半人前
「ウルヴっ!!」
ジャンヌはその背中に叫んだ。彼は左の足を引き摺りながら振り向きもせずに進んでいく。灰の匂いがする吐息を吐き出し、澄んだ空気が汚れた肺を満たす。揺らぐ意識の中、ジャンヌはその背中に追いつこうと駆けて行く。
ウルヴ!!
もう一度叫んで、名前を呼んだ。彼は背中越しにも分かるほど肩を落とし、大きな溜め息を吐き出して振り返る。
「なんだよ、もう追いついたのか?他のアホ共はどうした?」
彼は、苛立った様子でジャンヌを睨んだ。額は疲労か、左足の激痛に汗をべったりと浮かび上がらせている。吐息が吐き出される度に白色の気体は、森の霧の中に霞んで行く。
「そなたの問いに答える気はない。一体どういうつもりだ」
「どういうつもりだと、俺も答える気はないね。あんたも俺も、このまま行けば無駄死にだぜ」
「私は死なない」
「ははっ、それはどうかな?何も知らないあんたが生き延びられるはずがないだろ」
「今回だって、そなたの想定外だろ?私は生きてそなたに負い付いた」
「俺は勝つ側に立つ、そして最後には勝つ。俺は死なないし、全て順調だ」
「なら、此処で、そなたを斬る。どういうつもりかは知らないが、アーロンは殺させぬぞ」
ジャンヌは、剣を引き抜き、ウルヴへと距離を詰めていく。ウルヴはその様子を溜め息混じりに眺めながら、遂に口を開いた。
「オーケー、オーケー。分かったよ、一つだけ良いことを教えてやるよ」
ウルヴは、再び大きな溜め息をついた。そして、指を向ける。ジャンヌの後方へ。
「後ろには気をつけないとな」
楽しげに漏れた笑みと言葉に、ジャンヌはハッとした。慌てて振り向いた背後には、途中で見失ったドルイドが立っていた。彼は、ジャンヌを屋敷からずっと付けていたのだ。男はジャンヌに斬りかかり、不意を突かれたジャンヌの左肩に剣先が食い込む。痛みに声が漏れた。
「おっと、言うのが遅かったか?」
げらげらと笑いながら、ウルヴは踵を返し、赤い線を左足から地面に引きながら、足早に遠ざかっていく。
ジャンヌは、左肩を押さえる。ぬるりとした暖かい液体が指を染めた――
此処まで来れば問題ないだろう。アーロンは汗だくの身体を休ませようと、道の大きな岩に座り込んだ。森は、自身の心臓の鼓動する音に包まれている。
随分と遠くまで逃げてきた。木々の間から、黒煙が見える。青白い空に黒い雲を描くように広がり消えていく。
彼は重たい身体を持ち上げて、ふらつく足取りで木々の隙間を縫っていった、少しすると開けた場所に出る。うっすらと芝生が敷かれた平野。小石が撒かれて、何度か足を取られそうになる。
彼は足を踏み出した、それと同時に踏み出した足元にナイフが刺さった。
「動くな、じじい。簡単に逃げ切れると思うなよ?」
その声に振り返るアーロン。そこにはウルヴが立ってた。彼はいつも通りのニヤ付いた表情で歩み寄る。
嗚呼、くそ…ジャンヌはやられたのか?
アーロンは懐に忍ばせていた石を詰めた皮製の袋を取り出す。乾いた布に自身の湿った手が触れる。もう少しだ…もっと近づけ。そう思った矢先に、ウルヴは動きを止めた。
「おっと」
彼は、わざとらしく声を漏らし、引き摺った足を止めた。
「両手を見えるところに出せ」
ウルヴは静かにそう告げる。アーロンは一度は取り出した袋を再び懐に戻し、指示通りに両手を相手に見せる。
オーケー。彼は静かに頷き、片手に持ったナイフをクルクルと不規則に回してみせる。
「あんたを殺す前に教えてやる。俺の協力者は、俺に多少の殺しの技術を与えてくれた。内蔵の位置、ナイフの角度、追い詰める方法。ついでに、相手を拷問する方法まで…。此れはアンタに教わったことよりも遥かに役に立ったぜ。それじゃあ先ずはお披露目だ」
ウルヴは、ナイフをアーロンの肩に突き刺した。悲痛な声を上げながらアーロンは地面に転がった。
「今のでは死なないぜ?もう少し下を刺せばアンタは死んでただろうな。人間の身体は不思議なもんでな、同じ箇所を刺しても、ナイフの深さ、角度によって死んだり死ななかったりする。今の世界もおんなじだ。トドメを刺すのも刺さないのも強者が決める。良い世界だ」
ウルヴは再びナイフを振り上げた。
「ま、待て、わたしを殺してなんになるというんだ?わたしはもう、ドルイドの総長でもないんだぞ?」
「ああ、それでも仲間を売った罪は深い。裏切り者のアンタがエリクに、あの場所でのことをチクらなかったら、俺は今もハッピーだったさ」
「あれは反人道的な行為だ。あれで多くの子供達が犠牲になっていたんだぞ」
「知るか、もう死ねよ」
ウルヴは、ナイフを握った手に力を込めた。
後ろには気を付けるのだな。
その声に、ウルヴはハッとし、振り返ると同時に頭を強く殴られる。アーロンが視線を上げると、そこにはジャンヌが立っていた。




