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騎士名誉クラブ  作者: 雪ハート
神の涙
105/111

無名の暗闇

アリアドネの悲鳴が反響した。地面から伸びた大樹の根の森は、彼女の叫びを受け止め、飲み込むかのように…風にそよぐ小枝のように小さく揺らぐ。

ジャンヌを縛り付ける根が地面へと消えるのと合図に、一面を覆っていた根は一斉に土壌の中に潜り込む。残ったのは頭を抱えて騒ぐ、アリアドネ。胸に刺さった矢から黒い煙の様な湯気が立ち上がる。黙々と上がった黒煙はアリアドネの輪郭を包み込んでいく。

「ジャンヌ、大丈夫?根が邪魔で上から狙うなんて無理だったから…ちょっと遅れちゃった」

ソフィアは慌ててジャンヌへと駆け寄った。城壁から慌てて駆け下りて来たのだろう、呼吸は重く、額には汗の粒が浮かんでいた。見えるのは疲労と血気の悪さ。恐らく、吸血鬼化の問題だろう。スノウと対峙した際に噛まれた。毒された?それでもソフィアは、シルヴィアの解毒剤を一本、持っていたはずだが。

「ああ…、まだ速い方だ。そなたこそ…大丈夫か?」

ジャンヌの問い掛けにソフィアは気だるそうに微笑を零し、肩を竦めた。

ジャンヌは空気を吸い込む。生物の支配の及ばない、この地の空気は澄んで綺麗なはずなのに…、重く血生臭さを感じた。二人ともボロボロで状況は余り良くない。

「消えろ、消えろ、消えろ、消えろ!」

愛を取り戻したアリアドネは最早、普通の人となった。何万の業を背負うなんて到底無理だ。

アリアは自身の血が滴る矢を胸から引き抜き、掻き回す。

「消えない、消えない、顔が…悲鳴が…私の中から消えてくれない」

顔が歪み、涙で高揚した瞼の隙間から雫が浮かび、頬から顎へと伝って落ちる。

「アリア、そなたにもう、あの森は必要ない。聞いてくれ…戦って…アイツを追い出せ。そなたは強い…だから、負けるな」

ジャンヌは、アリアドネに歩み寄り、言葉を掛ける。

「黙れっ!貴様が私を壊した。私は絶望。私は狂気っ!私は神、私は人間っ。許さんぞ、私と彼女を壊した。滅びろっ、滅びろっ。私が此の手で、アイツの此の手で、貴様らは終わりだ。絶望を受け取れ、安らぎをくれてやる。私はお前達の絶望だ」

アリアドネは言葉を吐く。それは、彼女自身の言葉とは違う。漆黒の影の言葉だ。影もまた、苛立ちと焦りを滲ませ、怒りに拳と身を震わせている。

「暗闇が…来る。嗚呼、私は此処で落ちて…溶けていく」

不意にアリアドネが呟いた。ジャンヌへと片方だけの瞳を向けて、潤んだ唇で静かに継げた。

大地が震えた。土の匂いが強くなる。アリアはゆらりと立ち上がり、ジャンヌとソフィアに背を向ければ、城壁にしがみ付くような大樹へと向う。

彼女は静かに手を翳す。涙の一滴が地面に落ちた。そして彼女の身体もまた、根に絡み取られ、地面の奥へと消えていった。

大地が上下に揺れている。ジャンヌとソフィアは上手く立ち上がることが出来ない。まるで背中に何か巨大な錘を背負っているかのように、彼女達も身体を、空気が、空が、押さえ込んでくるのだ。

数十秒の振動が止まり、刹那の静寂が呼吸をする間も無く、アリアが消えた箇所の地面が盛り上がる。それは次第に大きくなり、まるで山のように広がっている。目の前で出来た山は、土を払いのけて、姿を晒した。

「これは…有り得ない」

ジャンヌは吐息のような呟きを零した。ソフィアは開いた口が塞がらない。

広がる腐臭…、悲痛な声。土を払い落としたそれは、巨大な口を押し広げ、ジャンヌとソフィアに向って吼えた。血のよだれを垂らし、焼けた肌で大地を踏みしめる、巨大な獣…。何万の死人が集まって生まれた醜い獣。

「私は安らぎ…私は影、私は永遠の森……。私は……闇」

獣は地を這うような震える声で言葉を紡いだ――

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