アリアドネ《永遠の森》
「アリアドネの記憶を探れば…此処から出る方法が見つかるかも知れない」
ジャンヌは《愛》に期待を込めた眼差しを向ける。黒い影はその輪郭を風で靡く小枝のように揺らしながら言葉を返す。
「可能性としてはある。だが、私がこの場所の一部であるように、彼女の中にいる片割れもこの場所の一部だ。いや、この場所の全てだと言ってもいい。そんな彼女と片割れの記憶を探れば、当然だが、私の存在を感づかれる事になる」
「それでも可能性に賭けたいんだ。私はこんな場所で永遠を過ごす期などない」
ジャンヌの決心に影は頷いた。揺れる手を伸ばし、澄んだ空気の中へと手を翳すように指を広げる。
彼女の復讐心は燃えていた。轟々と音を鳴らし、火花を高々と天へと伸ばす。その感情が自身の物ではないと言うことを理解しつつもそれを抑えるだけの理性も強靭な精神も持ち合わせていなかった。
「白狼との話は終わったのか?王を殺そうとしてるんだ、金貨の一枚や二枚じゃ済まされないぞ?」
「彼女の復讐に手を貸すなら…この世界の全てを変える鍵を渡すだとさ…。なんの事かは理解できないが…此処にいるスノウが既に王の友人を手にかけた。後戻りは出来ないぜ?」
「勝手なことをしてくれたな…。アトスを殺したら王の警戒心も一層強くなる。何のつもりかは知らないが…当分は穴蔵で身を隠してもらうぞ。お前は一流の殺し屋なんだよな?嗚呼、確かにお前は私に仕事を持ちかけた時にそう言った。私は職業柄、一度聞いた事は忘れないたちなんだ」
「個人的な事です。個人的な復讐で…別の依頼者からのものです。私は依頼者の為に彼と彼の家族を殺す助勢をしました。貴方とは関係の無い話です、スリント」
「俺と関係の無いことだと?はははっ、それは質の悪いジョークだ。お前とその依頼者のケツを俺が拭かなきゃいけないのに関係の無いことか?どう思う?息子よ」
「クソ食らえってやつだ」
アリアドネは扉越しから響く怒号に耳を済ませた。一歩的な言葉…霞んだ声。自身がまた誰か殺したのか?最早、それすらも理解できなくなっていた。最近は寝ていない。心がどこか遠くに離れているようで、沸々と湧き上がる苛立ちと恐怖心で瞼を伏せて眠りの中に身を沈めるのが何よりも怖かった。
アリアドネと部屋を隔てる扉が開き、仮面を付けた女が現れる。彼女はアリアドネの姿を見れば、優しい声色で言葉を紡ぐ。
「少し休んではどうですか?疲れたでしょう?」
仮面の女はアリアドネにいつも優しい言葉を投げかけた。城の端で彼女を見つけたその日から、彼女はアリアドネに怒号を上げたことも無ければ愛を注いだことも無かった。
「もう疲れた。スリントの馬鹿でかい声も何時か消えるときが来るのかしら」
「ええ、来ますよ。その時は、貴女を護って良かったと私も胸を張って言えるでしょう」
「私は一体、何をしたの?」
「悪魔が世界から一人消えただけです」
仮面の女は多くを語らなかった。ただ、投げかけられる質問に反応する木のようなものだ。彼女の傍はアリアドネにとって木陰のような物だった。アリアドネは大樹の体躯に身体を寄り添わせ、容赦なく降り注がれる日差しから身を護ってくれる。然し、その存在の名前すら知らなかった。
「貴女の名前は、スノウ?」
ええ…私の名前はスノウ――――
「悪魔が迎えに来たか……アリアドネ、お前は俺の何なんだ?」
「エリク……私は貴方の贖罪よ」
エリクは王座に体躯を折り曲げて力なく突っ伏した。アリアドネの浴びせた刃が彼の胸を貫き、彼はアルコールに染まった体中の血を吐き出す。
「息をして、ほら…息をして。体中の酸素が血に染まっても、貴方は目を開いてみるのよ。貴方が汚した世界を…貴方が穢した私を…。私は永遠の森……静寂と安らぎを与える場所よ」
アリアドネは生気を失うエリクの髪を掴み上げて、その虚ろな瞳を自身へと向けさせる。呼吸が弱まり、生命の脈動が薄れるまでアリアドネは歌う様にエリクへと囁き続ける。
ほら…息をして……息を深く吸い込んで……ほら、息をして…貴方の命が消えるまで――――
「門を開くには器が必要だ……これが鍵…。後は姉さんに任せる」
白狼は片手を牢から伸ばした。アリアドネの指の隙間へと宝石の欠片を差し出した。
「器なら候補がいるわ。永遠の森で生まれた少女。貴女と…もう一人」
「私は私の復讐が終わったら…姉さんに全てをあげるよ…。命など…世界のたったの200gだ」
白狼は安堵の笑みを浮かべた。不器用な笑み、姉へと向けたささやかな好意。
「さようなら…私の愛しい妹……」
嗚呼…さようなら姉さん――――




