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騎士名誉クラブ  作者: 雪ハート
氷の森
23/111

白狼の炎

「もう一人は?」

「クソッ…逃げられた」

アベルが石を蹴り上げる。その様子を見ながら、アンヌは溜息を零して辺りを見渡した。

「此処がどこか分かる?」

視界に入るのは一面の草と木と赤い血。二人の間で息絶えるフードの男の身体から流れる血は、草や木の根に水分として吸収されていく。

この森に生える草木は、流れる血を飲み干して来た。そう考えると途端に、アンヌは居心地が悪くなるのを感じる。

「さっさと行こう…」

「何処に向かうつもりだ?」

「ケルンに戻るんだよ、帰る場所は皆、おんなじだろ?」

「ああ、そうか…もう一人は…。いや、今はみんなに合流しよう」

アベルは、逃げた一人が気になった。このまま追いかけてトドメをくらわせるのも良い、然し、その提案は聞き入れられそうに無かった。アンヌは要塞ケルンに戻りたがっていたのだ。こうなったアンヌの意思はまさしく巨大な石の如く動かない。喧嘩をした時はいつもアベルが先に折れるのだ。

 

当ても無く歩いた、逞しく成長した樹の表面に着いた苔を気休め程度に目印にして…恐らく南へと。

「母の話を覚えてる?」

アンヌが唐突に口にした。

「なんの話だ?あの人はいつも、自作の物語を俺たちに聞かせていただろう…もう何百、何千と」

「光の王の話は?」

「ああ、覚えてるよ…。今考えると、安っぽい話だよな…。光の王が闇の王を打倒し、世界は光に包まれてめでたし、めでたし」

「あの話、あたしは好きだった。少なくとも昔のあたしは、ね?……あの話がさあ、もしも本当にあった話なら…今もこの世界に生きていると思うかい、その光の王ってやつは。この世界は今でも光に包まれてる?」

アンヌの言いたいことはアベルには嫌と言うほど分かった。この世界に光の王は居ない。居たとしてもとっくにこの国を見捨ててるに決まっている。母が物語を紡いで育てた、アベルとアンヌの心は、同時に母の死によって歪んで行った。醜く歪な物に…。

「ただの作り話だよ…アレは」

アベルは視線を伏せた。湿った地面から伸びた草を踏みしめる自身の足が見える。今のアベルにはそれがいっぱいいっぱいの答えだった。


樹が揺れた…、葉がざわめいた。アベルとアンヌは途端に歩みを止める。四方から響く咆哮は馬の鳴き声だった。アベルは背後を歩いていたアンヌの方に振り向く。そして時間が凍りつく。ゆっくりと流れる時間…そんな錯覚にとらわれながらもアベルは叫び、アンヌに手を伸ばした。

アンヌはアベルの行為にぎょっとした、そしてアンヌも振り向く…。

一匹の黒い馬と、それに跨る黒い鎧の騎手。その黒鎧はロープを振り回し、アンヌの首に見事に巻き付けた。強い衝撃にアンヌの細い首は致命傷ともいえるダメージを受けただろう。黒い馬はアンヌを引きずりながら、手を伸ばすアベルの横を駆け抜けた。

アベルは頭に血が上る、そのまま弓を構えて瞬時に矢を放った。黒い鎧の騎手の背中に矢が刺さる。騎手は力なく馬から地面に転がり落ちたが、馬はそのままアンヌを引きずって森の奥へと駆けて行く。

アベルは馬を追うために地面を踏みしめた瞬間に、頭に強い衝撃を感じた。自身の身体が力を失い、地面に顔が近づくのが見えた…、そして倒れる衝撃を感じぬまま、気を失った。


空が動いている…。アベルは自身が地面を引きずられているのが分かった。霞む視界の端に、数人の黒い鎧を身に付けた男達がにやにやと笑いながら見下ろしている。そして、意識は再び闇に落ちた。


アベルが次に目を覚ましたのは小さな部屋の中だった。家畜の糞のような匂いを放つ、容器いっぱいの水を浴びせられて飛び起きた。目の前には黒い鎧の男…。

「やっと起きたか、クソ野郎」

男はにやにやと醜い笑みを浮かべて悪態をついた。

「久しぶりの客人だ、歓迎してやろう」

その声に男は醜く歪んだニヤケ顔を、元の醜い顔へと戻した。そして、アベルの視界から外れるようにゆっくりと後退する。代わりに視界に映ったのは一人の女性だった。髪は真っ白で…薄く肉つきの良いみずみずしい唇、整った顔立ち。白髪ながらも判断が付く、美しく若い女性だった。彼女が歩み寄って来る、燃えるような赤い目をしていた。

「私が誰だか…分かるか?」

燃えるような目をした女が問いかける。

「知らない」

アベルは、本心でそう告げた。

「そうか…。くふふ、南部の人間は臭いな。汚物の中で生きているという話は本当だったか…」

彼女が笑えば、周りの黒鎧達も笑みを零した。

「お前らは何だ?用があるなら手短に済ませろ…俺も急いでる」

「女が気がかりか…、見たところ、双子か」

赤い目の女が、呟いた。

「あいつに手を出したらただじゃあ、おかない」

「くふふ、いつの時代の脅しだ。そんな口説き文句で私を落とせると思ったか?安心しろ、女には何もさせない、勿論、後でちゃんと会わせてやる。約束だ。だが、まずは…私の質問に答えろ」

彼女はそのままアベルの前に腰を降ろした。アベルは何も制約されていない。縄で縛られても無かった。このまま目の前の女を絞め殺すのも容易いと考えたりもしたが、何故か、それが出来なかった。

「南部人のお前達は、私の土地で何をしている…。私達は今、とても忙しいと知らないのか?」

「俺は騎士だ。任務で動く。もちろん、内容を話したりはしない」

「なんだ、お前は騎士だったのか…。ならば、豚の糞でも食わせるべきだったな。あの、愚王の尻を舐めてるんだから、豚の糞はさぞ御馳走だろう?くふふ」

「王への侮辱は許さない。そして、騎士の誇りを汚すことも許さない」

「ならば、私達と同じだな。本物の王への敬意も、誇りも持ち合わせている。物欲にまみれた南部の人間とは思えない心がけだ、非礼を詫びよう…騎士殿」

「クソくらえ…」

唾を吐きだしたアベルの頬に蹴りが飛んでくる。視界が歪み、口の中は血の味でいっぱいになった。呼吸をする度に、鼻から流れる空気と血がこぽこぽと音を立てる。恐らくは鼻が折れたのだろう。

「口のきき方に気をつけろ」

隣に居たこれまた醜い顔をした大男がアベルを蹴り上げた足を下ろしながら呟いた。

「ああ…、すまない。明日からは気を付けるよ…」

「てめえ…」

再び、大男が足を振り上げた。

「よせ、その不躾な足を下ろせ」

赤い目の女が大男を制止する。大男は無言で足を下ろした。

「ふむう…、狩りは好きか?」

奇妙な溜息を零しながら赤い目の女が問いかける。アベルはその唐突な質問に目を丸くする。質問のその裏の真意を探り、一歩先をいこうと考える。

「思考するのは良くない…、私を出し抜こうと考えているのが分かるぞ。今は直観に頼るべき時だ…考えれば考えるほど相手に読まれる時間が増す。当ててやろう…お前は狩りが好きだ。耳元から頬にかけての傷は弓を射る時に生じた摩擦で出来る痕だろ、指の先と側面にも痕がある…ふむう、かなりの使い手と見た。偶然だが、私も狩りが好きなのだ……。弓の腕も自身がある。どれ、一つ…提案しようじゃないか…、私よりも先に獲物を仕留められたら…お前を自由にしてやろう。もちろん約束は守る。私は騎士道などという愚かな考えはないが、お前のあり方には感銘を受けた。慈悲とチャンスを与えるべきだ…それがたとえ敵でもな…。彼に剣と弓を渡せ」

こいつは、この女は何を言っているんだ…。アベルは目の前の女の感情を理解しようと必死だったが、それも無駄だった。女は剣と弓を携えたアベルに背を向けて着いて来いと指で指示をする。アベルは数人の男に尻を蹴られながら渋々と女の後に続いて歩いた。女の背中に剣を突き刺すチャンスを待って。


「此処だな…おい、獲物を連れてこい」

赤目の女が振り返った。アベルはあたりを見渡す。一面のベラドンナが咲き誇る空間だった。眩しい程に青々としたベラドンナの花弁が何処からか流れる隙間風によって身体を揺らした。大地の香りがする…、この世の場所とは思えないほどに美しかった。

「公平を規すために…お前からチャンスをやろう」

赤い目の女が指をさす…、その先に『獲物』が連れて来られた。『獲物』は頭に革の袋のようなもので包まれて既に疲れきっているようにぐったりと座り込んだ。あの輪郭には見覚えがある…。アベルは心臓が張り裂けそうな程に脈動するのを感じた。指が震えだし、それを抑えきれなくなり、唇が震え歯がガタガタと音を鳴らし始める。50メートル先だろうが、頭に袋を被されていようが、間違えるはずもない…アンヌを間違える筈がない。

「お前からだ…一発で仕留めろ…そうすれば自由だ」

女が指を一本立てた、周囲に居た大男達が剣を抜き、アベルの背中に冷たい刃の感触を伝える。

アベルは弓を構えて、『獲物』を見る。震える指で何とか矢をつがえると、考える。よく考えろ、この状況を何とか抜け出さないと…。絶対にアンヌと一緒に帰る。このまま、このクソ女を射抜いて、大男達を殺してアンヌを助ける…。だがどうやって、仮にクソ女を殺せたところで、大男達に殺されてアンヌも殺される…。必死に思考を回転させる、結果として良い案は出て来ない。アベルが視線を横目に女へと向ける、その燃えるような瞳と視線が重なった。身体の奥から燃えるような錯覚を感じる、一切の反抗心を失ってしまいそうな程、その瞳は恐ろしくて…そして美しかった。

考えるな…直観を信じろ。クソ女のことだ、アレはアンヌではなく別人で、俺をからかって楽しんでいる、そうだ、そうに違いないっ。放てっ…、頭を一発で撃ち抜いて仕留めろ、どこの誰かは知らないが、せめて苦しまないように!

指に力がこもる、アベルは大きな溜息を吐きだしながらイメージする。『獲物』を撃ち抜くイメージを、そして矢を放つ……。無理だ!アレは間違いなくアンヌだ、くそっ!くそ!くそっ!!

アベルは咆哮し、弓を隣の女へと向けた。瞬時に大男の一人が弓を掴んだ。放たれた矢は、女の頬を翳め、一面の青い地面へと消えて行く。

「ふむ…外れだな。次は私だ…」

魂を擦り減らし疲労したアベルに見向きもしないで、女は矢を放った。『獲物』の頭に突き刺さり、『獲物』の身体はぐらりと傾き、ベラドンナの大地に抱かれるように力なく倒れた。

無論、アベルは激昂した。目尻に涙を溜めながら、妹を殺した眼前の女へと斬りかかる。女は微動だにしない、身体も、視線も表情も、アベルに向けたまま動かない。

アベルを囲んでいた男達に取り押さえられ、剣は寸前のところで女には届かなかった。

「残念だ…、私の慈悲を無駄にしたな、南部人。…死ね」

赤目の女がゆっくりと手を翳し、手のひらがアベルの額に添えられる。同時にアベルの身体が異常な熱を感じ取った。アベルは地面に倒れて、悲鳴を上げた。身体が燃えるのが分かる。喉は焼けしゃがれ、曇った悲鳴の中、炎が臓器を、肉を、血を、骨を焼いた。絶望的な痛みの中でアベルは絶命する。アベルの屍の皮膚を裂いた炎がまるで大地から新芽を伸ばす様に火柱を上げた。

その魔術的な光景を前に、黒い鎧を身に付けた兵達は彼女の前に膝を着く。

「お見事です、我らが王。ボニファティウス=アウグネ=バウガウヴェン=ウリエル2世」

「祖父の名で呼ぶな。今までどおりに『白狼』と…その方が気に入っている。さてと、愚王の大軍も、要塞も落とした…、序に、愚王の使いの犬二匹も仕留めた。祖父の成せなかった祈願、果たすことにしようか……南に行くぞ。獅子王も、愚王もまとめて喰らい尽くしてやろう」

「うおおおお!!!」

ベラドンナの大地を黒い狼たちの咆哮が揺らした。地面を足に叩きつけるとビリビリと大地が揺れるのを感じる。飛び散り、宙を舞うベラドンナの花弁の中で『白狼』は一人、不敵に笑みを零した。



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