幸運の金貨
ソラルは、屈強な二人の大男に連れられ、見たことも無い場所に立っていた。一面にベラドンナの花が咲き乱れ、青白い空に向かって無数の手を伸ばしている様な光景に息を飲んだ。その不気味さと、美しさは、神々しさを一段と強めている。
「此処で待ってろ」
男に言われて、ソラルはその場に留まった。歩き去る二人の男の背中には目もくれず、視線を上に向けた。空を覆うものは無く、ただ、白い雲が青い川をゆらりと流れ、ソラルの視線を横切っていく。彼は長い間、そうしていた。いや、実際は一瞬だったかもしれない。
「初対面だな」
高い声、女の声だ。ソラルは顔を地平線へと向ける。目の前には、白髪の女が立っていた。白髪と言っても歳による変化とは無縁そうな、白い、絹の様な髪だった。顔は整っており、美しいが、顔の節々には幼さが伺えた。恐らく、19歳か、それ以下だろう。そんな少女に声を掛けられ、ソラルは多少なり動揺してしまった。彼女の紅い目は、ステンドグラスを通して見る光の如く、輝いて見えた。彼女が噂の白狼か。
「はい、陛下。然し、お噂はかねがね」
職業柄か、ソラルは彼女の前にひざまづいた。長年、地面に膝を着き、頭を下げてきた癖は、ソラルの身体の隅々に沁み込んで、無くなる事はないだろう。騎士と言う職業はどうも、目上や女に弱いのだ。敵だと言う事柄を除いては、今はその二つが目の前にある。
「くふっ、まるで騎士だな。私の手の甲にキスでもくれるか、騎士」
彼女はそんなソラルを見下ろしながら、嘲笑した。そして、見ていられないと言いたげに、手のひらを上に向ければ、ふらふらと揺らした。
「立て、ナイト。何故、私がお前を此処に呼んだか、分かるか」
「はい、陛下。私の戦での功績を評価してくださり感謝します」
ソラルは立ち上がるも、視線は足元に向けていた。膝を着いた場所には、萎びたベラドンナがぐったりと倒れている。
そもそもソラルは、この場所にどうやってきたのか覚えていなかった。二人の男に連れられたとは言え、自身の足で此処まで歩いて来たのだ。まるで夢の中を進む様な、曖昧で不思議な感覚に捕われていた事が今になって分かる。それでも、足は此処まで踏みしめた地面を覚えており、夢ではないと言う実感を感じさせた。呼吸をすれば、肺いっぱいにベラドンナの香りが満ちる。彼の肺は、青く染まっているのだろう。
「長々と話してお互いをよく知る時間などない」
白狼はそう告げながら、自らの懐から、一枚の金貨を取りだした。それを指で弾く様に上へと押し上げれば、金貨はくるくると空を遊び、そして、ベラドンナが咲き誇る、地面へと落ちた。その金貨を隠す様に白狼は、強く踏みつけた。
「賭けろ……」
「賭ける?俺はまだ何も賭けていません」
「いや、お前は賭けた。この世界に生まれた瞬間から、全てを賭け続けて来た。今日もその日だ。此処に来て、私の前に立った瞬間に、お前は全てを賭けた」
「言えません、俺はまだ何も賭けてないし、そう言った覚えはない」
「そう思うか?だが、それを決めるのはお前ではない……そして、私でもない。この金貨だ」
拒否権はないのだろう。ソラルの額に汗が浮かび上がった。背筋に這い上がる、緊張と恐怖の虫が、ぞわぞわとした気持ち悪い感覚を残していく。白狼の目が見つめる。赤い目が、心の中を見透かすように。
「お、表……」
消え入りそうな弱い声で、ソラルは告げた。それを聞くなり、白狼はニヤリと笑い、足を一歩、後ろへ踏んだ。金貨は土を被っていたが、確かに表だった。名も知らない花の模様が、赤茶けた土の中でも輝きを放つ。
「おめでとう、お前には100人の兵を与える。ストロング砦を落して来い。私を失望させるなよ。センチュリオン≪百人隊長≫」
大きく呼吸を吐きだし、安堵するソラルに笑みを向けながら、そう告げた白狼の表情は、やはり幼さが残る、あどけない物だった。
「その金貨は、お前にくれてやる。それはお前の全てだ。無くさず大事に持っておけ。幸運の金貨だからな」
白狼はそう告げると踵を返してベラドンナの中に姿を消した。それと入れ替わる様に、二人の大男が、ソラルに向かって歩いてくる。ソラルは、金貨を強く握りしめた。




