孤独な雪
ブラッドメイヤーが小さなうめき声を漏らす。すると、スノウが器用に木に登る。前方を見据え、下から見上げるソフィア達に指を三本立てて見せた。その合図を見ればジャンヌ達は頷き、身を低くして足音を出来るだけ消して進む。もう3度目だった。
ブラッドメイヤーが匂いを感じ取る。視力が良いスノウ(視力が良いでは済まされない程、スノウは遠くが見通せた。霧に隠れた敵を鮮明に捉えるのだ)が敵の数を知らせる。
後は、近づき…襲いかかるだけだ。これを森に入って半日程で3度も繰り返している。
初めに、ブラッドメイヤーが咆哮し、木の陰から飛び出した。驚き逃げる敵を囲み、全員でせん滅する。
1度目は、敵を殺さずに捕え、陣の場所を聞き出そうとしたが失敗に終わった上に、縛り上げた縄から抜け出し殺されそうになるといった間抜けな状況に陥ったので止めた。
強く縛っても逃げるし、尋問したところで全くといって成果が出ない。道案内のサムは、本当に道案内だけで、そもそも目指す場所が何処にあるか分からない。此処は記憶にあるとか、この場所の近くで襲われたとか確証などないといった様子で告げるものだから、いまいち信用できなかった。
「どうすんだよ、この状況」
フレイムが肩で息をしながら告げる。剣に付着した血を服の端で拭っている。
皆、無言のまま周囲を警戒しつつ、武器を納めた。
「サミー、ちゃんと道案内してくれよ?」
フレイムは道案内のサムを見て、にやにやと意地汚い笑みを見せている。視線を逸らして頭を傾けオドオドするサムを茶化して楽しんでいる。ソフィアには彼だけはこの状況を楽しんでるように見えた。
「僕はただ、道案内をして…」
言いかえすサムに、何か言おうとするフレイムを制止するようにジャンヌが割って入った。
「死体からは何も取らないで欲しい…、私達が騎士であることを忘れるな」
ジャンヌは自身が斬り殺した男を見下ろしながら告げた。いやに説教臭い口調で淡々と…。彼女自身、この森に入ってから、すでに3人以上手にかけている。見開かれた男の目を見つめた後、その瞼に指を掛けて、そっと目を伏せさせる。自身が殺した相手の尊厳を守るために、そして、殺人者か騎士か判断が付かなくなりそうな自身の心を誤魔化すために。
そんなジャンヌの言葉を聞かずにフレイムは死体から指輪を抜き取った。金の指輪。持ち主がどんな意図で所持していたかは分からない。フレイム同様に殺した相手から奪ったのか…もしくは好きな女性に渡す気でいたのか…。どちらにしても分からないだろう、元の所持者は死んでいるし、今はフレイムの物になったのだから。その様子をスノウは無言で眺めていた。フレイムが自身の口元に人差し指を一本立てる、ジャンヌには黙っていろと、スノウは無言のまま動かない。その様子を見たフレイムは上機嫌で指輪をポケットにねじ込んだ。
ソフィアはそんなジャンヌを眺めながら居た堪れなくなる。ソフィアはまだ一度も弓を引いていなかった。
いざ、敵を前に足が止まる。決意など気休めにもならない。敵が恐いのではなく、人を殺すのが怖かった。目の前で仲間が逃げ惑う敵を斬り伏せる状況を、ただ眺める。人を平然と斬り殺す、そんな事が出来るジャンヌに戸惑いながらも彼女が戦ってくれなければ自分も死んでいると、自身を納得させる。それ以上にソフィアはジャンヌの心境を察する事が出来ずに、ジャンヌの存在が自身が思うよりも遠くにある事を知り、強い孤独感に恐怖する。
そんなソフィアとジャンヌは目が合う。ソフィアの心境を察したのか、視線が重なった瞬間に瞼を伏せて視線をそらした。金色の前髪が目元に影を落とす。その前髪は敵の返り血で赤黒い染みのように汚れていた。
ソフィアはジャンヌに何か言おうとするが言葉が出なかった。口を開いては閉じてを繰り返す。
その時背後から、アンヌとアベルが囁く。「初めはそんな物だ」「気にしなくていい」「私達に任せろ」と。ソフィアは励まされるところか、更に強い孤独感と無力感に襲われた。込み上がる感情を必死に堪えてソフィアは不出来な苦笑を漏らした。
血なまぐさい森に、夜のとばりが下りてきた。一同は警戒しながら焚火を囲った。
ソフィアはジャンヌの隣に腰を下ろす。小さくも逞しい炎が7人と一匹の顔を照らし出す。スノウとブラッドメイヤー以外は全員疲労しているように見える。
つかの間の静寂にソフィアが、うつろうつろと眠気に襲われていると、ふいにアベルとアンヌが歌を歌い出す、アベルはハープのような小さな弦楽器を何処からか取り出して音を奏でた。
アンヌの綺麗な歌声と、綺麗な音に全員の表情が綻ぶのを感じた。敵地の真中で歌を歌うなんて、敵に自身の居場所を知らせているような物だと思うが…誰もそんな事は口にしない…。ただ歌に耳を傾けて、遠い南部の事を思い出そうと思考を巡らせた。今は、この時が何よりも重要なような気がした。
『今は遠い故郷を考えるよ、やせ細った愛のように粗末な僕の思考には少し栄養が足りないようだ。ハニーワインで潤そう。ハーブとベルガモットで着飾ろう。今は何よりも全てが懐かしい……』
ソフィアは瞼を閉じた、力を失う頭は隣のジャンヌの肩に寄り掛かった。焚火の温かい風、爽やかなベルガモットの香り、頭を撫でる優しい手の感触。ソフィアはすぐに、意識の下、夢の中へと落ちて行った。




