騎士は退かぬぅ
滝が打つ音に混ざり、複数の水を蹴り上げる音。ジャンヌと滝を隔てた先に敵の姿が見えた。辺りを注意深く見渡しながらゆっくりと歩みを進める。それが匂いであろうが、足跡であろうが、血であろうが…彼らは見逃さなかった。寝ずに三日三晩走り続けるし、道に迷ったりもしない。もとから立ち向かうべきだった…今になって後悔する。
敵の一人が滝の裏に空洞があることに気付き近づいてくる。ジャンヌは飛び出して握り締めていた剣を敵の腹部にへと突き刺した。悲痛な呻きと水面に体にぶつける音が響き、敵の全員がジャンヌに視線を向けた。
見たところ、敵は20人以上。それがジャンヌ一人を囲んでいる。ジャンヌは突き刺した剣を引き抜きながら立ち上がり、構えた。
黒い甲冑を身に付けた男が二人、ジャンヌを囲むように前へ出た。一人は剣を、一人は分厚い鉄の鎖に堅い鉄球が下げられた武器を手にしている。二人はジャンヌが踏み出すと同時に武器を振り上げた、剣と剣がぶつかる、蹴り上げた水が飛沫を上げて視界に映る。
数回剣を重ねた後に、敵の兜の上に甲冑越しの堅い拳を打ち込んだ。剣を持った敵がふらつくのを見て、ジャンヌは蹴りを腹部に打ち込み、振り返る。鉄球を振り回す敵は近くに迫り、ジャンヌの肩に鉄球を打ち込む。ずしりとした衝撃が肩に響く、ジャンヌは、その、骨が砕ける様な痛みと衝撃に剣を手放してしまうが、寸前で身体を傾けて避け、致命傷は免れた。痛みと衝撃にジャンヌの表情は歪み、そのまま水面へと身体を倒した。敵は慌てて立ち上がろうとするジャンヌに跨り、首と頭を押さえつける。川にジャンヌの身体が沈む。余り深くないが、ジャンヌから酸素を奪うには十分な深さだった。
顔を水面に出そうともがいてみるも、大の男に上から押さえつけられ、どうしても抗えなかった。ジャンヌは水の中で殺意に満ちた男の顔や瞳を見上げながら自らの腰に手をやる。手に触れたのは、ウサギの皮を剥ぐための小さなナイフだった。それを、男の横腹に突き刺した、男の身体が傾き、脱力したのを感じれば、ジャンヌは身体を持ち上げてナイフを持っていた手で大きな石を拾い上げ、ナイフが刺さり膝を着く敵の頭に降らせた、敵は力なく身体を倒して息絶えた。
その様子を見ていたもう一人も剣を手に斬りかかる。その男の頭にも数発、石の雨を降らせるように殴り倒せば、仰向けの敵の兜と首の付け根を強く踏み付けた。鈍い音が響く、鉄の重みに耐え兼ねて首の骨が砕けた音だった。
ジャンヌは大きく肩で呼吸をする。跳ねた飛沫が散りばめられた光る空気を吸い込む。濡れた髪を紐で一纏めに縛り上げれば、金色の中に返り血が細く線を描いて滴り落ちた。
敵の背後に居た女が敵の間を割って現れた。黒い髪、褐色の肌。顔は血の化粧でうかがえない。
「強いな…白狼が見たら、さぞ喜んだだろう。残念だ」
女は二人の死体を眺めながら淡々と呟き、再び敵の背後に戻った。ジャンヌは手探りで剣を拾い上げて構える。1対20だ。何度サイコロを投げたところで勝ちの目は出ないだろう。
ところが、敵は一斉に襲うどころか驚き始めた。敵はジャンヌの背後を見ながらじりじりと後退した。
訳が分からないと振り返る。そこにはソフィアと脱走兵達の姿があった。
ソフィアが協力的な助っ人を呼んで来てくれたと内心で皮肉を零す。一度は敵に屈して逃げ出した彼らも、心のどこかでは誇りを捨てた自身を嫌悪し、嘆いていたのだろう。自身の名誉を誇りを取り戻す機会を待ち望み、そして飛びついた。自身の命も省みずに。
ジャンヌはソフィアに視線を向ける。お互いに、ぼろぼろになった姿に苦笑を零しながらも頷いて、存在していることを感じ合った。
「さっさと陣形を整えろ!恐れるな、我々には火の神がついている」
黒髪の女、シアッリルが兵に怒号を飛ばした。これは彼女にとっても予想が出来なかった。まさか、目ざわりだった脱走兵居住区の奴らが牙を剥くとは…、鼠のように一定の場所で縮こまっていた彼らに、兵達が動揺させられている。あり得ない状況だが、構わない。目障りな瘤を剥ぎ取るいい機会だ、全員殺してやる。
ようやく一列に並んだ兵達が一息つく間もなく、ジャンヌ達は剣を構えて突進してきた。
ジャンヌと脱走兵達は水を蹴り上げ、一直線に疾走してくる。燃える様な雄たけびを響かせて駆けてくる相手にシアッリル達は圧された。
剣と剣がぶつかる音が響き渡った。鎧と鎧が激しく衝突して、風が軋むような音が響き渡った。ソフィアと数人の弓使いは、岩を駆け上がり、滝の上から敵の陣形を射抜いた。
川の水がお互いの血で赤く染まっていくのが見えた。悲痛な呻き声が聞こえる度に、流れる水は赤い筋を浮かび上がらせる。その生々しい程の鮮血と地面と水を蹴り上げ大地を揺らす音に世界の鼓動を感じた。
脱走兵達が敵の身体を剣や鎧で押しのける、ジャンヌは疾走してシアッリルの元に駆けて行った。
ジャンヌは彼女の元に到達するなり、剣を振り上げた。シアッリルは上手く転がり剣を避けると、懐から二本の短剣を取りだした。ジャンヌは構わずに追撃する。彼女の二本の短剣ではジャンヌの力任せの斬撃を防ぎきるなど出来るはずも無かった。短剣は数回の打ち合いで短剣は見事に音を立てて砕け散り、防ぐ術を失った彼女の体をジャンヌの剣が貫いた。敵の将が力なく水面に倒れると同時に脱走兵の一人が呟いた。
「おいおい…冗談だろ」
ジャンヌがその声に振り返る。
「敵だ!まだ居るぞ!!」
弓使いも叫んで指をさす。その方向に敵は居た。3メートルはあろうかと思われる大男、アトルを筆頭に20人の敵がこちらに向かって駆けてくる。どうやら敵は部隊を二分していたようだ。ジャンヌは周りを見渡す。ジャンヌとソフィアを含めて8人程しかいない…。残りの者は足元を探せば簡単に見つかるだろうが、戦力にはならないだろう。全員と目を合わせて、全員が頷いた。ジャンヌ達は剣を手に取り、半ばやけくそで敵に向かって疾走した。




