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愛を求め鳥は泣く  作者: よろず
本編
39/50

三十九. 鳥が舞う空5

 ここでの仕事を終える為の日々を、私は過ごしている。

 賢者の弟子として受けた依頼だから区切りを付ける為に一度、辞める事を決めた。身の振り方はその後で決める。ティグルが相変わらず側にいてくれるのは、帰れないからなのかなんなのか……問い掛けても可愛らしく首を傾げるだけで、よくわからない。でもティグルの温もりは私の支えだから、居てくれると安心する。


「チカ、危ないですよ」


 ぼんやり歩いていたら壁に衝突しかけて、シャツの後ろ襟を掴まれた。その所為で喉が締まって苦しい。


「……イグ。私は猫ではありません」

「猫? 何故猫が出て来るんです?」


 馬のように、レアンディールの猫は私が知っているものと少し違うのかな。首根っこ、掴まないんだろうか。後で図書室に行って図鑑を探してみよう。


「ねぇイグ、図書室に動物図鑑はある?」

「ありますよ。少し時間があるので、今行きますか?」

「一人で行きます。イグは働いて下さい」

「身を粉にして働いています。だからチカといるのは、息抜きです」

「私といるのも仕事じゃないですか」

「そうですが……貴女の側にいられるだけで、私は安らぐ」


 思わず、穏やかな光を宿した氷色の瞳を見上げてしまった。胸がじくりと痛む。


「迷惑でも、諦めません」

「…………私も、グレアムさんにそれと同じ事を言いました」

「……そうですか。ならこの気持ち、わかるでしょう?」


 わかる。けど、私は俯く。


「期待はしないで」

「努力します」


 私とイグネイシャスの距離はなんだか変だ。イグネイシャスの存在も、私がここを辞める理由の一つ。距離を置くべきだ。今の私達は近過ぎる。

 心はじくじく血を垂れ流す。だけど穏やかな日常は、続いて行く。


「猫……」


 図書室の図鑑で見た猫は、化け物だった。私の知っている猫の面影は皆無。しかも動物図鑑には載っていなくて、猫ならこっちだとイグネイシャスが持って来たのは、空想上の生物図鑑。レアンディールにあの愛らしい猫はいないようだ。


「何故がっかりしているのですか?」

「猫ってもっと可愛いと思っていました。ティグルみたいに」

「ティグルは今は可愛いですが、本来の姿は違いますよ」

「え? そうなの?」

「そうなんです。でも見ない方が良い。それを見る時は、貴女に危険が迫った時ですから」


 頬に擦り寄ってくるティグルを撫でながら想像してみる。もふもふの大蛇みたいになったら……やっぱり可愛い。


「チカ、もう図鑑は良いですか? そろそろ行きますよ」

「うん。ありがとう」

「いいえ。貴女の望みを叶えるのは私の喜びです」

「……イグは良い男なのに、女の趣味が悪いですね」

「貴女はこんなに良い女なのに、自己評価が低過ぎる」


 イグネイシャスはたまに、反応に困る事を言う。この人を愛せたら、きっと楽だ。

 並んで歩いて転移の間に入った私達は、距離を少し開けて立つ。イグネイシャスが私の手首にそっと触れて、転移する。問題無く足は地面に付き、私は扉へ向かった。


「……イグ、何か変」

「私の後ろに。離れないで下さい」


 いつもはすぐに駆け寄って来るはずの子供達の姿が、ない。建物の中も異様に静かだ。


「……ティグル?」


 二の腕に巻き付いていたティグルが何かに反応した。ピクリと首をもたげて廊下の先をじっと見ている。


「嫌な予感がしますね」


 ティグルの様子を見て、いつもは抜かない腰の剣をイグネイシャスが抜いた。ギラリ光る抜き身の剣。鎌首をもたげたティグル。私の心臓は、不安で張り裂けそうだ。子供達……子供達は、何処?

 ティグルの反応に導かれ、辿り着いたのは神官達がいつもいる部屋。職員室みたいだなと、私が思った場所。ぶわりとティグルの毛が逆立った。イグネイシャスに静かにするよう手で示され、耳を澄ませる。啜り泣きが聞こえる。それと、男の大きな怒鳴り声が聞こえた。


「うるッせェガキが! 殺すぞッ」


 何かを蹴飛ばしたような音がした。それに続いて数人の男の笑い声。ティグルが鼻に皺を寄せ、牙を剥き出しにする。


「チカ、ティグルの力を借りたい。出来ますか?」


 耳に口を寄せて確認され、私は頷いた。

 私達は外に回って、イグネイシャスが窓から部屋の中を覗く。指で示した数字は五。相手は五人。盗賊だろうか。


「チカ」

「ティグルお願い。子供達を助けてっ」


 イグネイシャスが窓から侵入するのと同時、ティグルも中へ飛び込んだ。むくむくと体が大きくなって、大きな四足の獣の姿になる。大柄な男に捕まっていた子供へ向けられた刃をイグネイシャスが剣で弾き、すかさずティグルの長い尻尾が何本にも分かれて男達を拘束する。イグネイシャスが呪文を唱えると、ティグルに捕まった男達の体から力が抜け落ちた。あっという間の出来事だった。だけど、子供達の無事を確認しようとした私は突然伸びて来た太い腕に背後から捕らえられてしまった。


「チカ!」

「先生っ」


 気付いたらティグルが目の前にいて、真っ赤な口を大きく開けていた。鋭い牙がある。耳に届いたのは、大きな口が閉じる音。音がした瞬間髪を揺らした風は、懐かしい彼の香りがした。怖くて閉じた目を急いで開ける。目を開けたら、大きくなったティグルの赤い瞳が私を見ていた。


「ティグル……帰ろう」


 ティグルの意思が頭に流れ込んで来たような気がする。そこにあったのは郷愁で、グレアムさんを感じた。私もいた。森の家の香りがした。手を伸ばして大きなティグルを抱き締めたら、いつもの可愛らしい声でキュウッと鳴いて、ティグルはいつもの姿に戻った。


「チカ! 怪我はありませんか?」


 駆け寄って来るイグネイシャスを一瞥してから、私は背後を恐る恐る振り返る。ティグルが齧ったと思ったけれど、私を拘束した男は五体満足で地面に伸びているだけだった。ほっとして、ティグルの柔らかな毛を撫でる。

 子供達は、怪我はしていたけれど全員無事だった。孤児院の神官達も無事。男達はやはり盗賊で、国の騎士に引き渡すらしい。そしてこの事態を招いたのは――


「リジィ、もう泣かないで」


 私の胸に顔を埋め、赤毛の男の子が泣きじゃくっている。


「ごめ、なさっい」


 探検が趣味だと言っていたリジィはどうやら、盗賊の根城に入り込んでしまったらしい。そこから必死に逃げ返って来て安心した所で、後をつけて来ていた盗賊が孤児院を襲った。


「……ごめんねリジィ。先生、もっとちゃんとお話聞いて、危ない事を教えてあげれば良かった」


 今回は、軽い怪我だけで済んだ。だけどそれでは済まなかったかもしれない。大人である私がちゃんと教えてあげるべきだったんだ。

 泣きじゃくる子供達を宥めたり怪我人の手当てに追われている内にイグネイシャスが呼んだ応援の神官達が駆け付け、この国の騎士もやって来た。大人達がわらわら動き回る中、リジィは孤児院の先生である神官の女性にこってり絞られ、泣きながら抱き締められてまた、何度も謝り泣いていた。


 *


 事後処理と子供達が眠るのを見届けてから帰って来た為、ギリリアン本部の転移の間へ戻ったのは夜もすっかり更けてからだった。流石のイグネイシャスもぐったり疲れた様子だ。それでも私を部屋まで送り届けてくれて、そんな彼に私はお礼を言って部屋へと入る。今日の功労者であるティグルと一緒に風呂へ入ってから、私はベッドに潜り込んだ。

 久しぶりに見た夢は、幸せ過ぎて涙が出た。グレアムさんの手が、私の額に触れる。滑るように頬へと移動して、包み込まれた。


「……ティグル。よくやった」


 低くて優しい声。グレアムさん、会いたかった。そう言いたいのに私の口は動かない。姿を見たいのに瞼が重たくて、目が開かない。


「さよならだ、チカ。……愛している」


 唇に、懐かしい温もりが触れた。涙が溢れて、苦しい。溺れてしまいそう。目を開けて急いで起き上がったけれど、そこは真っ暗な自分の部屋。


「……夢……? …………ティグル?」


 夢を見たその夜。ティグルは私のもとを去った。

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