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騎士名誉クラブ  作者: 雪ハート
氷の森
22/111

息吹

ソフィアは木々の間を駆け抜けた。顔に向かって伸びた葉が、ソフィアの頬を引っ掻く度に舌打ちしたくなるが、今は目の前に集中しなければ…。ソフィアの視界、十メートルほど先に男の背中が見える。頭に被っていたフードは外れ、短く切られた黒髪、後頭部から首元にはタトゥーが刻まれている。その男は、よほど焦っているのか、何度も地面から顔を出す木の根に足を取られてバランスを崩していた。それでも力強い走りに、多くの経験と実力を感じ取ることが出来た。

あいつが力尽きた時、止まった時が、頭を矢で打ち抜くその時だ。

ソフィアは、胸の鼓動が速くなるのを感じた。心臓から全身へと駆け巡る血の循環を心地よく感じる。呼吸が乱れ、足と身体は重くなり、脳は上手く回転しない。それでも身体は動き、五感はいつもよりも研ぎ澄まされていた。狩りの醍醐味、癖になりそうだ。ソフィアは、そんな自分の考えを振り払う。こんな感覚、いらない…まるで私が殺しを楽しんでるみたいじゃないか。うまく働かない脳に纏わりついた、どろりとした感覚を払う様に、ソフィアは一瞬、瞼を閉じて頭を振った。

その行動は、間違いだった。その一瞬の間に、目の前を走っていた男の姿を見失ったのだ。

「どこに行った…」

ソフィアは立ち止り、弓に絡めた指に力を込めた。敵の姿を見失った。獲物は、鹿でも羊でもない。牙を持った獣だ。一気に立場が変わった。ソフィアはこの瞬間、狩人から獲物に変わったのだ。

木々が風に揺らめいた。葉がソフィアをあざ笑うかのように音を立ててなった。


突然、背後から枝が折れるような音が響いた。ソフィアは弓を構えたまま振り返る。そこには折れた枝と、石…。しまった…、と思った。そして振り返る、同時に男の肘がソフィアの顔を捉えた。

視界が揺らいだ。口の中は鉄の味に満たされた。最低の気分のまま視界を空へ向けると、男が覗きこんでいる。間違いなくソフィアに肘を打ち込んだ男だ。

「ガキか…。さっきの女は何処だ…。まあいい…」

男は、ソフィアに跨るとそのまま剣を抜いた。口笛を吹きながら、剣の刃を綺麗に服で拭い始める。その剣はバルトロメウスの血で、赤黒く濁っていた。男は剣をふき取ると、両手で握りしめ振り上げた。後は、ソフィアの胸に振り下ろすだけだ。何処からか、犬の鳴き声がする。その声は次第に近くなっているような気がした。

ソフィアは全身の毛が逆立つ程の恐怖を感じた。胸の鼓動が爆発するのではないかと言うくらい高鳴っている。背中に走る悪寒。口内に広がる血の不快な味。獲物を仕留める、男の笑顔。青白い空から覗く日の光り。そして、犬の鳴き声。

男が鳴き声の方向に視線を向けた瞬間、目を見開いたのが、見上げていたソフィアにも分かった。何か恐ろしい物を見た様な、引き攣った男の顔。

そして、男に衝突した金髪の女性。男の身体は浮き上がり、ソフィアの視界から消え去った。ジャンヌの見事なタックルだった。

ソフィアが身体を起こした時には、二人は転がるように斜面を滑り落ちていた。


枝が折れる音、石が砕ける音、骨が軋むような鈍い音が響く。視界は周り、自分がどんな体勢でいるのかも分からない。分かるのは全身に広がる痛みと、敵がすぐ近くに居る事だけだ。

ジャンヌは十メートルほど滑り落ちた後に、太い樫の木にぶつかり止まった。背中に強烈な衝撃が走り、呼吸が出来なくなったが、すぐに辺りを見渡す。自身の数メートル下で、まだ止まらずに転がり落ちている敵の姿が見えた。ジャンヌは全身の骨が軋むのも気にせずに、重たい身体を無理やり起こし、剣を引き抜けば、両足で上手くバランスを取りながら滑り降り、敵の後を追った。


結局、男は何処にもぶつからずに下まで滑り落ちた。男は全身の痛みと、ぐるぐる回る視界の気持ち悪さに、うめき声と血反吐を漏らす。視線を斜面に向ければ、ジャンヌが剣を手に持ち滑り降りて来ている。

男は立ち上がり、自身の隣で一緒に滑り落ちた剣に駆け寄り、握りしめた。そしてそのまま、歩み寄ってきたジャンヌ目掛けて剣を振り上げる。

ジャンヌはしなやかに男の剣を避け、男の腹部に前蹴りを放つ。男は小さな呻きと共に後ろに跳び、尻餅を着いた。ジャンヌは始終落ちついていた。表情に身体の痛みや疲労を出さずに、呼吸一つ乱れてはいなかった。振り下ろされるジャンヌの剣を男は受け流し、立ち上がる。そのまま数回剣をぶつけ合う。無機質な音と足で引きずられる地面の音が響く。後を追いかけていたソフィアが二人に追いついた頃には、勝負はついていた。ジャンヌの剣が男の腹部を貫いた。男が絶命する前にジャンヌはその場に座り込み、大きな溜息を一つ吐き出した。

「ジャンヌ!!」

声を出し、駆け寄って来るソフィアに視線を向ける。良かった…。間に合った。

ジャンヌは安堵の笑みを漏らして立ち上がった。足には、折れた木の破片が刺さって痛かったが…足を引きずるようにソフィアの方へと歩み寄った。





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