28. 鈴木太陽
『本当に死ぬから』
『頼むからやめて』
『やめない』
本当に死なないことはさすがにわかっている。
止めてほしい、相手にしてほしいから言っている、ただのメンヘラの症状だとわかっている。
……でも。
もし本当に、風香が死んでしまったら。
『何度も言うようだけど、今まで太陽くんのために生きてきた。太陽くんがいたから生きてこれた。だから、太陽くんがいないともう生きてる意味がないの。希望も持てないよ』
なんなんだこいつは。
『大好きなんだよ、本当に』
ブスと言ったり大好きと言ったり、意味がわからない。
キリがないのでとりあえずスマホを鞄の中にしまい、プレゼンの作業に無理矢理戻った。しかし集中なんてできるはずがなく、頭の中はずっと風香のことでぐるぐると回っていた。
なんとか頑張って一時間作業し、切れた息を吸い込むように喫煙所に駆け込んだ。するとそこに、俺の天使が二人いた。榊原さんと、上月さんだ。
俺は一連の流れ、そして今の現状を事細かに、早口で一気に喋った。
「会社に電話してくるのはさすがにやばくね?」
「うん、これ以上エスカレートする前に何か手を打っておいた方がいいと思う」
「ですよね……」
二人ともかなり引いていて、俺を憐れんだ目で見た。
「手を打つって、具体的に何をすればいいんでしょうか」
「警察に行く」
「だね」
息を揃えた二人が言った。
この二人、あんな事があったのにやけに仲良さげだし、いったいどういう関係なんだ……?
まぁ今はどうでもいい。
「ですよね。ちょっとこれ以上ひどくなるまでになんとかしてみようと思います」
「あんまり思い詰めんなよ」
「そうだよ、いつでも相談してきなよ」
「ありがとうございます……!」
ぺこりと頭を下げ、俺は自分のデスクに戻った。
優しい上司に巡り会えたものだ。話を聞いてもらえただけで随分すっきりした。事態は何も解決していないけど。
それからはもうスマホを触らず、最後までプレゼンの資料を無事につくり上げた。なんやかんやと仕事をして、七時に会社を出た。
駅までの道を歩いている途中、やっとスマホを見た。
想像通り、風香から大量のLINEが送られていた。渋々タップし、トーク画面を開く。そして俺の細い目は、過去史上最も大きく開かれた。
見覚えのある風景、そこに立つ二本の足。
それは紛れもなく、俺の実家のマンションの屋上から撮られた写真だった。
『本当に死ぬから』
『ここから飛び降りる』
『もう生きてる意味ない』
『後悔すればいいよ。太陽くんのせいだからね』
『あと十分だけ、ここにいる。それまでに返信がないと飛び降りる』
最後のLINEが送られてきた時間から、既に八分が経過していた。
迷いもせず俺は風香に電話を掛けた。
「何してんだよ!!」
思いのほか大声で叫んでしまったので、通行人達が訝しげに俺を見る。しまったと思い、誰もいない路地裏へと駆け寄った。
電話の向こうからは、溢れんばかりの嗚咽が聞こえてくる。
『ううぅぅ……っうっひぇっひっうぅぅ……っ太陽ぐぅん……っ』
全くまともな精神状態ではない風香だが、それよりも俺が一番心配したのは母だった。
専業主婦である母は、今もきっと家の中にいる。
まさか自分の息子の彼女がマンションの屋上から飛び降りようとして泣きじゃくっているなんて、想像もしていないだろう。
風香が母のいる俺の家まで行かないかが気がかりだった。今の彼女は、何をしてもおかしくない。
「とりあえず今から行くから。絶対くだらないことするんじゃねぇぞ」
『嫌だっ……もう風香、死ぬから。飛び降りるから……うううぅっ………』
「お願いだから、これ以上迷惑掛けるなよ」
あぁ神様、どうしてこんな日がきてしまったのでしょうか。
俺は電話を切り、すぐ母に掛けた。
『はぁい。どうしたの?』
何も知らない能天気な声に少しほっとする。
「あのさ、母さん、今俺の彼女が、正しくは元カノなんだけど、俺達のマンションの屋上にいるみたいなんだ。ちょっとおかしくなってるみたいだから、もしインターホンを鳴らされたりしても絶対に開けないでくれる?」
早口で一気にまくし立てる。
『えぇ、どういうこと?もう、お母さん怖いわぁ〜』
本気で思っていなさそうな、のんびりとした喋り方。母のそういうところが好きなのだけど、心配でもある。
電話の向こうからはテレビの音が聞こえている。
「とにかく、絶対に家から出ないように」
『はぁい、わかったわ〜』
一刻も早く帰らなければ。
どうかそれまで、風香が本当に飛び降りませんように。
**
屋上ではなく、マンションのエントランスの前で、風香はじっとしゃがみ込んでいた。
その姿はまるで、鍵を持っていない小学生が親の帰りを待っているかのようだった。
駆け寄った俺を見上げた彼女の顔は、化粧が崩れ、ぱんぱんに腫れ、ぐしゃぐしゃになっていた。
「太陽くぅん……」
「風香」
彼女をこんなにボロボロな姿にさせてしまったのは俺なのに、これから愛し続けることがどうしてもできないことを心の底から申し訳なく思う。
「ごめん。……本当に悪い、最低なことをしたと思ってる。全部俺が悪いよ。風香は何も悪くない。……でも、ごめんな。ちゃんと別れて、お互い別の道で幸せになろう」
言い終えたと同時に、風香の顔はまた崩れ、嗚咽混じりの大泣きが始まった。
「嫌だ……!太陽くんなしで幸せになんて、なれないよ……っ!」
立ち上がった風香は俺のスーツの襟を両手で掴み、引っ張り、胸に顔を埋めてきた。
こんな状況になっても、スーツが汚れてしまうことを気にしている俺はクズだ。
もうこれ以上風香のことも、自分のことも嫌いになりたくない。
「ごめん。ごめんな」
とりあえずその髪を撫でてやる。こういうことをして愛おしく感じられていたあの頃に戻ることは、もうできない。
すぐに誰かを好きになって、すぐに何かしらの原因があって終わるというのを繰り返してきた恋愛体質な俺だけど、ここまで色々な意味で感情を揺さぶられた女は風香が初めてだった。
「風香のこと、絶対に忘れないから。な?」
「うぅぅ……嫌だっ、嫌だよぉっ……うわあぁぁあっ」
帰宅中の同じマンションの家族連れが通りすぎて行く。小学生くらいの男の子が俺達を興味深そうに見てきて、両親がそれを小声で叱っている。
恥ずかしくて、みっともない。今すぐ帰りたい。
でも風香は周りなんて完全に見えていないようで、泣き続けている。
仕方なく、そんな彼女を引っ張って親の車へ連れて行き、助手席に乗せた。
「家まで送るよ」
「……いい、自分で帰る」
「いいから」
俺は車を発進させた。
運転している間も風香はずっと、隣でわんわんと泣き続けていた。
「ねぇ、最後にもう一度話せない?」
「もう話しただろ」
「でも、やっぱり諦められなくて……っ」
涙声で言う風香を、抱きしめてあげることができたらどれだけいいだろう。
出会った頃のあの気持ちに戻れたら、きっと全て解決するかもしれない。
でも時間は、巻き戻せない。
「風香」
「うん」
「こんなに俺のことを思ってくれる子、今までもいなかったし、これからも現れないと思う」
「そんなことないよ!」
「そんなことある。俺にとって風香は、本当に特別な子だった。こんなに愛してくれて、すごく感謝してる」
俺は前だけを見て話す。
「でも、だったら……!」
「だからこそ、これで終わりにしたいんだ」
「なにそれ……意味わかんない。意味わかんないよぉ……っ!」
両手で顔を覆って泣いている彼女に目をくれず、俺は前だけを見て運転する。
やがて風香の実家の前に到着した。家の場所は、泣きながらもスマホのマップをつかって教えてくれた。
しかし風香は降りようとしない。
「風香、着いたよ」
「嫌だ」
学校に行きたがらない子供のように、石みたいに動こうとしない。
「お願いだから降りて。俺は明日も仕事なんだ」
「仕事仕事って、そればっかりじゃん!!」
「仕方ないだろ!!」
風香につられて、つい自分まで大声を出してしまう。
その瞬間、風香が怯えた顔をする。自分だって散々狂気じみているくせに……。
「ごめんなさい」
俯き、再び涙を膝の上にぽたぽたと溢す彼女から、俺は逃げ出したくてたまらない。
「もう一度だけ、次こそ本当に最後だから、会う約束をしてくれないかな?」
横目で見上げられる。
「無理だよ」
「……最低」
「ごめん。ごめんな、本当に」
すると、風香の涙が止まった。
突然何かを悟ったように、何かを決めたように。
「あんたなんか死ねばいいのに」
悪魔のように低く恐ろしい声で呟くと、風香は扉を開け、やけに素直に車から降り、振り向きもせず家に入って行ってしまった。
俺は最後までその姿を見届けてから、車を発進させた。
一人になった家までの帰り道、ハンドルを握る俺の手は少し震えていた。
だが今度こそ本当に全て終わったのだと思うと、あらためて安堵した。
死ねばいいと思われたとしても、風香の方もさすがに俺に嫌気が差しだろう。
それからしばらく、彼女からの音沙汰はなかった。
会社に脅迫状のFAXが届いたのは、それから二週間後のことだった。
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