ソフィアと羊皮紙
「踏み込みが甘い。もう少し、足を使え」
ジャンヌにそう言われれば、ソフィアは足を大きく振り上げ、木の剣を藁の人形に叩き込んだ。みしりとした重い感触が手に広がると同時に、強い痺れが足から全身へと広がる。
「今日はここまでにしよう」
ジャンヌが、頭を揺らして終了を告げるとともに、ソフィアはくるりと体を回し、その身軽さを披露するかのように歩み寄り、言葉を放つ。
「今日は、何点?」
「及第点」
ジャンヌは、眉をひそめたまま億劫そうにソフィアに告げた。
「昨日と一緒なんだけど」
及第点、その言葉は昨日の訓練でも聞いた。その前も同じだったような気がする。
「そなたが、その無駄な動きを無くさぬ限り、ずっと及第点だ」
ジャンヌに、稽古を付けて欲しいと願い出たのはソフィア自身なのだが、どうも子供扱いされているようで気に食わない。
ソフィアが打ち込んだ藁人形は、ぼろぼろに体中を綻ばせていた。それでも、彼は倒れまいと地面に一本の足で立ち、じっと堪えているのだ。それが彼の使命であり、それしか知らない。そんな人形の横で、頬を膨らませるソフィアを、ジャンヌは一瞥した後に、人形へと視線を移して言葉を告げた。
「今日は行くところがあるんだ、出来れば、そなたにも着いて来て欲しい」
「前言ってた、見せたい場所のこと?」
ソフィアの言葉に、驚いたような表情を浮かべたジャンヌは、苦笑しながら応答した。
「いや、北部で言ってたことは忘れてくれ。違う場所に行くんだ」
ソフィアは、ジャンヌの心が微かに揺れたのを感じた。青空のような瞳に薄い雲がかかったように濁るのがわかった。
「了解、団長。でも、先にお風呂に入ってもいい?」
ソフィアは泥だらけだった。そんなソフィアを見て、ジャンヌは頷き、表情を綻ばせ、綺麗な笑顔を浮かべるのだった。
空は晴れていても、冷たい風がソフィアの頬を刺した。実際は、刺した様な気がする。半分吸血鬼になってからというもの、感覚が日に日に弱まって行っており、特に味覚は酷かった。極甘、または、激辛。それ以外は受け付けられない。今のソフィアには、少量の砂糖と、砂の区別すら付けられないだろう。まあ、視覚は寧ろ向上しているので、まず間違える事はないが。
着いて来て欲しい場所。そう告げたジャンヌが、どこに向かっているのかは、ソフィアには想像も出来なかったが、重要なのは、着いて来て欲しいと告げられたことだ。少しは、認められたと考えてもいいのだろうか……。この場合は彼女の気まぐれだと考えるのが妥当だが。どちらにしても、頼ってもらえるのは嬉しい。ソフィアは、ジャンヌの傍らで、一人静かに微笑を漏らした。
ジャンヌは、《王の庭》を後にした。ソフィアの背後に、構える門が、轟々と音を響かせながら閉ざされるのを感じて、なぜか不安になってしまう。王都の外に出たのは久しぶりだ。ソフィアもジャンヌも、過酷な任務を終えて、その代償に、長い療養を強いられた。一人は吸血鬼に、一人は自身の責任で死んだ仲間達に対する罪悪感。表面上は傷が癒えたとしても、心は、簡単には癒えてはくれない。まだまだ、長い時間が必要だ。
「どこに向かってるの?」
我慢できない。気になる。ついにソフィアの我慢の限界が来た。もともと辛抱強さとは無縁な彼女にしてはよく持った方だなと、ジャンヌは苦笑交じりに行動する。自身の懐から一枚の羊皮紙を取り出した。それを背後で不満そうにするソフィアに振り返ることもせずに渡す。ソフィアの表情を想像するのは、ジャンヌには容易かった。
ソフィアは、それを受け取れば、なんともせっかちな手付きで、包まった羊皮紙を開いた。
〔正午、王都より西の町ラニスポート酒場 ドルイド集会に是非ともご出席を。合言葉は、hycile-cjuden^tsu-n.agu^tutu〕
ハ…ハイシ…??
「エルフ語だ。意味は分からないが…重要な言葉なのだろう。ドルイド達は昔から堅苦しい人達だからな」
クスリと笑みを零すジャンヌ、その小さな吐息が聞こえて、ソフィアは自身の無知を晒した事に恥ずかしくなり、頬を赤く染めてしまう。
「ジャンヌが、何で、ドルイドの集会に呼ばれるの?」
「それを、確かめにいく。本当なら、あまり彼らと関わりたくなかったのだが」
堅物、気難しい…。それがジャンヌに当てはまると言う事は言わないでおこうと、ソフィアは内心思う。
何より、今回も、いい予感はしなかった。




