賢者の弟子と氷の男1
ゲルダ視点の、チカとイグの話。
特別任務で長らく不在だった上司が帰って来るらしい。
私の仕事は補佐官補佐。上司は三つ年下の男。ここの本部長が子供の頃から面倒を見ている弟子らしいけど、二人はあまり似ていない。ビヴァリー本部長が温い湯ならば、私の直属の上司はかったい氷だ。失敗でもしようものなら冷たい視線に射抜かれる。部屋の中に吹雪が吹く。魔法で雪でも降らせてやろうか、なんてよく考える。氷のような上司にはきっとお似合いだ。
「ゲルダ。部屋を一つ、整えてもらえますか?」
帰って来て早々の命令がこれ。聖女を迎えに行く任務だとか言っていたからきっと聖女の為なのだろうと思ったのだけれど、どうやら違うようだ。
「賢者様の弟子がしばらく薬師としてこちらに滞在します。リストを作ったので、薬を作る為の道具も揃えて下さい」
上司は聖女様の勧誘に失敗したようだ。それでも手ぶらで帰って来ない所が彼らしい。それに、命を削って人助けをする聖女様よりも薬師の方が現実的だ。私達としても仕事を頼み易い。神殿の上層部としては聖女様の名や力が欲しかったようだけど、賢者の弟子も中々な存在。氷のような上司は仕事が出来るから余計に嫌味な奴なんだよね。
賢者の弟子なんてどんな変わり者が来るのかと、私は同僚達と様々な想像を繰り広げた。迎えに行く日がやって来て、上司が珍しく楽しそうだったのも更に私達の興味を引いた。
「これからお世話になります。チカと申します」
上司に連れられ現れた賢者の弟子は、驚くべき事に女性だった。ひょろひょろの気難しい男だろうという私達の想像は、見事に外れた。
長い焦げ茶の髪に同色の瞳。冷ややかな目元には泣き黒子。柔らかそうな唇は彼女に良く合う色の紅で彩られ、白シャツに紺のロングスカートという普通の服装をしているというのに、そこはかとない色気が漂っている。シャツを押し上げる形の良さそうな大きい胸、ウエストから腰のラインがなんだかいやらしい。しかも伏し目がちな目元がこれまた、彼女の持つ危うげな色気を増す要因となっている。淡々と落ち着いた声音で話す彼女に、どうやら氷の上司は惚れているようだ。上司が彼女へと向ける眼差しを見て私はすぐにピンと来た。この時の私は、なんだか面白そうだなと思っただけだった。
*
本部内で一番魔力が高いのが私の上司。あちこちへ行くだろう聖女様の仕事に合わせ、彼が聖女様の補佐に選ばれた。顔が良いのも理由の一つだったんじゃないかと私は踏んでいる。顔だけは綺麗な男だから、聖女様もころりと行くとでも思われたのだろう。だから彼が賢者の弟子の補佐としてついて回るのも、なんら不思議な事ではなかった。
「えーっと……いぐね、しあす?」
「惜しいです。イグネイシャス。意地を張らず、イグと呼べば良いじゃないですか」
「…………イグ」
「はい。なんですか?」
「後で、薬草を探しに出ても構いませんか?」
「構いませんよ。お供しましょう」
「ティグルがいるから一人で平気です」
「お供します」
朝の食堂でとんでもないものを目撃してしまった。氷の上司が、笑ったのだ。いや、彼はいつも笑っているがいつものは温度がない笑みで……今のはなんというか、とろけるような笑顔だった。私同様その瞬間を目撃した同僚達は、いつしかひっそり二人を見守るようになっていた。
賢者の弟子はあまり笑わない。何処と無く影がある様が色っぽい。だけどたまに見せる笑顔は、氷の上司と同じで冷たいものだった。
「熱が少しあるようですね」
いつもは氷の上司と二人きりで仕事へ出掛ける賢者の弟子。だけどこの日は患者の数が多く、私も手伝いに駆り出されていた。
「苦いのはどうも苦手で……」
なんとかなりませんかと告げた老女に、賢者の弟子は何やら考え込んでしまった。どうせ冷たく突き放すのだろうと眺めていた視線の先で、口元を布で覆った彼女の目元がゆるりと綻ぶ。
「では、効き目は少し下がりますが苦味をおさえて作りましょう」
「ありがとう。先生」
「いえ。横になって待っていて下さい」
老女を寝台へ横たわらせ、体が冷えないよう毛布を掛けてから部屋を出て行った彼女を、私はこっそり追い掛けた。さっきまでは目の前でごりごりやって薬を作って渡していたのに、どうしたのだろうと疑問に思ったのだ。
「イグ、少し良い?」
氷の上司を呼んだ彼女は鍋を持っていた。
「火が欲しいんです。手を貸してもらえますか?」
「えぇ。喜んで」
どうやら薬湯を作るようだ。材料を淹れてことこと煮込んだ鍋の中へ、シンファの蜜をとろりと垂らした。
「……魔法は、かけましたか?」
上司の言葉に、彼女は穏やかに微笑む。
「シンファの蜜の甘さで、お婆さんが早く良くなりますように」
甘く優しい声だった。カップに一杯分。残りは持ち帰り用で容器に移しながら、二人は静かに会話を続けている。
「貴女の魔法は、よく効く」
「魔力が無いだろうと馬鹿にしていたじゃないですか」
「えぇでも……効きました」
「そう。それは良かった」
二人の間に流れるのは、柔らかな空気。
「ありがとうイグ。助かりました」
「……貴女の為ならば、いつでもお呼び下さい」
「リリスにもそうやって優しくしていたのだろうけど、私には頑張らずとも大丈夫ですよ。私はもう、ここにいます」
手元を見ていた彼女は気付かなかったようだが、上司が悲しそうに目を伏せた。あまりにもその様が切なそうで、驚いた。
「聖女様と貴女は違います」
「ならあなたは、私が思っていたよりも優しい人だったんですね」
ふわり微笑む彼女は本当に綺麗で、でも、残酷な女性だと思った。あの上司の甘い眼差し。切ない笑み。彼女は気付かないのだろうか。それとも気付いている上での駆け引きなのか。私は彼女に、興味が湧いた。
「先生、こんにちわ」
用も無いのに、私は彼女の部屋へ行くようになった。彼女がどんな人なのかが気になって始めた事なのに、聞き上手な彼女に愚痴を聞いてもらうお茶の時間となってしまっていて若干、煩わしがられている。
「先生が来てからイグネイシャス様は仕事を抜け出す事が増えてさぁ。それなのに仕事は完璧で文句も言えないのが腹立つ」
「それは……私の方からも注意しておきましょう」
「だめ! 吹雪くからやめて!」
「吹雪く……?」
話してみて思ったのは、彼女はマイペースな人間だという事。それと、世間知らずのようだ。時々ズレた発言をしたり、一般常識を知らなかったりする。そして彼女は、自分の魅力に全く気が付いていないようなのだ。こんなに色っぽいくせに無自覚なんて質が悪い。でも今の所、氷の鉄壁ガードのお陰で誰も手出しが出来ない。まぁその所為で自覚が出来ない環境を作ってしまっているような気もする。賢者様と森にこもっていたようだし、自覚するチャンスもなかったんだろうな。
「……ゲルダ。大丈夫?」
突然顔を覗き込まれて心配され、私は首を傾げる。彼女の嫋やかな指先が私の口角に触れた。相手は同性なのに、思わずどきりとしてしまう。
「胃、荒れているでしょう?」
「あー……そういえばなんだか調子が悪いような……」
「胃薬を作りますね。お茶飲み友達だから、サービス」
静かに笑んで、彼女はてきぱきと動き出す。代金を払うと言ったのだけれど、彼女は首を横に振って断固として受け取ろうとしない。
「イグの所為で荒れたのなら私も原因を作っているのかもしれないから。彼の仕事を、私は増やしているのでしょう?」
「それは先生の所為じゃないよ。あの人、きっと好きでやっているし」
「そう。でもやっぱりサービス。……この時間は少し、楽しいから」
照れたように微笑んだ彼女に、私の心臓は射抜かれた。冷たい人かと思っていたら可愛い所もあるんだよなぁ、この人。
「ならもっと来るね!」
「……それは迷惑」
「はっきり言うよね、先生」
ケラケラ笑う私に、先生は胃薬をくれた。




