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騎士名誉クラブ  作者: 雪ハート
氷の森
24/111

絡む吐息、指

「はあ…遅い。これはもう、やられたって考えるべきだろ。それに犬はどうした?犬も居ないじゃないか」

川に小石を投げ込む、暇の体現者となったフレイムが愚痴を零し始めた。彼は、ジャンヌの方に視線を送り、いつまでたっても戻って来ない二人の騎士の向かった先であろう空を指差した。空は霧に揺らいで、弱々しい光を放っている。

「ああ……、任務に戻ろう。アミュレットは取り戻した、要塞ケルンに戻る。ブラッドメイヤーなら心配ない、むしろ私達が邪魔だろうしな」

ソフィアはジャンヌの足に布を巻き付けた。折れた木の破片が痛々しく散らばり、そのどれもに彼女の鮮血が伝っている。

「まだ休んだ方が良いよ…、こんなに血が出てるし」

ソフィアは痛々しく足を引きずるジャンヌに提案した。よろよろと立ち上がる彼女の事が心配だった。怪我による心配ではなく、もし、アベルとアンヌが敵と遭遇して…やられたのであれば…彼女の性格上、自責の念に囚われてしまうだろう。あまり表情には出さない彼女だが、フレイムの一言で明らかに表情が曇ったのがソフィアには分かった。そして、彼女や私達のせいではないとは言えない自身の一部論理的な思考を恨まずにはいられない。嗚呼…二人とも早く帰って来てください。そうすれば幸福な感情を抱いたまま戻り、温かいベッドとお風呂、小さな教会の小さな暖炉、土と樫の木の匂いに包まれた普通の生活に戻れるのだ。来い…来い、来い…帰ってこい二人とも。ソフィアはドロドロとした視線を、変わらずに気味が悪い森の境に注ぎ込んだ。

「ありがとう、ソフィア…。しかし、今から此処を発つ。アベルとアンヌがやられたのなら、敵もすぐ近くまで迫っているだろう」

そんなソフィアの頭にポンと優しく添えられたジャンヌの手、紡がれた言葉。何に対してのお礼なのかソフィアには分からなかった。

「我々はケルンに戻り、その後、アミュレットを無事に陛下の元に送り届けよう」

ジャンヌの言葉には多少の不安が籠っていた、ソフィアはそれを感じ取ることが出来た。恐らく、全員が分かっていたのだろう…、要塞から此処までたどり着くまでに費やした時間は短い様で果てしなく長かった。そしてこれからも過酷なことになると分かっていた。心のわずか一部の理性的な個所は…身体に告げる。あるのは失望と…落胆と、無意味と死だ。あり得ない…そんなこと、と心の弱い部分から聞こえる声を聞かまいと、振り払い、無視する。だって、疲れていたし、心が折れてしまいそうで怖かったから。

「くそっ、この程度で、この足はっ」

歩み始めるも、ジャンヌのイラついた口調が川の流れを消し飛ばす。悔しそうに足を引きずる彼女の隣で、ソフィアは寄り添い肩を貸した。ソフィアの肩に回されたジャンヌの腕に力がこもる。柔らかい感触とベルガモットの甘い香りに、不謹慎ながらも何故か、ソフィアは嬉しくなってしまうのを感じた。




半日が過ぎたころ、白狼は倒れた死体を見下ろしていた。バルトロメウス。北部王の養子。自身と同じ境遇にして年の離れた義兄だった。幼い頃に感じた、あの怒りを共有しあえる唯一の存在だった。

然し、自身の心を制御する術を失った彼は未知の石に頼った。

天使の石。馬鹿げたものだ、北部の戦士である彼は石一つに勝てなかったのだ。毎晩見る悪夢を消し去るがために麻薬に溺れ、直接な解決策も見いだせなくなったままこの場でのたれ死んでいる。

「アトル、シアッリル」

白狼は、溜め息を吐きながら二人の部下の名を呼んだ。足元にはまだ新しい血の跡が残っている。殺した二人の騎士の他にも南部人がいるのだろう。逃げ切れると思うな。

冷たい風が白狼の髪を撫でた。彼女は絹のような白髪を靡かせながらアトルとシアッリルに告げる。

南部の騎士を殺せ。



はあ…はあ…はあ。

ソフィア達は川辺に沿って走り続けた。足を踏みしめる度に、全身の筋肉が強張る。一度足を止めたら動かなくなってしまうだろう。

川は轟々と流れ、水の勢いは増していく。岩を削り、石をはじき飛ばす程の鋭い刃物のような川。飛び込んだら這い上がるのは難しい。

ソフィアの隣にはジャンヌの荒々しい足音が聞こえる。痛む足を必死に引きずり、足元の小石を蹴り上げて走る。肩から伝わるジャンヌの吐き出す息とソフィアの息が、寒さで白く色づいて、目の前で溶け合う様に消えて行く。

「くそ…クソ!あいつら、なんでこんなに早く追いついたんだ」

フレイムの荒々しい呼吸と、焦りに震えた言葉が聞こえる。

ソフィアは森の方へと視線を向ける。草木を切り分けて湿った大地や樹の根を難無く踏みしめて走る敵の姿が見える。あの場所から離れて、一日と立たずして敵の追手は追いついて来た。ジャンヌの怪我の事もあったかもしれないが、それにしても速すぎる。森の中から複数の足音と、森が笑っているような草木のうねりが聞こえた。

「ダメだ、追いつかれる」

サムが、少し飛び出したお腹を揺らしながら告げた。彼の声も焦りと疲労で震えている。

「デブ、お前がおとりになれ、その間に俺達は逃げる」

「死んでもゴメンだ」

普段通りに口喧嘩を始めるサムとフレイムの隣でスノウは黙々と走り続ける。呼吸一つ聞こえて来ない。

「川に…飛び込もう」

ジャンヌの一言に全員の足が止まった。水が岩に突き刺さりそうな程、力強く流れる川を見下ろす。

と同時に、怒号が響いた。森から敵が飛び出す。50人は居そうだった。最早、選択肢はない。

川に飛び込もう…ソフィアは決心し、ジャンヌの手を強く握り締めた。絶対に解れないように強く指を絡ませた。ジャンヌはそんなソフィアに優しい瞳を向けた。青空のように澄んだ、深い瞳。そんな瞳に見とれたソフィアを抱き寄せれば強く地面を蹴り上げた。ベルガモットの香りに包まれたまま、身体は宙を舞う。

冷たい水が、素肌に突き刺さるまで、ソフィアはずっと瞼を伏せていた。












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