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愛を求め鳥は泣く  作者: よろず
本編
28/50

二十八. 檻の外側1

 私の毎日が少しだけ変わった。朝はグレアムさんと過ごして、彼が仕事に行くのを見送った後でリリスを訪ねるようになったのだ。

 リリスは賢者様の庇護下にはあるけれど、滞在する部屋はこれまでと変わらない。だけど護衛は減り、神官イグアナさんは相変わらずべったり。王弟達は様子を見にたまに訪問して来るくらいになったらしい。

 神官イグアナさんは、布教活動の為にリリスへレアンディールの事を教えている。私も、その話を聞きに行く。相変わらず私が落ち人だという事は隠したままだけど、記憶喪失でグレアムさんに拾われ弟子になったという設定を作り、レアンディールの一般常識を知らない理由を聞かれたらそう答える事にした。同情したのか、神官イグアナさんの私への態度が軟化した気がしないでもない。


「イグネイシャスなんて大っっっ嫌いっ」


 リリスの部屋の扉を開けたと同時の大声に、私はビクリと肩を揺らした。腕に巻き付いているティグルも驚いたのか、甘えるように私の頬をペロリと舐める。状況把握の為部屋の中にいた二人をじっと見つめてみると、リリスは扉へ背を向けていて私に気が付いていないようだが、神官イグアナさんは気が付いた。相変わらず、綺麗だけど冷たい作り笑いだ。


「聖女様。すぐに癇癪を起こすのは如何な物かと」

「怒らせるのはイグネイシャスじゃない! 勉強勉強勉強って、そんなに私に死ねって言うの?」

「そうではありません。天から授かった有難い力を」

「欲しくて授かった訳じゃない! 落ちたくて落ちた訳じゃないもん。帰りたい……帰らせてよっ…………」


 普段はにこにこ明るく振る舞い、周りにも気を使って文句を飲み込み過ごしているリリス。だけどたまにこうして郷愁に襲われ爆発する事がある。まぁ爆発の原因を作るのは、大抵神官イグアナだ。


「リリス。ミルクティーはいかが? 神官様にもお淹れしますね」


 私が声を掛けると、パッと振り向いたリリスが突進して来た。なんとか抱きとめ髪を撫でたら、リリスは真っ赤な顔で涙を零し始める。私は取り出したハンカチでその涙をそっと拭った。


「リリスは、我慢して飲み込んでしまう優しい子です。だからどうか神官様、この子の心を置き去りにしないで下さい」


 泣きじゃくるリリスをソファへ座らせながら告げると氷色の瞳が少し、傷付いているように見えた。ぽろぽろ涙を零し続けるリリスをソファへ残し、私は無言でお茶の支度をする。

 レアンディールにある花の蜜は特定の花から採れる。鮮やかな黄色い花が咲く時期になると、大きな花の下に壺を置く。毎日枯れる日まで、とろりとろりと花は蜜を零すのだ。森の家の庭にもその花があって、蜜を採っていた。


「神官様、シンファの蜜はお好きですか? 安らぎの魔法を掛けてあるので心が落ち着きます」

「……貴女には、魔力はないでしょう」

「魔力が無くても使える魔法があるんですよ?」


 微笑み、カップを神官様へと押し付けた。リリスの前にもカップを置いて、私はリリスの隣へ腰掛けミルクティーを啜る。


「甘い」


 小さく呟いた神官様は窓辺の椅子に腰掛けミルクティーを飲んでいる。リリスも、鼻を啜ってからカップを手に取り口を付けた。


「……チカさんの魔法って、なんですか?」


 涙声のリリスに問われ、私は淡く笑む。


「シンファの蜜の甘さで心が解きほぐれますように。お茶の温もりが、神官様とリリスに届きますようにと、気持ちを込めて淹れたの」

「魔法、効きました」


 呟いて、リリスはこくこくミルクティーを飲む。神官様は相変わらずだけれど、目元が少しだけ和らいだ気もする。いつもは先生となった神官様の滑らかな声やリリスの際限無いお喋りが聞こえている室内が、今は静か。私はいつも聞いてばかり。こういう時もどうして良いかわからなくて、お茶を淹れる事しか出来ない。少ない知恵を絞って仲直りの方法を考えるけれど、私には仲直りをした経験がなくてわからなかった。


「……神官様は最近少し、焦っていますね」


 とりあえず、思い付いたまま話す事にした。


「焦ってなどいません」

「そうですか。それなら、人に物を教えるのがお好きなんですか?」

「そんな事を聞いてどうするんです? 今度は何を企んでいるのですか?」


 あら、警戒されてしまった。慣れない事をするべきではないのかもしれない。


「どうしてイグネイシャスはいつもそんなにツンケンするの!?」

「こういう性格なのです」

「最初の頃は優しかったじゃない!」

「あれはかなり頑張っていただけです」

「頑張らないと優しく出来ないの? 最近ちっとも優しくない!」

「これでも私は頑張っているんですがね」

「その笑顔が嫌いっ」

「それは申し訳御座いません」


 逆効果だったみたいだ。

 謝っているくせに神官様は相変わらずの笑顔。思わず、私の顔には苦い笑みが広がる。


「リリスにもですが神官様にも、息抜きが必要なようですね?」

「そんなもの必要ありません」


 ぴしゃりと跳ね除けられてしまった。出来れば関わりたくないし面倒臭いのは嫌だ。でも可愛いリリスの為に何かしたいとも、思う。


「ではこうしましょう。神官様には今から笑顔を禁止します。リリスは我慢するのを禁止。この部屋限定で言いたい事を言うの。破った方には罰を与えます」


 息抜きになれば良いなと願い、遊びがてら強制的にストレスの原因を排除する提案をしてみた。


「罰は、そうですね……神官様には一日リリスから離れてもらう。リリスには、一日甘い物なし」


 どう? と視線で二人に問い掛ける。リリスは構わないとすぐに頷いて、意外にも神官様も溜息とともに了承してくれた。良いでしょう、だって。

 ゲームを開始したら、リリスは私にべったり甘え始めた。いつもと変わらない気がする。神官様はすっと笑顔を消し窓辺で読書を始めた。なるほど、それなら作り笑いをせずに済む。リリスが膝の上でゴロゴロ甘えてくるから、私もリリスの髪を撫でながら本を読む事にした。


「ねぇチカさん」

「何?」

「チカさんは、家族の事も覚えてないの?」


 私は、曖昧に微笑む。もしかしたらこれは、リリスが気を使って我慢して聞けなかった事なのかもしれない。


「家族は……リリスの家のように幸せではなかったと、思う」


 記憶喪失設定を何処までにするか、悩む。でも会話の糸口を手放すのも惜しまれた。


「覚えているのは、痛み、悲しみ、孤独。……人の温もりは、師匠が教えてくれた」


 肩の上にいたティグルが擦り寄って来たから頭を撫でてやる。それとほぼ同時にリリスが素早く体を起こし、ティグルを撫でているのとは逆の手をぎゅっと握った。私の右手を両手で包み、目を伏せたリリスは言葉を探しているみたい。


「私の居た場所は、リリスのように帰りたいと思える場所ではなかった。大切とは、思えなかった。私には今居る場所が、とても大切」


 話し過ぎだろうか。でも何かを、伝えたい。帰りたいのに帰れないと泣くリリスを、慰めてあげたい。


「いくら周りに人がたくさん居たって、言葉が通じなければ……心が通じなければ……孤独。リリスは、神官様の心が見えなくて寂しいの?」

「…………うん。寂しい」


 私の胸元へリリスが擦り寄った。神官様は本に視線を落としたまま。だけどページを捲る手が、止まっている。


「チカさんもいつも笑ってるけど、温かい。困っている時もなんとなくわかる。スウィジンさんはわかり易いし……フィオンくんもいつもにこにこしてるけどなんとなく、わかる」


 でも神官様の笑顔は冷たくて、感情が伝わって来なくて……その笑顔を見ているとリリスの心はもやもやするらしい。いくら言葉を交わしても、一番側にいても、神官様が一番遠いのだとリリスは零した。

 神官様はなんだか、昔の私と似ている気がする。自分で氷の中に閉じ籠り全てと距離を置く。そうしていた方が、自分が楽だから。傷付かない、傷付けない。その氷を溶かすのはとても難しい。


「笑っていても、怒られれば悲しくなる。大嫌いも、傷付く」


 聞こえている。見えている。でも……そんな自分の感情すら見せないよう、笑顔で覆い隠しているだけ。少なくとも私はそうだった。

 私が言葉を零した直後、腕の中に居たリリスが唐突に離れ勢い良く立ち上がったものだから、私は目を丸くした。どうしたのだろうと見守っていると、リリスは窓辺の椅子で開いたままの本を見つめ続けている神官様へ歩み寄る。


「……イグネイシャス、ごめんなさい。大嫌いは嘘」


 リリスはしゅんとした様子で肩を落とした。神官様は視線を上げないまま、力を抜くように息を吐く。


「いえ私も……厳しくし過ぎました。聖女様を見ているとイライラしてしまって」


 おい神官様。私でも一言余計だとわかる。感情が見えない神官様の言葉に、リリスも唖然としている。


「貴女が語るのは優しく温かな家族の話。笑顔は愛らしく、我儘も上手い。引きどころも感覚でわかってらっしゃる。愛され守られる事を当然の様に受け入れる貴女を見ていると――虫唾が走る」


 神官様はここまでずっと無表情。何を思って流れるように淡々と言葉を吐いているのか、私には彼の気持ちはわからない。リリスにもわからないようで、困惑の表情を浮かべている。


「死にたくない気持ちが理解出来ない。望まれるのは幸せな事ではないですか? 誰にも望まれない人間なんてこの世に溢れている。貴女は人から必要とされているのに、力があるのに……助けてくれない」


 パタンと本を閉じた神官様は、立ち上がる。睨むように、リリスを見る。


「助けてと、手を伸ばされても何も出来ない無力さ。伸ばした手を見なかった事にされる虚しさ。貴女にはわからないのでしょうね。この城の、守られ慣れている人達と同じ。貴女は守る側じゃない。守られる側のようです」


 吐き捨てるように告げて、神官様は出て行ってしまった。リリスは固まったまま動かない。私も困る。何故こうなった。

 神官様の言葉はきっと、城とその周りしか知らない私とリリスには理解出来ない事。守られている私達には、見えない事なんだと思う。


「な、なんで? なんで死なないといけないの? どうして知らない人達の為に私、死なないといけないの? そんなの……それだって、不公平だっ」


 歯を食い縛り涙を溢れさせるリリスの横顔を、私は見つめる事しか出来ない。だって私は……神官様の言葉を理解出来る。誰かに望まれたら、望んでもらえるのなら私は――死んでしまえるから。


 *


 結局私はリリスへ掛ける言葉を見つけられず、手を伸ばす事も出来なかった。たまたま顔を出したフィオン様にリリスを任せ、逃げて来た。私の所為かもしれない。私が余計な事を言ったから、変な気を回そうなんて慣れない事をしてしまったから、歯車は狂った。

 とぼとぼ歩いて、私は薬草の温室までやって来た。一人になるのにグレアムさんの部屋は最適だけれど、今の気分であの部屋にいたら、黒いもやもやに心が覆われそうで怖い。薬草園なら、森の家を思い出す。だけど失敗だったみたいだ。会いたくない人が、温室の側の草の上に寝転がり不貞寝をしている。


「…………何故ここに?」


 戻るか進むか悩んでいたら目を開けた神官様に睨まれてしまった。ここで無視するのも、なんだか微妙な気がする。


「たまたまです。そこの温室に用が」

「そうですか」


 会話終了。進む事を決めて私は温室へ入る。奥に進んで地面へ座り、薬草に紛れてぼんやりする。ここならグレアムさんの部屋と違って音がするんだ。風で草木が揺れる音。草の匂い。落ち着く。


「お弟子殿。風邪をひきたいのですか?」


 何故あなたは私を見下ろしているんですか、神官様。


「何かご用ですか?」

「特に用などないです」

「そうですか」


 温室に入って来た理由は謎だけど、面倒だし興味も無いから聞かない。私はティグルを両腕で抱き直して目を瞑る事にした。……でも、視線を感じるような気がする。去って行く足音はいつまで経っても聞こえない。まだそこにいる気配がするけど、なんなんだろう。構って欲しいのかな。


「…………リリスの様子が気になるなら見に行けば良いじゃないですか。フィオン様にお任せして来たので私は知りません」

「……怒らないのですか?」

「何をです?」


 閉じていた目を開け顔を上げると、立ったままの神官様はまだ無表情。律儀に先程の遊びを続行中なのか、笑うのが面倒なのかはわからない。


「散々でしゃばり偉そうな事を言っていたではないですか」

「あぁ。あの時はすみません。自己満足の為に動き、自分の為に憤っていただけです」

「……意味がわかりません」


 追及されても困る。あの時は、リリスの居場所を奪ってしまったような気がして怖かったんだ。だからあの子の状況が悲しかった。あの子に笑ってもらいたいと思った。


「……私、リリスの笑顔が好きです」

「だからなんです?」

「信用し切った顔で身を預けられた事、無かったんです。だから、らしくない事をしたくなりました。自分は無力なので、師匠に泣き付きました。でも慣れない事は……疲れます」

「…………私もです」


 溜息とともに言葉を吐いて、神官様は私の前に胡座で座った。この会話も慣れない事だから疲れる。私は一人になりたい。


「居場所がなかったから神殿にいるだけで、私に慈愛の心なんてありません」

「だからなんですか?」

「はっきり申し上げて仕事だから側にいて粘っていますが、聖女の命なんてどうでも良いんです。なのに小娘を宥めすかして説得するなんて面倒な事、疲れました」


 暴露されたけど、どうしたら良いんだろう。

 神官様の愚痴はまだ続く。


「神託はありました。癒しの力を持った落ち人が来ると。神が告げた場所と日時に確かに彼女は現れた。言葉も何もわからない内に攫って洗脳でもしてしまおうと考えていたのに王族に邪魔をされ、挙句賢者様まで出て来て面倒な事この上ない。貴女の所為です」


 とてもお疲れみたいだ。吐かれた溜息が重たく深い。


「……そんな事もありますよね」

「何を他人事のように仰っているのです。私を煩わせる原因を作った張本人が」

「謝って欲しいんですか? 言葉だけなら差し上げられますごめんなさい」

「気持ちのこもらない謝罪は無意味だ」

「本当に、申し訳無く思います」

「許しません。なので付き合って下さい」

「何処にです?」

「息抜きをしろと言ったのは貴女だ。ならば付き合ってもらいます」

「お断りします」

「拒否権を与えた覚えはありません。街の酒場へ飲みに行くだけです」

「面倒です。他人と交流するのは大嫌いです」

「私もです。ですが嫌がらせをしたい」

「嫌です。やめて。引っ張らないで下さい!」


 腕をぐいぐい引かれて連れ攫われながら、ティグルって本当に私の護衛なのだろうかという疑いが芽生えてしまった。

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