リアナ 灰の森の戦い
リアナは、小さな丘の上から森を見下ろす。モミの木が地面から生えた針のように、無数に広がっている。丘から森へと続く平野には、雪が舞い落ちて、草木は生えることを忘れたまま眠り続けていた。白銀の雪路に変わった道が血で染められると思うと、リアナはどうしても居た堪れない気持ちになる。
地平線に沿って並んだ1200人の兵たちは、誰一人として言葉は発せずに、ただ、振り落ちる雪に包まれ、体を震わせているだけだ。
薄暗い雲が、日の光を遮った。冷え切った地面に届く、唯一の暖かさは、雲間から覗くだけの頼りない物のようになってしまった。すると、森の木の隙間から人影が浮かび上がった。その人影は、一つ、また一つと数を増やしていく。森と雪路を人影が覆うのに時間は掛からなかった。
「マジで来たぞ」
一人の兵士が驚いたように告げた。兵士たちの間で、より緊張の糸が張り詰められていく。
敵は、森の境界を覆ったまま、足を止めてこちらを見上げた。そして、盾や、剣を己の兜や、鎧にぶつけて無機質な音を響かせ始めた。呻く様な獣の声が響く。彼らは、牙を黄ばんだ歯を剝き出してリアナ達を威嚇した。凍て付く空気の中に白い靄のような吐息が上がっていく。
リアナが、クイレルに指で合図を送った。クイレルは頷き、声を張り上げる。
「弓隊、前へ!!」
歩兵たちの間を抜けて、弓兵たちが前に並んだ。
「構えーー!!」
木が軋む音が空を覆った。
「放てーーーー!!」
薄暗い空を無数の弓が覆い隠した。風を切るように放たれた矢は森の境界線に立つ敵を貫いた。同時に敵は雄たけびを上げるとともに一斉に地面を蹴り上げて駆け出した。雪路に積もった粉が舞い散った。
予想よりも敵の数が多いと、リアナは理解するも、それでも数では此方が優位だった。
「構えーー!」
「放てーー!!」
クイレルの声により、第二射が放たれた。致命傷に成り得るダメージを受けた敵はその場に突っ伏したが、肩や足を掠めた所で、動きを止める敵はいなかった。
リアナは、馬に跨り剣を掲げる。
「我等が精鋭たち、前へ! 私に続けーー!!」
リアナの声に、馬の甲高い咆哮が響いた。地面を揺るがす様に駆け出した騎兵たちは、丘を猛進し、向かってくる敵と正面から衝突した。敵の間を縫うように馬たちは駆けて、切り捨てていく。後から雪崩れ込む様に歩兵たちも続いた。
クイレルはその様子を見た後、合図を送る。屈強な男たち10人でも運べないであろう岩を乗せた、巨大な投石器が、体を軋ませながら、長い首をうねらせる。轟音とともに岩が宙を舞う。岩は、森の木々をなぎ倒し、地面に食い込む。地を揺るがす程の地面の悲鳴が響き渡った。
モルトは森の中に、20人の騎兵達と潜んでいた。地の悲鳴を聞きながら、頷き、告げた。
「よし、合図だな。いいか、お前たち、離れるな。孤立すれば死ぬ……でも、その時は、神の国だ。恐れず戦え、神の国で会おう」
モルトが告げた言葉に勇気付けられた兵達はニヤニヤと頷いた。彼らの仕事は森を駆け、敵の背後を突くこと。成功すれば、決着がつくのも早いだろう。モルトは、凍り付き、鞘から抜けなくなってしまう前に剣を抜いた。そして前方に剣を突き出して、馬の横腹を踵で叩いた。
リアナは、騎兵を引き連れ、敵の中を駆けたが、また一人、また一人と馬から引き摺り落とされた。そして、遂には彼女自身も、敵に横腹を殴られ、バランスを崩した馬から振り落とされた。
薄く積もった雪と、軽装に助けられ、深い傷は負わなかったが、口に広がる小石の不快感と、体を打ち付けた雪の冷たさを感じながらも起き上がる。目の前には、物凄い形相で斧を振り下ろそうとする敵の姿があった。リアナはとっさに敵の振り下ろされる寸で、手首を掴み、頭突きを見舞った。そして、漸く、気付いた。自身が剣を落としていることに。辺りを見渡すが、在るのは死体と無数の足跡、剣をぶつけ合う人だけ、そうしている間に敵は再び、リアナに詰め寄る。真横に振り回された斧を屈んで避ければ、体を捻らせ足払いを喰らわせた。敵の体が地面と平行になり、そのまま背中を白い雪の中に倒す。リアナは混雑する兵たちの間を這うように移動し、剣を握り締めたまま絶命する兵士から、その剣をもぎ取った。
体を起こして執拗に追いかけてくる敵の腹部に剣を突き刺す。敵は表情を固く強張らせて地面に倒れ、起き上がってくることはなかった。
鉄と鉄がぶつかり合う音に終止符を打ったのが、モルトたちが森の中、敵の背後から現れた時だ。いきなり背後から現れた騎兵たちに驚いた敵は、漸く、戦意を失い、ちりじりに逃げって行った。
「追いますか?」
涼しげな表情で歩み寄ってきたモルトに、リアナは不機嫌な表情を向けた。
「放っておきなさい。後始末は、ファレルにお任せしますわ」
「我々の勝利ですね」
モルトは、雪と土とで汚れたリアナに視線を向けたまま、意地悪く告げた。
「異教徒達との初めてで、大したものです。私はもっと泥だらけになりましたよ、リアナ様」
「ええ、有難う。少なくとも、私はまだ、顔の原型はとどめていますから、気遣いは不要でしてよ」
リアナの嫌味にも、反応しない憎たらしさ。モルトはニヤニヤと笑みを浮かべたまま背中を向けた。
リアナは、静けさを取り戻した戦場の中で、手に握った剣を眺めた。剣の柄に、小さく文字が刻まれている。
〔孤独の中、戦い続ける息子ソラルを想う 父マーズ・グレンゴールド〕
リアナは、剣の持ち主を探すように辺りを見渡した。無数に転がる死体の中、無機質な探し物は、見つかるはずもなかった。




