秘密主義
「さてと、わざわざ来てくれたんだ。本題に入ろう」
ウルヴは、赤くなった鼻を二度、三度、強く摘んだ。指の隙間から赤い鮮血が滴り落ちる。そんな彼の様子を見て、ジャンヌは、申し訳なさそうに言葉を紡いだ。
「すまない、少し、強くやりすぎた」
どこか気持ちの篭らない言葉、それはそうだ。彼が鼻血を出すのは、彼自身が招いたことだ。ソフィアは、ジャンヌの横顔を眺めながら謝る必要性がないことを説きたかったが、それでは話が一向に進まないので伏せておこう。
「謝る必要はないぜ。ただ、暫くは此処の馬鹿どもに『お嬢さん』って呼ばれるだけだ、とても不本意だがな」
器の広さを見せ付けると思いきや、彼は未練そうに表情を引きつらせ、皮肉たっぷりに言葉を告げた。女性の拳一発で失神したことを怒っているのか、目が覚めた時には、賭けで得た金貨を全て使われていたことに対して怒っているのか、もしくは両方か。この場合は恐らく両方だろう。酒を煽った客達は、げらげらと上機嫌な笑みを浮かべながら、ウルヴに言葉をかける。
「また奢ってくれよ、お譲ちゃん」
「おう、余った金貨はてめえのケツに詰めとけよ。それには、店主の3年間が詰まってるんだからな」
「実際は、3年と8ヶ月だが」
店主は、客とウルヴの会話に割り込むように捕捉した。《沈黙の誓い》で3年間、言葉を失い。そして今日、言葉を取り戻した店主は、引き換えに更なる忍耐と試練を与えられ、信仰心と理性を失ったのだ。
「お前の三年間が、俺の数枚の金貨で支払えるなんてな、安っぽくて助かったぜ」
「口の減らない餓鬼が……」
額に青筋を浮かべた店主を横目に、ウルヴは視線を再びジャンヌとソフィアに移した。
「さてと、それじゃあ、本題だ。巨乳の姉ちゃん、あんたの名前を俺達に貸してくれないか?」
何の説明も無いままに問い掛けられた言葉に唖然と取られてしまったソフィアだが、それとは対照的にジャンヌは目を閉じてため息を零した。そんな様子を見て、ウルヴは不満そうに言葉を続けた。
「なんだよ、そこの譲ちゃんみたいに驚いてくれないのか。さては、分かってたな?つまんねえの」
かなり驚いているソフィアに対して親指を立てるウルヴだったが、ジャンヌの無反応さには不満があるようで、子供が無いものを強請るように頭を振り、腕を組めば机の上に足を放り出した。ウルヴの靴裏は、土の一つ、いや汚れ一つ付着していなかった。子供っぽい性格のくせにかなり潔癖で几帳面なのかも知れない。もしくは、外に出たことが一度も無い、小鳥と言わずカラスなのだろう。そんなことを考えるソフィアの横でジャンヌは冷静な声色で言葉を告げた。
「まあ、漠然とは考えていた。そなたたちが私を呼ぶ事自体、腑に落ちなかったからな」
「なら、話が早いな。今の王には不満がある、だからその肩書きだけ貸してくれよ。あんたは突っ立てるだけ、俺たちがシュッと出向いて、シュパッと終わらせて来るからよ。それで、あんたは王で、俺たちは王都に戻れてハッピーエンドだ」
「そもそも、何でジャンヌの名前を借りたいのよ」
一人だけ状況が理解できないソフィアが不満そうに告げる。
「ん?何だ、この譲ちゃんには言ってないのか?」
「ああ、確信がなかったし、今でも戯言だと思っている」
「だから、何の話?」
「巨乳は、先王の娘だと言ってるんだよ、まあ正確には落とし子という奴かな。なに、別に不思議ではないだろう、エリク王は、正妻との子供は居なかったが、若い頃はお楽しみだったんだよ。もっとよく探せば、彼の落とし子は、すぐに見つかるぜ」
「え!?」
再び開いた口が塞がらなくなったソフィアを尻目に、ジャンヌはあくまでで落ち着いた口調で言葉を告げた。
「そなた達は知らぬみたいだから言うが…私は王国に忠誠を誓ったんだ。命を賭けて王と民を守る義務がある。その私がなぜ、叛乱に加担しなければならない」
「おいおい、此れは叛乱じゃないぜ?立派な大義だよ。愚鈍な王から民と国を救うためのな。ドルイドは《多くを知る者》だ、情報を売って飯を食ってるが…それだけじゃない。武力も売ってるんだ。傭兵家業だよ。それも、とびっきりの精度を持った傭兵だ。北部のやつらも口から腕が伸びるくらい欲しいだろうさ」
彼の言葉を聞いてソフィアとジャンヌは驚きを隠せなかった。ウルヴの話が万が一にも本当ならば、王国にとって一番危険な人物はコイツではないだろうか。何故、彼らが王都から追放されることになったのか、今になって理解することが出来た。彼らは利己的で自己中心な思考を持ちながら、懐疑的で秘密主義。全く持って傍に置いていたくない連中だと言うことだ。
「何故、それを私に話した?私が王に告げ口すれば、そなた達は終わりだぞ」
「何、フェアじゃないだろう?お前の秘密を知ってるのに、俺たちの秘密を話さないのは。それに、お前ら二人が此処に来た時点で、このゲームは詰んでるよ。俺たちの勝ちだ。王に言いたきゃ言えよ。その場合はお前も自滅するけどな?」
「私が…?」
ウルヴの脅迫染みた言葉を聞けば、不快そうに眉を引き攣らせたジャンヌだったが、すぐに理解した。もともと、この交渉に彼らの負けの目は無かった。
「王の落とし子が、叛乱を企てる馬鹿と会った…、それだけで、あの権威信仰の王は、プッツンくるだろうさ」
いよいよ脅迫染みてきた。そう感じたソフィアは、静かに懐の短剣に手を掛けた。ジャンヌは、ソフィアの緊張を感じ取ってか、一度ソフィアを見つめれば空色の瞳を閉ざして首を振る。
「私はそなた達に手は貸さない。だが、此処で話した事を王に告げるつもりも無い。そなた達は気付かないだろうが、この世界は、金や欲望ばかりで動いてないんだ。飢えた幼子の為に、食べ物を盗んでみろ。善悪の判断は無くなる、そしてそれが、正しい行いだったと思うだろう」
「なんだ、ドルイドの俺に説教か?まあ良いよ。時間はまだあるんだ今日の所はこのぐらいにておこう」
ウルヴは、面倒くさそうに頭を掻けば、片手を持ち上げて酒場の扉を示した。ジャンヌはソフィアを傍に寄せつつ、扉の前で振り返り、口を開いた。
「最後に、質問だが…。何故、私を呼んだ。私以外の落とし子に頼むべきだった」
「ん?ああ、理由は、乳がデカかったからだ」
一瞬、切り捨てようかと思ったジャンヌとソフィアだったが、それは次の機会に取っておこうと考え直し、来た時よりも朽ち果てて見える酒場を後にした。




