三十. 檻の外側3
朝は早めに起き出して、グレアムさんと共に薬草を採りに行く。そのついでに食材を貰い、部屋へ戻ると私は食事の支度。グレアムさんは森の家でやっていたのと同じような仕事を始める。私達は、リリスがこの世界を知り自分の身の振り方を選べるまでは城に滞在する事になっている。リリスを森の家へ連れ帰っても、城の中で保護されていたあの時と状況が変わらなくなってしまうからだ。城に居ればグレアムさんには際限なく仕事が舞い込んで来る。私も手伝える事は手伝いたいが、彼の指示で薬を煎じたり薬草の管理をする事くらいしか出来ない。
今日もグレアムさんを送り出して、私はリリスのもとへ向かう。昨日あんな事があって人に任せてしまった手前顔を出し辛いが、これも私の仕事の一つで自分から首を突っ込んだ事なのだから途中で投げ出す訳にもいかない。
「……チカ。聖女様の所へ行くのですか?」
リリスの部屋へ向かう途中、散歩がてら通った庭に神官様がいた。彼がリリスにべったりじゃないのは初めて見る光景だが、昨日の今日では仕方ないのかもしれない。
「こんにちは、神官様。まだ仲直りしていないんですか?」
「そうですね。フィオン殿下に部屋から追い出されました」
「何故そんな事に?」
無表情でなんでもない事のように神官様は言ったが、それも初めての出来事だ。やはり昨日の事が尾を引いて、リリスを慰めていたフィオン様まで巻き込む事態になっているのだろうか。
「何故貴女が不安そうなのです?」
「いえ、なんだか責任を感じまして……」
「変な人ですね。貴女の所為ではないと思いますが?」
「そう、ですか。……ならそうなのでしょう。まぁ頑張って下さい」
立ち去ろうとしたら手首を掴まれ止められた。まだ何か用なのだろうか。神官様は意外と寂しがり屋さんなのかもしれない。
「やはり貴女の責任ですから、責任を取って下さい」
「都合良く使おうとしていますね?」
「正解です」
嫌な所で素直だ。でももう私の責任ではないのだと私の中で結論付けられた為に、責任を取ってやる義理はない。
「放して下さい。私はリリスに会いに行きます」
「やめておいた方が良いですよ」
「何故です?」
「……貴女が気まずい思いをするのも面白そうですね。良いでしょう、解放して差し上げます」
なんなんだ一体。よくはわからないが聞くのも面倒で、私は神官様に背を向けて歩き出す。だけれど神官様がついて来る。一人で帰るのが気まずいなら素直にそう言えば良い。
*
桃色だ。私にもわかる、桃色の空気。
神官様にストーキングされながら入ったリリスの部屋で、確かに私は気まずい思いをする事になった。フィオン様はいつも通りのふにゃんふにゃん気障野郎。だけどリリスは、落ちた。落ちている。
「良いですね、貴女のその表情。良い気味です」
意地悪く耳元で囁かれ、私は神官様の脳天にチョップをお見舞いした。
フィオン様の言う事に、リリスは無駄に楽しそうに笑っている。そんなにその話は面白いか? って首を傾げるような話にも笑っている。そしてフィオン様はフィオン様で、リリスへのボディタッチが自然な動作だが確実に増えている。
「……神官様、今日の授業は無しですか?」
「そうですね。聖女様にも拒否されていますし出来ませんね。と言いますか、私はもう取り入る事は出来ないでしょう」
神官様が弱気になっている。無理もない。さり気なさを装ったフィオン様ガードは鉄壁だ。私達はすごすごと退散する事にした。私が逃げ出した後で慰めてくれた優しさに惚れたのか、それとも元々そんな雰囲気があって昨日でそれが爆発したのかは私にはわからない。わからないから、まぁいいや。
「ご存知ですか?」
グレアムさんの部屋へ戻るか温室へ向かうか考えながら歩いていた私を、神官様はまだストーキングする気らしい。私は彼に用はないが、話し掛けられたので反応しておく。
「何がです?」
「アービング陛下の思惑です」
「興味が無いので知りません」
「貴女には聞く責任があると思うんですがね」
「なら思わせぶりな事を仰らずにさっさと言って下さい。まだるっこしいのは嫌いです」
足を止めて振り向けば、氷の微笑を浮かべた神官様がほんのり楽しそうに見えた。立ち話もなんですしと告げた神官様が庭へと足を向け、私もそれについて行く。リリスと過ごす為の時間が空いてしまった私は、はっきり言って暇だ。気紛れで、話に付き合うのも構わないかと思えた。ほどなくして辿り着いた四阿の長椅子へ、距離を保ったまま私達は向かい合って腰掛ける。
「城内へ落ちて来た落ち人を、国のトップが放置する訳にもいかないでしょう?」
いつもの授業のような雰囲気で、神官様は話を始めた。
「放り出せば国民から非難されます。神殿からも攻撃対象となる。しかもその落ち人が稀有な力を持っていれば、扱いは更にややこしい」
神殿はリリスの力を人々の為に使いたい。一人の命よりも、大勢の命が大事。更に聖女の力と名に集まるだろう寄付金が欲しかった。人助けには莫大な金がいる。だがリリスを拾った王族側からすれば、はいどうぞと差し出す訳にもいかない。差し出せばリリスは命を削られるのだから当然だ。そこで、中立である賢者様に協力を依頼した。リリスの身を穏便に安全な場所へと託す事により、王族側はこの件の責任から逃れられるからだ。
「だけれど話はそれだけでは解決しません」
どうでも良いけれど、いつもの授業より楽しそうなのは何故だろう。
「賢者様へ託されても聖女様は未だ城にいる。彼女に自分の未来を選択させる為、神官である私も未だ城に滞在しています。ところで、賢者様が協力を断固拒否した場合に陛下がどうするつもりだったかもご存知無いのでしょうね?」
「知りません」
素直に私が答えると神官様はさらに楽しそうな笑みを浮かべた。冷たい笑顔を深め、人差し指を立てる。
「そこで、今のフィオン様と聖女様のご様子に繋がるのです」
「……意味がわかりません」
駄目な生徒ですねと呟きながら立ち上がった神官様の指先が、私の眉間に突き刺さった。ビシビシと数回刺され、煩わしい彼の手を勢い良く叩き落とす。手を叩き落とされた神官様が再び腰を下ろしたのは、人一人分開けた私の左隣。何故か距離が縮まった。
「色仕掛けですよ」
馬鹿ですか、という想いが思い切り顔に出てしまった。私が浮かべた表情を見て、変な顔だと言って神官様は声を立てて笑い出す。
神官様、氷はどうしました。いつ溶けたんですか。
「聖女様の心を奪い、王族側に取り込んでしまおうとしていたんですよ。王族の縁者となってしまえば神殿は手を出せなくなります。そしてくだらないラブストーリーを広めて聖女様の命を守る。その為に聖女様のお側には王弟のお二人がいて、ちょくちょく仕掛けていたのです。それを私が牽制していた」
愛し合う二人を引き離すなんて――と国民の考えを誘導するつもりだった訳か。だけど聖女の扱いに関する神殿側との話し合いは平行線で遅々として進まない。その所為で力の危険についても話せない。部屋の外にも出せない。リリスに不満ばかりが溜まって行くその状況は、神殿側へ有利に働いていた。
「ですが貴女がでしゃばり賢者様が出て来た所為で、神殿の優位はぶち壊されました」
神官様の言いたい事がなんとなく理解出来て、私は溜息を吐く。私は限定的な情報だけを与えられて王様に踊らされたという事なのだろう。
「不満は解消され、しかも神官様に酷い事を言われたリリスを慰めたのはちょくちょくリリスを落とそうとしていたフィオン様で、ついにリリスは落ちましたって事ですか」
「よく出来ました」
笑顔でパチパチ拍手をされたけど、嬉しくない。
「怒らないのですか?」
「何故怒る必要が?」
昨日からこの人は私を怒らせたいのだろうか。でも特に怒る要素がないのだから怒れない。
「貴女は良いように利用されたのですよ?」
「利用はされたようですが利害の一致だっただけですし、昨日も言ったように私は私の自己満足の為に動いただけですから、怒る理由はありません」
「守ろうとした聖女様が悪い男の手玉に取られているというのに?」
悪い男……フィオン様って悪い男なのか。確かにハマったら怖そう。他にも女の影がチラついたりするのだろうか。
「……まだ付き合いは浅いですが、リリスは愚かな娘ではないと思います。それにリリスが自分で選んだのなら、泣かされたってそれで良いんじゃないですか?」
「なんだ、あんなにでしゃばったくせに存外冷たいのですね」
神官様はがっかりしたように両腕を組んだ。
私は短く息を吐いてから、苦く笑う。
「私が気に入らなかったのは、リリスに自由も選択権も与えられていなかった事です。昨日も先程も申し上げましたが、あの時の行動はリリスの為というよりも私の為。私は、自己中心的な人間です」
色仕掛けの理由がなんであれ、リリスに人を見る目がないとは思えない。リリスは意外と勘が鋭いようだし、それすら理解した上でフィオン様に惚れたのなら別に止める必要はないと思う。なんとなくだけど、あの子はわかっている気がするんだ。
「惚れられるくらいの事をしていたのなら、フィオン様だって責任を取るんじゃないですかね」
「何故そう言い切れるのです?」
「師匠が、フィオン様を嫌っていないようだったからです」
私の答えに神官様は不満そうだったが、グレアムさんが善というなら私にも善だ。己で判断する責任から逃げていると言われても構わない。もしその所為で何か罰を受けるというのなら、甘んじて受けるつもりだ。自分が歪んでいる自覚もあるし、他人にそこを指摘されても痛くも痒くもない。
「ところで、神官様はこれからどうするんです?」
リリスと仲直りしたとしても、もう今更のような気もする。リリスがフィオン様に落ちたのなら余計に、神殿側へ行く可能性は低くなる。
「そうですね。とりあえず……一緒に出掛けましょう」
「嫌です。また師匠に怒られます。お仕置きされます」
「拒否権は与えていません。仕置きと言ってもどうせ閨事でしょう?」
「やめて下さい。そんな冷たい顔でさらりと言わないで下さい」
「見える箇所に印を付けられていて何を言っているんです。私は賢者様の事は怖くないので、さぁさぁ行きますよ」
「嫌だってば! 触るなっ」
腹立ち紛れに、腕を掴んで来る神官様を蹴っ飛ばす。
「ティグル! 今こそ噛み付いて! また攫われちゃう!」
助けを求めたのにティグルはのんびり首を傾げている。という事は神官様に悪意はないという事で、害される危険はないらしい。
「無理矢理はやめて下さい。どうせ怒られるのなら自分の意志が良い。……何処へ行くんです?」
私に蹴られても引っ掻かれても表情を変えなかった神官様は、とても綺麗ににこりと笑った。
「貴女の自己満足の所為で救いを得られなくなった者たちを、お見せします」
なるほどそれは、ついて行かざるを得ない。




