過去への道
「何処に?それに随分と唐突ですね」
起き上がるなり、並べたアーロンの言葉にジャンヌは嫌悪を示した。
「まあ、当然の反応だ…。昨日の君は少し疲れていたようだからな。時間もない、タイミング的には今日だろう。別に君を誘い出して取って食おうなどとは考えていないから安心しなさい」
アーロンは、大口を開けて欠伸を垂れ流した後に、言葉を続ける。どれも、ジャンヌを納得させられるだけの信憑性は得られなかった。
「昨日の夜に、私の家を監視しているドルイドを見かけましたが」
嘘だ…。実際はドルイドかどうかも、本当に監視者がいたかどうかも確認できていない。ただ、何か信用できる、自身を納得させられるだけの、断片的な要素が欲しかっただけだ。
そんなジャンヌの鎌を掛けた言葉に、アーロンは動じなかった。
「私は知らないぞ。だが、それが本当なら…そうだな…。予想よりも酷い状況になりかねない。しっかりと準備はしておけよ。もしそうなったら、私は役に立たないからな」
アーロンが示唆しているのは、恐らく…いや、十中八九、戦闘になると言うことだろう。
「今日でなければ駄目ですか?」
「先ほども言ったが時間がない」
「分かりました…。すぐに出ましょう」
ジャンヌは、頭の中で湧き上がる、嫌な予感を振り払いながら、靴に付いた干草を払い落とした。
「お前が幼かった頃、アトスと過ごした屋敷の事を覚えているか?」
「ええ…、私はあの場所が嫌いでしたから、覚えています」
「今から、そこに向かうぞ」
アーロンの言葉に、ジャンヌは言葉を詰まらせて戸惑った。そして先ほどには芽も出さなかった感情が、ジャンヌの内心で大きく花開いた。どうしても行きたくない。あの場所は嫌いだ…。今更、行きたくないと言い出せるはずもなく、ジャンヌは大きなため息を一つ。その様子を眺めながら、アーロンは頷いた。恐らく、彼は先に行き場所を告げれば、ジャンヌが拒否することを知っていたのだろう。してやられた。
ソフィアは動けそうになかった。だから置いてきた。シルヴィアも付いているし、心配の必要は無いだろう。シルヴィアはジャンヌにとって、信頼できる数少ない知り合いの一人だ。
「では、行きましょうか。それで、何故、あそこに向かう必要があるのでしょうか?」
「君は、君の父、エリクの事を知らなさ過ぎる。だから、話をする前に彼のことを知ってもらう必要があるのだ」
「私の父はアトスですからね」
ジャンヌは、辛辣な口調で応答した。アトスのことを父として愛していたし、デニスのことも同様に兄として愛している。今更、簡単には別の他人になることなど出来るはずもなかった。
「デニスはこの事を知っているんですか?」
「どうだろうな…、気付いているかもしれんし、気付いてないかもしれん。どちらにしても、彼自身もエリクが彼に君を紹介したときに兄としての困惑はなかっただろう。彼は、騎士だったからな、王の指示に疑問などもってはいなかったのだ。そう考えれば、君は騎士らしくないな」
「私は騎士ではなく王族ですから」
ジャンヌの応答に対して、アーロンは、苦虫を噛んだような引き攣った笑みを浮かべた。そう言う口が減らないところが騎士らしくないのだと言いたげに……。
早朝の目覚めを感じられないまま、一日は終わりを迎えようとしていた。夜の帳と静寂が姿を現してくる。そしてジャンヌは、過去へと意識を遡らせる。
あの屋敷に近づくにつれて、意識には思い出したくない記憶の欠片が、浮かび上がる。貴族として育った自身。妹のアリアとの記憶。父と母が力なく倒れているのを只、隠れて、見ていた――
永遠に苦しめ――
誰かがそう告げる。炎の中に黒い影…。その影は、手に持った剣を、父の胸に突き刺した――――
気が付けば、ジャンヌは馬車に揺られていた。見上げた青い空が馬車の振動と共に揺れている。視線を戻す。アーロンが、眠たそうに瞼を震わせながら告げた。
「大分、うなされていたな」
「乗り心地のせいでしょうか」
ジャンヌは、本心の動揺を隠して応答する。
「もうそろそろ、到着する」
「はい、この道は…記憶にありますから」
二人はしばらく沈黙した。見慣れた道、森の静かな場所。
この馬車は、ゆっくりと過去に向かっている。森の隙間から吹きぬける冷たい風を感じながら、ジャンヌはそう心の中で思った。




