日常=キス≠日常
「これで戦争が終わるの?」
「さあ…」
ソフィアの問い掛けに、ジャンヌは、力の無い返事を返した。戦争の無い世界…。ジャンヌがこの世界に産声を響かせていたその時も、父や兄は戦っていた。そして王も…。彼が自身の本当の父であると言う周囲の言葉も、ジャンヌにとっては、最早、どうでも良いことで、このまま無かったことに出来るならばどれ程嬉しいだろうか。世界平和、王位継承者、どちらの言葉も酷く曖昧で、絵空事のように掴み所が無く、大きすぎた。
「これからどうするの?」
再びソフィアの質問。ジャンヌは、椅子に腰掛け、ふうっと小さな溜め息を一つ零した。返事はしないでおこう。
「ジャンヌは、もっと自分のことに目を向けるべきだと思う。何と言うか…自虐的で見てて痛いよ?」
「どうした?自棄に不機嫌だな?」
ソフィアの刺々しい意見に、ジャンヌは立ち上がり困惑した様子で首を傾げた。
「そりゃあ、不機嫌にもなるよ。折角、戦いが終わって、危険なことをしなくて済んで、自分が遣りたい事が出来るのに…。私は、ジャンヌのお願いなら聞くけど、あくまでそれは、ジャンヌ自身の願いだよ?騎士としてのジャンヌとか、王としてのジャンヌじゃなくて……」
「私のやりたい事は、騎士だ」
「本当に?私から見れば、ジャンヌは破滅の道しか見えてないような気がする」
「どういうことだ?」
「そのままの意味」
「つまり、私が内心で騎士に嫌悪していると?」
「そう」
「どちらにせよ、私は騎士になるために此処までして来たんだ。今更、後戻りは出来ない」
「ジャンヌはもう立派な騎士だよ」
つい先程までは、脹れっ面だったが、今では無垢な笑顔に変わっている。そんなソフィアを眺めながら、ジャンヌは彼女の真意を探ろうと試みるも、難解だった。今日のソフィアはいつも以上に難解だ。投げ掛けられた言葉は、ジャンヌの心の中で黒い靄となり、膨らんでいく。そんな胸のむかつきを晴らそうと、ジャンヌは紅茶の入った容器を手に取り、琥珀色の液体を一口、飲み込む。
「ねえ、私に、キスしてみて?」
ッ――――
歩み寄って来たソフィアの、唐突な提案。ジャンヌは、驚き紅茶の入った容器を落しそうになる。背後の机に腰を打ち付け、微妙な痛みに表情を歪める。
また、いつもの冗談か――。そう言い掛けながら視線をソフィアに向ければ、彼女が薄く瞼を閉じるのが見えた。瞳を隠した瞼で、長い睫毛が揺れている。
ジャンヌは、鼓動が跳ねるのを感じた。揺らぐ意思とは裏腹に、心音は強く、一定に、鼓動する。
ゆっくりと顔を近づける。ソフィアの吐息が頬を撫でた。
ジャンヌは、唇を重ねた――
冷たい唇…、それでも柔らかくて心地が良い。
冷たい吐息、それでも彼女は生きていてる。
お互いの胸が重なり、高鳴るジャンヌの心拍が、ソフィアの弱い心音を掻き消した。それでも、心は温かく、安らぎを感じた。静かで、平和で…。
酔っているのだろうか…。紅茶に酒を仕込まれた?心音が速い。
唇が離れた時、妙な名残惜しさを感じたが、ソフィアの照れたような笑顔を眺めれば、ジャンヌも自然と笑みが零れた。勿論、死ぬほど恥ずかしかったが…。
時間が止まる、そんな感じがした。机の上に置いて行かれた紅茶から立ち込める湯気も、その中で渦を巻くように浮かぶ埃も、ステンドグラスから差し込む虹色の光も、二人とは関係の無い場所で、違う時間の中を動いていた。
この時が終われば、どうせまた、二人は、騒がしい時間の波に追いついてしまうのだろう。だから今だけは…清涼の如き流れに身を任せたい。




