳をモルトへと向けた。
「あら、まだ生きていましたのね。貴方」
相変わらず、挑発的な言葉だ。モルトは不機嫌な彼女の元に寄ると言葉を紡いだ。
「北部の残党が、周囲で徒党を組んでいます。明日にも、我が軍と衝突するでしょう」
その様ですわね。リアナは興味なさそうに言葉を紡ぐ。
「何か、他ごとを考えているようですが」
「ええ、考えていますわよ。よく気が付きましたわね」
リアナは静かに応答した。
「お父上のことなら、今は考えないことです。奴等の手に渡った以上、生きているとは思えない。お辛いでしょうが、わたし達の王は貴女ですよ、リアナ様」
「そうですわね。今は目の前のことに集中しましょう」
リアナは、モルトに気を使われるのが嫌いだった。彼のキャラではないし、何よりも、あの傷だらけの顔で慰めの言葉を吐かれると、自身の惨めさが増すような気がしてくるのだ。リアナは立ち上がり、天幕を潜り抜けた。目の前には白銀の大地と、無数の兵達。彼らがリアナに手を振るのを見て、何故か、リアナは孤独に立たされた気がするのだ。
「リアナ様、敵から使者が来ています」
リアナの傍の一人の兵が囁いた。
使者?何故、敵が使者を?命乞いでもするつもりだろうか。まあ、会って見るのも悪くない。
リアナは即答で応えた。
使者の男は、見たままの北部人の姿だった。厚いコートから覗く腕には大きな傷が見て覗える。まあ、それくらいは今の時代珍しくもないだろう。兎に角、明日には記憶にも残らないだろう男だった。
彼は告げる。
「オデュッセウスからの言葉だ、捕虜を返上したい」
「オデュッセウス?つまり、獅子王を返すという事?」
リアナは、耳を疑う。
「そうだ」
見返りは?こういった提案の大体は見合わない要求が帰ってくるものだ。
「何も無い、俺達はあるべき場所に全てを返すだけだ」
腑に落ちない。リアナは、隣で話を聞いているはずのモルトに視線を向けた。彼もまた、理解できないと言いたげに肩を揺らした。
「捕虜は、明日の夜に返す」
そう言うと男は立ち上がり、そろそろ戻ると告げる。そんな男の背中にリアナは言葉を浴びせた。
「父は生きてますの?」
男は、リアナの問い掛けに返すことなく、踵を返せば去っていった。
「どう思います?」
リアナがモルトに問い掛ける。
「明日の夜ですか、王の庭ではボニファティウスが処刑される時間ですね」
その言葉を聞いて、妙な感覚がリアナの胸の奥深くで芽生える。全てが杞憂であるならば、どんなに楽だっただろうか。
「リアナ様」
またか、もう名前を呼ばれるのは何度目だろう。それも「様」だなどと、歩くたびに呼び止められていては、振り向くのも億劫だ。そう思いながらも無視することは出来ずに振り向いた。
そこには、命の恩人であり、此方が恩人でもある、ソラル・グレンゴールドが膝を着いてリアナを見上げていた。
「貴方に付き纏われる理由が見当たりませんわ。父上の剣もお返ししましたし、命を救い、救われで貸し借りも無しでしょう?」
そう冷たく突き放すリアナの言葉を受けながらも、彼は無垢な眼差しを向けて口を開く。
「俺はもう名前もないただの男ですが、貴方に仕えたい。その栄光をお与えください」
「せっかく、騎士の重荷から解放されたのに、また誰かの為に命を投げ出しますの?」
彼が、あの場所で何故、敵の姿をして戦っていたか…何をしてきたかは、彼の腰に大事に収められた剣を渡す時に説明された。彼の本名を知るのはこの世界で、ミール将軍とリアナくらいだろう。他はみんな死んでいる。そして、生憎と、ミールは王の庭の警備兵として彼の軍、総動員でボニファティウスの処刑を監督することになっている。つまりは、彼とまともに話が出来るのは、リアナ以外にいない。時間から切り離された男。故郷の姿さえも思い出せない男。とても、哀れな男。
「分かりましたわ。下がりなさい」
リアナは、多少の気恥ずかしさを残した口調で告げた。出来るだけ刺々しく、彼の提案を受け入れる。
その言葉を聞くなり、彼は嬉しそうに瞳を輝かせた。お辞儀をし、踵を返して去っていく。
まるで犬のような男だ。仕える主を喜ばせる為ならば、捨てられた骨も拾い集めるだろう。
リアナは、再び空を見上げた。ひらひらと舞う雪を、肺いっぱいに吸い込んだ。冷たい雪は、故郷の香りがした。




